<研究ノート>
モリスは、パリ・コンミューンに続いて、第13章では「The Utopist」として、R・オーエンなどを取り上げている。その検討の前に、ここで少し足踏みをさせてもらい、いわゆる「空想的社会主義」について、文義詮索的な議論にお付き合い頂きたい。内容的には、あまり意味のない話になるかも知れないが、気になるのでお許しを願う。 わが国では、マルクス、エンゲルス、それにレーニンなどの「科学的社会主義」に対して、オーエン、サン・シモン、フーリエなどを「空想的社会主義」としている。辞典や教科書の説明でも、ほとんど「空想的社会主義」になっている。エンゲルスの著作『空想から科学へ』も、これまで「空想」としたまま検討してきたが、正確には『ユートピアから科学への社会主義の発展』(Die Entwicklung des Sozialismus von der Utopie zur Wissenschaft)である。最初に公刊されたフランス語版も、Socialisme utopiqueである。これが日本語では、「空想から科学」となり、明らかに訳語の問題として、「ユートピア」が「空想」と訳されてきたのであろう。 辞書で調べる限り、たしかにUtopia,Utopianには、「空想的」という訳語もあり、空想的社会主義も語学的には誤りではないだろう。しかし、「空想的」には夢(Dream)とか、幻(Fancy)に類する、非現実的なニュアンスが非常に強い。現実にはありえない、夢物語とか、幻想の世界となる。とくに「科学的社会主義」に対比して、空想的社会主義となれば、資本主義社会を観念的、感情的、道徳的に反発する、単なるイデオロギーと誤解されることに成りかねない。そしてまた、そのように感情的反発のイデオロギーとして、とくに日本では、空想的社会主義が紹介され、解説されてきたのだ。 しかし、モリスがUtopistと考えているのは、単に資本主義社会に反発する観念的、感情的な想念ではないし、彼も夢想家や幻想家ではない。社会改革の目的と内容を明らかにして、読者にアッピールすることなのだ。だから、日本で最初にモリスの『ユートピア便り』が、堺利彦の手により抄訳された時、題名を『理想郷』にしたのも、それなりの理由があってのことだと思う。理想であれば、夢想や幻想とは違う。現実を変革、改革し理想を実現する意味になるであろう。 そもそも『ユートピア便り』の原題は、”News from Nowhere”だった。モリスは今現在、何処にもないけれど、21世紀の初め、ロンドンからコッツウオールズへの船旅で行く場所、しかも書物の扉絵には、ちゃんと彼のケルムスコッツのマナーの玄関、スタンダード仕立てのバラまで書いてある。そして、そのバラが21世紀の今日、地域の人々のガーデニングの手入れで、100年以上も育てられ続けてきている。夢でも、幻でもない。「世界で一番美しい村」なのだ。 きっとモリスは、「世界で一番美しい村」も、まだ自分の理想の実現ではない、完成ではないと言うだろう。しかし、ユートピアは空想ではない。実現されるべきものだ。彼の生きた19世紀の工業化の資本主義社会、それを改革して理想を実現する、あるいは実現される、その新しい現実こそユートピアだった。それがまた社会主義であり、科学的であろうと、何と形容されようと、現実の資本主義を改革し、それに代替するオタナティブがユートピア、つまり社会主義は『理想卿』なのだ。その意味で堺利彦が『理想卿』としたのは良いと思う。 題名の話になったが、とくに戦後『ユートピア便り』となり、それが定着している。モリスのUtopistが、そのまま題名となったわけだし、それはそれで良いと思う。ただ、大正期に布施延雄、村上勇三の両氏が、それぞれ『無可有郷---』として、全訳を出した。「此岸」に対して「彼岸」の意味だとすれば、モリスのユートピアの意味から少しズレるかも知れない。 では、もともと社会主義が理想郷Utopiaだとして、「科学的社会主義」は、どう理解すれば良いのか?マルクス・エンゲルス、そしてレーニン主義が、教条的に科学的社会主義とされ、ロシア革命で現実のものとなった。それが1989年「ベルリンの壁」崩壊とともに、科学的社会主義の神話も崩壊した。同時に、ロシア革命の歴史的意義とともに、マルクス・エンゲルス、そしてレーニン主義の教条も破綻することになった。『ユートピアから科学へ』、その科学とは何か。科学的社会主義も再検討しなければなるまい。
by kenjitomorris
| 2008-01-24 21:52
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