盛岡のY先生から、先日ご案内頂いた際の写真を頂戴した。沢山撮って頂いた中に、花巻農高の中にある羅須地人協会の入り口、ならびに「羅須地人協会講義要綱」の写真が含まれていた。訪問の証拠写真?と、「地人芸術概論」のタイトルで講義されていた資料として、参考にして頂きたい。
なお、「地人」だが、『広辞苑』にも見当たらないので、賢治の言葉であろうが、『農民芸術概論綱要』の中に、次の表現がある。「農民芸術の本質」の項で、「農民芸術とは宇宙感情の地人 個性と通ずる具体的なる表現である」、ここでは「地人」が農民芸術の主体として捉えられ、特別な意味が込められているように思う。
ただ、「農民芸術の本質」の項は、「農民芸術の興隆」の項のように、W・モリスなどからのメモ書き込みがない。したがって「地人」と「都人」の関係は不明だが、全体の流れとして「地人」から「都人」への訴え、アピールとして読めるのだが、どうだろう。