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労農派と宮沢賢治(続き)
 労農派と宮沢賢治の関係は、もともと労農派と呼ばれる活動が幅広く多面的だったし、当時の政治状況から屈折したり曲折していて複雑を極めていた。さらに、賢治は単なるシンパサイザーとして活動に協力していただけだった。それだけに、賢治の立ち位置を明確にすることは困難だし、また無理に明確にすることが、賢治像をイデオロギーで歪めかねないように思います。そん心配をしながら、羅須地人協会時代の賢治の実像に少しでも迫りたいと思っているのです。

 前回の本欄で、小正路さんの新著『堺利彦ー初期社会主義の思想圏』を紹介しましたが、その後とても有益なご助言、ご指摘など頂きました。その一部を紹介させて頂きながら、賢治と労農派について少し補足しておきましょう。

 大正デモクラシーが高揚する中で、単一の合法的無産政党を目指していた「労働農民党」でしたが、1928(昭3)年の3・15事件に引き続いて、4月22日に結社禁止の弾圧を受けました。ただ、その前から中央では、「日本労農党」「社会民衆党」「日本農民党」に分裂、抗争していた。こうした分裂状態が、ロシア革命によるコミンテルンからの地下非合法活動の影響もあり、3・15の弾圧を招いたといえます。そうした厳しい情勢の下で、賢治による労農派への支援、協力の活動だったことは重要です。また、中央の組織分裂に対して、地方ではいわゆる「地方政党」が群立していて、岩手においても農民運動の動きも加わり、地方政党の活動が活発だったし、中央との複雑な対立も拡がっていたようです。
 こうした地方政党の群立の動きの全貌を明らかにするのは、今日では極めて困難だと思います。しかし、賢治が羅須地人協会の伊藤与蔵さんなどとともに、選挙運動に関わった泉国三郎の「労農大衆党」もまた、恐らく中央の複雑な動きをを見据えながらの地方政党の一つではなかったかと思います。とくに岩手の無産政党を目指す運動は活発で、中央からのいろいろな働き掛けもあった。賢治との人的なつながりでは、伊豆大島の「農芸学校」の伊藤七雄との関係がとくに深かったし、政治活動の面では浅沼稲次郎との関係もあった。小正路さんからは、こんな助言も頂きました。
 「労農派は労農党の勢力の離散防止のため無産大衆党、兵庫県大衆党、秋田労農党、信州大衆党、関西大衆党など将来的な単一無産政党樹立に向けた過渡的な地方政党を結党しました。これらの労農派系地方政党ときわめて類似した性格を持っていたのが1928年12月22日に結党した岩手無産党です。<中略>従いまして、泉国三郎をキーパーソンとして考えますならば、賢治が連帯した政治勢力は岩手無産党系譜の大衆党系労農派ではないでしょうか。<労農大衆党>という言い方が同時代にあったかどうか存じませんが、<労農大衆党>の実態は岩手無産党であったと思います。」

 今回、こうした助言や示唆を頂き、これからさらに岩手の関係者とも連絡し、出来るだけ実像に迫ろうと思います。ただ、こうした政治勢力の分裂による混乱の中で、羅須地人協会の若いメンバーを抱えた賢治の苦労は、極めて大きく深いものだったと思います。3・15事件の弾圧の後、賢治が6月に伊豆大島に伊藤七雄を訪ねたのも、大島の農芸学校の設立の相談だけではなかった。恐らくは労農派の分裂などの混乱について、折り入って相談したのではなかったか?その上で、政治活動の混乱の渦中から身を引いて、羅須地人協会の活動を立て直す必要に迫られたのではないか?さらに、恐らく党員として協会のメンバーだった高橋慶吾氏宛の書簡が残されていますが、そこでは一方で「農業生産の増殖」という肥料設計や土壌改良の活動、他方では政治活動を含む「社会事業」の「二兎を追て果して一兎を得べきや覚束なき次第」と述べています。
 ここでは社会事業としての政治活動への協力を整理する意味が込められているように読めます?農業生産活動と政治参加の活動の「二兎を追うものは一兎も得ず」と熟慮したうえでの賢治の決断だった。だから、政治活動とみなされる羅須地人協会の「集会活動」を止めたのではないか。にもかかわらず肥料設計や花壇設計などの農業生産活動、そして協同組合である「産業組合」の活動への夢、「ポラーノの広場」の「イーハトヴォ」の夢は追い続けたのではないか?
by kenjitomorris | 2016-08-09 13:08
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