人気ブログランキング |
カタクリ群生咲き始めています
a0063220_20181362.jpg
a0063220_20172469.jpg
a0063220_20165091.jpg
 4月10日に続いて、きょう14日にも作並「賢治とモリスの館」に出かけました。僅か4日でしたが、カタクリの群生が本格的に咲きはじめ、凖絶滅危惧のヒメギフチョウも飛来しているようです。小屋の前の太い木は賢治の作品『マグノリアの木』です。賢治さんもカタクリなど喜んで見て呉れているでしょうね。
# by kenjitomorris | 2019-04-14 20:11
作並「賢治とモリスの館」オープンしました
a0063220_20113051.jpeg
a0063220_20115208.jpeg
皆さん、大変お待たせしました。仙台・作並「賢治とモリスの館」今年もオープンしました。

今日、4月10日、わが老人ホーム「エバーグリーンシティ寺岡」の20人ほどが、出かけてきました。例年より雪が少なく、館の庭は花が沢山咲き始めました。クリスマスローズも咲いています。

問題のカタクリですが、今年は桜とともに早いと思っていましたが、まだチラホラです。でも、つぼみは一面に出そろい、あと2-3日で本格的に咲くでしょう。すでにお出かけの方も多いようですが、これからが本格的です。予約制ですが、お出かけください。お待ちしております。

# by kenjitomorris | 2019-04-10 20:12
新しい宮澤賢治 第九回 無何有郷からの通信
 新しい宮澤賢治の研究である。今福龍太氏の力作で、新年の『新潮』2月号に掲載されている。第9回だが、今回は「無何有郷からの通信」のタイトルであり、W・モリスの研究者なら、「無何有郷」とくれば、賢治とモリスの新しい研究と気づくだろう。仙台・羅須地人協会のメンバーで、作並の「賢治とモリスの館」の有力なサポーターのO氏が教えてくれた。「ようやく賢治とモリスの時代が来そうですね」朗報と思っての連絡だった。
 今から15年前、2004年に「館」オープンの時、職人さんの一人が、「建築確認」の看板を見て「ご主人は賢治さん、奥さんは外国人でモリスさんですね?」質問に面食らって「賢治は宮沢賢治、家内は日本人で名前は芳子だ」と答えたことを思い出す。笑い話だが、それ位「賢治とモリス」の関係は知られていなかったのだ。ただ一人、「自分だけしか分からない」と思いながら、ここまで来たのである。それだけに今福氏の「新しい宮澤賢治」とモリス研究に、心よりお礼を申し述べたい。また「賢治とモリス」の時代到来に期待を寄せたい。
 力作の内容を紹介するより、ぜひ論稿をご一読いただきたいが、これまでの「賢治とモリス」研究の問題意識といい、論点提起といい、評価の方向といい、賛成の部分が多い。興味深く、大変面白く読ませていただいた。特に気づいた点だけを列記して紹介させて頂く。
 ①詩人、童話作家、造園家、砕石工場の「技師」賢治の肩書は、モリスもそうだが沢山ある。詩人、作家などは2人に共通するが、今福氏は賢治の<なりわいが教師>であり、花巻農学校で4年ほど教えた。「教える者」として、賢治童話にも「学者アラムハラドの見た着物」などを取り上げている。
 ②<「教える人」としての賢治の究極の思想がもっとも鮮烈に、かつ直截に示されているテクスト、それが断章的な書きつけとして遺された「農民芸術概論綱要』(1926)です。>賢治とモリスにとり、「農民芸術概論綱要」がもっとも重要な文献であり、賢治は講義の「メモ書き」に、モリスとその「労働観」を特に英語で注記した。ただ、この講義は、賢治の花巻農学校を辞める直前、併設の「岩手国民高等学校」の講師としての授業に過ぎなかった。むしろ辞めた後の話で、「羅須地人協会」でもモリスを講義した点が重要だと思う。その点は拙編著『賢治とモリスの環境芸術:芸術をもてあの灰色の労働を燃せ』(2007年時潮社刊)、その中の伊藤与蔵の「賢治聞書」を是非参照して頂きたい。賢治とモリスの関係が、深いことがより具体的に解る。
 ③「ここで賢治が<農民芸術>という新たなヴィジョンをもって伝えようとしているもっとも重要な批判的論点は、まさに<労働>という頸木からいかににして民が解放されるべきか、というこの時代における危急の課題です。」その通り!全く賛成である。この課題は、2019年の今日の課題でもあり、政府は「働き方改革」を騒ぎ立て、外国人労働力の利用に遮二無二走る。政治家に『新潮』を読ませたい。さらに重要だが、今福論文もモリスとの繋がりにおいて、「物質的繁栄と科学の進歩が、必ずしも万人の生活を幸福にするものではないという考えが、マルクス主義の大きな影響力のもと、一部の論者たちによってここで初めて真剣に主張されはじめました。」思い起こせば1982年、マルクス死後100年を前にして、ロンドン留学の際、『マルクス・イン・ロンドン』のA・Briggs教授(オックスフォード)に会い、マルクスからモリスの研究を勧められた。それ以来、マルクス-モリス-賢治の流れを、仙台・作並「賢治とモリスの館」で追い求めてきた者としては、改めて今福論文に感謝する。
 
 あと、賢治の詩作「産業組合青年会」と『ポラーノの広場』については、多少立ち入った検討もあるので、稿を改めたい。最後にもう一度、「ぜひ『新潮』をお読みいただきたい」皆さん宜しく。
 

# by kenjitomorris | 2019-02-07 20:00
仙台・作並「賢治とモリスの館」について
 2019年新年を迎え、すでに立春です。大変長期間ご無沙汰し、申し訳ありませんでした。「賢治とモリスの館」只今、積雪で例年通り冬眠中です。静かに春を待ち、4月再開し、皆さんとお会いする日を楽しみにしているでしょう。

 さて、この間ご無沙汰し、失礼したのは、ご存知の方も多いと存じますが、一昨年の6月、小生の家内・大内芳子が急逝し、葬儀など後始末に追われました。家内も「館」の運営の有力メンバーでしたので、大きな混乱が生じ、多くの皆さんにご心配や失礼を重ねてしまった点、この機会に心よりお詫び申し上げます。申し訳ありませんでした。また、連絡の窓口の渡辺えまは、家内の姪であり、そのために混乱の渦中におりました事も申し添えさせていただきます。

 もう一つ、昨年夏、小生が代表を務める「仙台・羅須地人協会」の事務所移転が急遽重なりました。「協会」のメンバーも、「館」の運営など、多大なご協力を頂いているため、思はぬ突然の移転騒動のため、皆さんにも多くのご迷惑をかけることになりました。その点も、お詫び申し上げます。

 昨年、一昨年と思わぬ事件が続きましたが、2019年新年を迎えて、今年4月オープンしますので、何卒ご協力、ご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。また、本「最新情報」も、引き続き書かせていただきますが、「館」冬眠中でもあり、本年2月号の『新潮』の「新しい宮澤賢治(9)」として、今福龍太氏が「無何有郷からの通信」で賢治とモリスを取り上げておられます。次回、今福論文の紹介とコメントを書かせていただき、「館」の今日的意義について論じたいと思います。ご期待ください。   「賢治とモリスの館」館主 大内 秀明 拝

# by kenjitomorris | 2019-02-05 20:22
仙台・作並「賢治とモリスの館」カタクリ情報①
a0063220_10521515.jpg
a0063220_10511244.jpg
 皆さん、「賢治とモリスの館」1-3月の冬篭りから覚めて、もうオープンしました。お問い合わせがありますが、今年も昨年に引き続き、皆さんのお越しをお待ち申し上げます。くれぐれも宜しく。

 カタクリの開花ですが、過去の写真をアップしましたが、昨日、最新情報の写真を撮ってきましたので、ご覧ください。例年より10日ほど早く開花しています。ただ、ここへ来て気温が下がり、昨日も霙交じりの雨でした。カタクリは、例年より長く咲き続けると思います。ぜひご覧にお出かけを!

 カタクリよりも早く、クリスマスローズが見事に咲いています。猩々袴など山野草の数々も次々に開花です。
 お待ち申し上げます。
 


# by kenjitomorris | 2018-04-09 10:45
ヴィクトリアン・アンティークの展示
a0063220_20203524.jpg
a0063220_20164853.jpg
a0063220_20195486.jpg
 ご無沙汰しております。6月初め間質性肺炎で家内・大内芳子が突然死去し、その後始末など超多忙な日々を過ごしました。また、短期間でしたが「賢治とモリスの館」ご予約の申し込みをお断りせざるを得ないこともあり、大変失礼しました。そんな中、沢山の訪問客が続き、この場を借りて心よりお礼申し上げます。
 そんな訳で、一寸閉館も考えましたが、皆さんのご予約が続き、また家内の存続の遺志も強く、皆さんのご協力を得ながら、モリスの「ユートピア」、賢治の「イーハトヴ」の夢を、広瀬川の源流の地に求め続けることにしました。どうぞ宜しくお願い申し上げます。

 ご存知とも思いますが、モリス研究を始めたのは、英オックスフォード大の教授からの示唆によるものでした。その教授は、モリス研究とともに、ヴィクトリアン・アンティークの収集家で、モリス関連のものを沢山集めておられた。それを見せられて、モリス研究をするなら、ついでにアンティーク収集も真似てみよう。当時、日本ではアンティーク・ブームでもあった。それ以来、夫婦協力のもと、30年以上に亘り収集してきました。その一部が「賢治とモリスの館」の並んでいます。それ以外は、自宅で楽しんできました。しかし、いま家内もいなくなり、遺品の整理とともにアンティークは、すべて作並の館に集め、ご来館の皆様とご一緒に楽しみ、また勉強しよう、そんな気持ちになりました。

 じつは今日、テレビで有名な「なんでも鑑定団」の西洋アンティーク部門の鑑定士、阿藤芳樹さんが作並の「館」に来館されました。もともと沢山の作品を、阿藤さんの紹介と鑑定のもとで集めてきました。そんな訳で、今回、新たに展示し、一般公開するに当たり、全作品をご覧頂き、改めて「鑑定」して頂いた次第です。専門家のお墨付きを貰い、今後も作品の説明や鑑定の結果などご協力を約束して、お別れしました。「館」の新しい出発について、皆さまのご理解とご協力を切望します。
 写真 アンティークと阿藤芳樹さん(左は渡辺えま)

 

 


 

# by kenjitomorris | 2017-09-10 19:33
モリスの「ソーシャルデザイン」
 皆さん、今年も春を迎え、「賢治とモリスの館」オープンしております。家族の入退院などで忙しく、ご報告が遅れてしまいました。庭のカタクリの群生、今年は少し遅れていましたが、例年通りのピンクの絨毯を庭一杯に敷き詰めてくれました。4月26日の写真で、ピークは過ぎてしまいましたが、今年の記録としてアップさせて頂きます。

 ご報告の遅れのもう一つの理由は、昨年から企画している「名取川・広瀬川水系」をモデルにした、自然エネルギーによる地域循環型社会の出版計画、その取りまとめが難航しているためです。この企画、デザイナーのモリスは、地域社会のデザイン、ソーシャルデザインの元祖だったし、アーツ&クラフツもソーシャルデザインを考えていたと思いますので、その着想を取り入れました。

 モリスのテキスタイルのデザインの中には、「テムズ川」の支流の名前を付けたデザインがあります。まさに「水系モデル」にもぴったりなので、ご紹介させて頂きます。モリスは地域計画の芸術家だったのですね
a0063220_9132523.jpg
a0063220_9141487.jpg
# by kenjitomorris | 2017-05-01 09:14
「賢治・秀松農民芸術祭」のご案内
 2017年1月21日、午後1時から仙台に隣接する名取市の文化会館で、第2回の賢治・農民芸術祭を、「賢治・秀松農民芸術祭」として開催します。文化会館は名取市役所のすぐ隣で、400名も収容できる立派な中ホールが会場です。宮沢賢治と高橋秀松、すでに本欄では説明しましたが、2人の関係をご存じない方が多いので、会場に「資料展示コーナー」を設け、ご案内のパネルをつくります。そのために書いた「ご挨拶文」を、あらかじめ皆さんに、ご覧頂こうと思います。ご一読の上、ぜひご参加ください。

 2016年は宮沢賢治生誕120年、100年記念に続く「賢治ブーム」になりました。その賢治と盛岡高等農林で一緒に学び、無二の親友だったのが、名取市増田出身の高橋秀松です。戦後は、地元の農業改革や農協活動に尽力され、行政面では増田町長、そして初代、二代の名取市長を務めました。
 賢治と並んで、国民的作家の夏目漱石には、親友の正岡子規がいました。賢治もまた、親友の秀松との交友を抜きに、彼の文学はじめ、その人生を語ることは出来ない。賢治精神も、秀松との強く、深い、そして熱い友情に育まれたのではないか?
 
 当時の盛岡高等農林は全寮制で、賢治と秀松は寮生、しかも同室で、寝食を共にしました。それだけではありません。天才的で少々変わり者だった賢治も、秀松だけには心を許し、日記や手紙も見せていました。休日は、二人仲良く盛岡市内を歩き、岩手山など山野を跋渉し、さらに江刺の地質調査にも同行しました。夏休みには、一ヵ月も上京して同じ旅館から神田神保町のドイツ語の講習会に通い勉強した。こんな深く静かに輝く友情は、それこそ賢治と秀松の二人だけのものでしょう。
 二人は、東北農民が最も恐れていた冷害を解決して、東北の暗い冬を無くそう、明るい東北農村のために勉強した。高等農林では、秀松は農学第一部で一般農学・農政経済、賢治は第二部の農芸化学が専攻でしたが、共通の目的のために、秀松は稲の品種改良、病害駆除、賢治は土壌、肥料の面から、江刺の地質調査にも参加しました。しかし、当時は就職難の時代、賢治は花巻の農学校へ、秀松は遠く水戸の農学校に別れ別れになった。その後、賢治は東北農村のイーハトヴを目指して花巻に羅須知人協会を開き、さらに「ポラーノの広場」に「産業組合青年部」の活動の夢を書き残して他界してしまった。
 「産業組合」は、戦前の協同組合の呼称で、今日の農協、漁協、生協などの総合統一体だった。終戦を前にして、秀松は名取に帰郷します。そして、地域の農協運動を指導し、農業改革を推進した。「日本農業の動向と名取町の農業振興について」論じ、集団的農業の重要性、そして新しい農業協同組合の意義を訴えています。とくに「農業そのものの基盤は耕地であり」「名取耕土の美田化土地改良事業」など、若き日の賢治との堅い約束を果たす事業だったと思います。そして、賢治の『農民芸術概論綱要』を説き、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と訴え続けました。
 
 今回の企画展では、賢治と秀松の深く「輝う友情」を中心に、二人の交友と秀松の戦後の業績に関する資料を集めました。何分にも残された資料が少なく、極めて不十分です。これから市民の皆さんのご協力のもと、とくに秀松に関する資料を中心に収集し、明るい東北の建設のために、賢治・秀松に続こうではありませんか。(大内 秀明)
a0063220_8572574.jpg

# by kenjitomorris | 2016-12-29 15:53
神田錦町の「上州屋」の跡地を写す
 今回は、来年2017年1月21日(土)に仙台の隣、名取市文化会館で開催予定の『賢治・秀松農民芸術祭』に展示の写真収集が目的で、賢治と秀松が通った『東京独逸学院』の跡地を訪れました。さらに、神田・神保町のすぐ近くに、賢治が泊まった神田・錦町の「上州屋」の跡地があり、ついでにこちらの写真も撮ってきました。

 同じ東京でも、文京区本郷の菊坂の旧居は、すでに紹介したように教育委員会が立派な看板を用意して丁寧に説明していましたが、隣の神田区は何の表示もありません。奥田弘さんが調べた「宮沢賢治の東京における足跡」にある資料をたよりにカメラに収めました。賢治が泊まった当時は神田・錦町3丁目19番地だったのが、戦災などがあったからでしょう、現在は13番地に変更されています。また、素人下宿屋「上州屋」の面影も一切消失して、新しいビルだけが建っていました。ただ、ビルの反対側の表通りには、明治20年代に発足した正則学園高等学校、隣接して錦城学園高等学校があり、いずれも校舎を全面改築していますが、それでも歴史の落ち着きを感じさせます。

 賢治は、1916年(大5)に盛岡高等農林の修学旅行とドイツ語の講習の2回をはじめ、9回も上京していて、本郷・菊坂もそうですが、かなり長期の滞在でした。「上州屋」には、第7回目(1926年・大15)と第8回目(1928年・昭3)の2回宿泊、いずれも1か月近く泊まりました。この2回の宿泊は、賢治が花巻農学校を辞めて「羅須地人協会」を立ち上げて活動していた時期の上京です。「本物の百姓」を目指していたはずの賢治が、長期の上京でチェロを習い、図書館に通い、浮世絵を観賞し、芝居見物をしていた。「賢治は何を考えていたのだ」といった疑惑と批判の眼が向けられる上京です。

 しかし、「本物の百姓」は、ただ単に肉体的に汗して、牛馬のように働く「水のみ百姓」ではない。苦境に追い詰められた東北の農村経済を改革し、「芸術をもて、あの灰色の労働を燃やす」ための羅須地人協会だった。そのために3・15事件などに関連して、官憲に目をつけられ弾圧された。とくに第8回目の上京は、3・15事件の後、仙台で産業博覧会を視察し、その視察資料をもって伊豆大島に労農派の伊藤七雄を訪ね、大島農芸学校とともに、花巻の羅須地人協会の今後について相談し、その上で「上州屋」に長期滞在したのです。図書館に出掛け、芝居見物をしたとしても、賢治は羅須地人協会の活動の形を変えながら、父親や伊藤七雄とも相談の上、あのイーハトヴ空間、ポラーノの広場の「産業組合」など、新しい活動の準備を続けていたのではないか?そんな「上州屋」の賢治の姿を思い浮かべながらの写真です。
a0063220_15162642.jpg
a0063220_15172944.jpg
 
# by kenjitomorris | 2016-11-25 12:42
東京独逸学院で学んだ賢治と秀松
 11月22日、2011年の東日本大震災の余震らしいが、早朝から仙台では津波警報で大騒ぎ、新幹線も遅れたが、津波から避難するように上京、神田の学士会館に一泊しました。翌朝、神田の神保町にあった「東京独逸学院」の跡地を探して、メル友の平山君の協力を得ながら写真を撮りました。来年、2017年1月21日(土)、仙台市の隣の名取文化会館で開催の『賢治・秀松農民芸術祭』に展示する資料収集です。

 「東京独逸学院」ですが、宮沢賢治が盛岡高等農林2年生の1916年(大5)7月末から9月初旬まで、正確には7月30日から9月7日まで、1か月以上ですが、「独逸語夏期講習会」に受講するため通学した場所です。賢治にとっては二度目の上京で、麹町三丁目の栄屋旅館に宿泊して講習に通いました。その年の3月19日から31日まで、盛岡高等農林の修学旅行で初めて上京、西ヶ原試験場や駒場農科大学などを見学して、大きな刺激を受け、その年の夏休みを利用して東京でドイツ語の勉強をすることにしたのでしょう。

 この賢治のドイツ語の勉強に付き合ったのが、クラスメートで寮友の高橋秀松でした。しかも、盛岡の寮で同室、寝食を共にしていたからでしょう、高橋秀松と一緒に同じ栄屋旅館に泊まり、仲よく「講習会」に一緒に通い、日本を代表する「本屋街」の神保町の「東京独逸学院」で勉強したのです。東京での勉強だっただけに、盛岡での寮生活とは違った意味で、賢治と秀松の二人の間に、強い友情の絆が結ばれたことは想像に難くないと思います。賢治はニコライ堂、小石川植物園などを訪ね和歌を詠んでいますが、秀松も行動を共にしていたと思います。こんな手紙が残っています。

 御葉書拝見致しました。
 こちらに御出での間は色々御迷惑を掛けました御申し訳なく存じます。殊に御帰りの時は非常に急がせ申して済みませんでした。一般に見送りして行く者の方が見送られる人よりもつらい様でご在ます。あれから私は銀座を遅くまで歩きました。もう前の様に灯も私動かしません。即ち東京に飽きたのでございます。

 一足先に帰った秀松を見送った賢治は、一人で「銀ブラ」を楽しみながら、しかし「東京に飽きた」と言い、盛岡での秀松との生活に早く戻りたくなっているようです。ここにも賢治と秀松の交友の情が感じられます。

 写真は、「東京独逸学院」のあった現神田神保町2丁目24番地の表通りと裏道り、裏道りは落ち着いた喫茶店など昔の風情が残っている。
a0063220_18334168.jpg
a0063220_1835193.jpga0063220_1836189.jpg
# by kenjitomorris | 2016-11-24 09:13



賢治とモリスの館 - 最新情報
by kenjitomorris
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30
外部リンク
カテゴリ
全体
未分類
以前の記事
2019年 04月
2019年 02月
2018年 04月
2017年 09月
2017年 05月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 08月
2016年 06月
2015年 12月
2015年 08月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 09月
2014年 07月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 04月
2013年 03月
2012年 12月
2012年 09月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 05月
2011年 03月
2010年 12月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
フォロー中のブログ
賢治とモリス<研究ノート>
検索
記事ランキング
その他のジャンル
ファン
ブログジャンル
画像一覧