3・11文明の大転換とモリス・賢治の環境芸術(5)
 NHKスペシャル「どっこいいきている!」何度か放送されましたが、津波で壊滅的な被害のあった南三陸の漁村の話です。「驚きの孤立集落200人、不屈の復興物語」と紹介されていました。町の被害も大きかったが、行政の手が回らぬまま、見放された形で孤立した集落、しかし漁師の結束は固く、それを女たちがしっかりと支える。中途半端な行政の計画など撥ね退けて、文字通り自力の復興・更生を進めている感動の報告です。漁村の村落共同体=コミュニティが、今なお東北の三陸の僻地に「どっこいいきている」、未曽有の大震災から立ち上がる原動力を見せてくれたと思います。
 復興の掛け声にもかかわらず、計画づくりが進まず、計画ができても被災地住民の合意が得られない。さらに国の責任で復興の約束をしても、財政再建も進められない国家財政を当てにすることはできない。復興の主体は基礎自治体の市町村、と言われても、財源の裏付けがない空虚な主体に過ぎない。こうした中で、被災地住民の焦りは日々募るばかり、生きていくためには行政の力を待ってはいられない。したがつて、住民は自分たちの力で、地域の生活の再建を図る他なくなっています。
 とくに東北の農漁村では、まだまだ地区集落のコミュニティの絆、結束力が残っている。津波の破壊力も強いが、共同体の結束力も強い。その結束力で、行政の力を借りずに、自ら情報ネットの力を利用して漁船を自主的に調達し、さらに建設業者の協力を得ながら道路を造る。高台への移転も単なる移住ではない。集落共同体そのものの移転である。これは、もはや「行政自治」や、上からの分権のレベルを越えている。共同体の「住民自治」であり、「南三陸コミューン」の形成ではないでしょうか?
 こうした大震災の津波が引いた後の共同体の絆の強まりは、国家や行政の無力さの反映にほかなりません。最早、長期の過剰債務に喘ぐ国家に、信頼も期待も寄せられない。自民党の一党支配の長期政権が、民主党に交代しても、国民の生活本位の政治どころか、相変わらずの利益誘導型のばら撒きが続く。とくに大震災に直面して、危機管理の無能ぶりを曝け出した。党内の不和、対立が続くばかりか、首相の座を維持することもできない状態では、それだけでも政治への不満、不安、不信の増大は極限に達します。加えて財政の裏付けを持たない「不渡り手形」の乱発のような復興の政策や計画のばら撒きです。もはや行政は、頼りにならないどころか、むしろ混乱を助長する存在、目障りな無駄に映ってきている。こうした行財政の力の衰えは、現代の国家権力の無力化の表現だし、無政府状態へ移行ではないか?
 国家の役割も、歴史的に大きく変化してきました。近代国家はは、いうまでもなく「国民国家」ですが、日本でも徳川以前の前近代社会には、例えば幕藩体制の統治など、そもそも国家の概念は存在しなかった。近代社会の国民国家によって国家が初めて成立、日本のような後進資本主義では、初期の絶対主義的な国家権力が続きましたが、イギリスなど先進資本主義では、産業革命による経済的自由主義の支配など、小さな政府の「夜警国家」の時代も経過しました。機械制大工業で資本主義が経済的に確立し、資本の力で労働力を自由にコントロールし、社会を組織的に統合支配する傾向が生まれたからです。しかし、19世紀70年代末以降、ドイツ、アメリカなど後進資本主義の追い上げ、重化学工業による産業構造の高度化など、資本主義の世界史的発展に変化が訪れ、国家主義的な傾向が強まりました。
 モリスが『資本論』を読み、機械制大工業による資本主義の支配に批判を強めた、その時期は資本主義の歴史的転換期だった。初期の社会主義の思想も、その転換期を迎えて、イギリスでもマルクス主義が社会的影響力をもち始めた。マルクスは、資本による階級支配の「道具」に過ぎない、「国家の死滅」を考えていたし、モリスもまた国家主義の台頭に批判的意思を固めていました。モリスの反権力の意志は強く固く、従ってプロレタリア独裁型の権力奪取の国家社会主義や国家権力への介入による改良主義、参加型の社会民主主義の戦略にも批判的だった。むしろ無政府主義的な偏りを、エンゲルスから批判されるほどでした。
 20世紀の資本主義は、重化学工業化に基づく金融資本の発展から、帝国主義の国際対立を迎えた。夜警国家の「小さな政府」の時代は終わり、帝国主義戦争のための「大きな政府」、法治国家から政治的な官僚国家・行政国家の時代を迎えた。元々小さな政府は、租税国家の納税者による参加民主主義だったが、大きな政府への発展は、国債発行を前提とした大衆課税と大衆民主主義への転換でもあった。帝国主義戦争は、戦時国債の発行が不可避だし、租税国家も「公債国家」に転換する。また、民主政治も大衆民主主義による組織的動員体制が不可欠になった。一方の戦争の勝利者は、金融資本の帝国主義的植民地支配を強め、他方の敗戦国では、「帝国主義戦争を内乱へ」、そしてプロレタリア独裁型の権力奪取の国家社会主義の革命が必然化し、二度の世界戦争とロシア革命です。「戦争と革命」の21世紀です。
 第2次産業革命とも言われた重化学工業化による金融資本は、コンビナートの産業基盤整備など、19世紀産業革命の機械制大工業による産業資本の社会的組織統合のレベルを超えて巨大化する。株式会社の形式を利用し、産業資金を社会的に一般大衆からも組織的に動員して利用する。大衆民主主義は、「証券民主主義」に発展します。この様な金融資本の発展は、国家と資本との癒着を強め、戦争体制ともなれば、資本が国家を利用するどころか、資本の国家への従属です。とくに第2次世界大戦後、一方の「国家社会主義」のソ連が東の世界を支配し、アメリカを頂点とした西側の資本主義は、対抗的に「国家資本主義」として組織化されました。いわゆる戦後体制の東西2つの世界の対立です。「国家資本主義」と「国家社会主義」は、近代社会の資本主義が20世紀に産み落とした異様な「双生児」だったのではないか。
 レーニンも、金融資本による帝国主義については、名著『帝国主義論』を書きました。科学的分析として、鋭い考察を加えてロシア革命の理論的基礎となった。しかし、社会主義建設については、例えば1920年12月、第8回全ロシア・ソヴェト大会では、電力による重化学工業化の推進を基礎に、「共産主義とはソヴェト権力プラス全国の電化である」と定義し、国家社会主義と呼ばざるを得ないような主張をしています。日本の電力資本が喜びそうなスローガンです。そうしたソ連の国家社会主義に対抗するように、欧米資本主義もまた、国家独占資本主義とか、社会民主主義の参加介入と呼ばれるような発展を進めることになった。特に第2次大戦後は、戦勝国を代表する米ソを頂点とした冷戦構造による東西対立が、半世紀近くも続く異常な時代でした。
 こうした中で、国家の役割もますます強く大きくなる。東西対立は、東が共産陣営のプロ独のイデオロギー、西は「自由と民主主義」の価値観の共有でした。こうしたイデオロギーに基づく体制の組織化は、核軍拡による軍備の増大、完全雇用など社会福祉の拡大、技術開発の推進など、米ソを中心に体制間競争が激化しました。異常な時代の異常な競争でした。最初に破綻したのが東のソ連を頂点とした「国家社会主義」であり、80年代から体制の崩壊、ソ連も呆気なく91年崩壊し、ポスト冷戦を迎えました。中国などは、すでに「社会主義市場経済」の別の道を歩んでいました。
 西のアメリカは、唯一の超大国として生き残りました。ソ連崩壊に連動するかのように、共和党政権レーガン、英・サッチャー、日・中曾根など、新保守主義=新自由主義による、新たな体制の組織化に乗り出しました。しかし、核軍拡の産軍複合体制として組織化されたアメリカ、参加介入で肥大化した「福祉国家主義」のヨーロッパ、いずれも新たな資本主義の発展を期待できない。それどころか、超大国・米一極主義の「グローバル資本主義」を唱導するネオコンに担がれたジュニア・レーガンは、サブプライム・ローンによる金融バブルのリーマンショックで、08年世界金融恐慌の引き金を引くことになった。民主オバマ政権も、「チェンジ・改革」はスローガン倒れのまま、「アメリカ・モデル」は刻々と落日に向かっている。
 「ヨーロッパ・モデル」も、ソ連型プロ独・モデルにはイデオロギー的に対抗し、参加介入の社会民主主義の道を政権交代してきた。しかし、社民型モデルも「福祉国家主義」として、「大きな政府」を推進した。国家主義の枠組みは、国家社会主義と同じであった。モリスが台頭し始めたフェビアン協会に批判的だった理由も、そうしたイデオロギーの枠組みだったし、マルクスの「国家の死滅」とは異質な、参加型「国家の利用」への批判だったと言えます。「大きな政府」の枠組みのまま、アメリカ発世界金融恐慌への財政・金融政策を続ければ、長期債務の借金財政の頚木に締められ、過剰流動性を狙っての為替投機の翻弄され続ける以外にない。
 いま、アメリカ・モデルに続いてヨーロッパ・モデルが破綻する中で、モリスの「国家社会主義」批判と、共同体社会主義の今日的意義を確認する必要があるでしょう。19世紀末、国家主義の台頭する中で、「国家社会主義」のユートピア小説、ベラミー『顧みれば』を批判し、対抗して共同体社会主義のユートピア文学『ユートピアだより』の歴史的意義は大きい。モリスは21世紀、むしろ22世紀を目指しながら、共同体社会主義の夢を訴えていた。今日の国家主義の破綻は、モリスから見れば、ハモンドるじんが語った理想に向かう、一つの不可避的な過渡期の混乱として位置づけられるでしょう。 
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# by kenjitomorris | 2011-11-09 09:38
3・11文明の大転換とモリス・賢治の環境芸術(4)
                    『小さな町を呑み込んだ<巨大津波>』
    
                       「自然にはさからえないんです
                        はむかってはならないんです
                  自然と睦みあって、これからもこの命を大事に生きよう。」
                                          やまもと民話の会 編
 福島県の浜通りに接する宮城県山元町、面積は約65Km、人口も1万4千人ほどの小さな町、この町も巨大津波に呑み込まれました。多くの犠牲者を出し、名物だった北寄貝が流され、農家収入を支えた苺の畑も、すべて跡形もなく浚われた。「パソコンもない、机もない、ノートもない、だから真実が書ける」そんな思いで纏めた文集の冒頭の訴えです。「安全神話」の想定値による防災計画が、想定外の巨大津波に無残に押し流され、すべてを失った。その上で小さな漁村の民話の会の女性達が、自然への畏敬による睦み会いの心の大切さ、自然との共生に根ざした人々の助け合いの絆の大切さ、それを確かめ合うために纏めた文集です。地域に生きる生活者、「都人」である市民とは違う、「地人」として地域に生きる女たちの目線で捉えた、復興への確かな視座を学び取ることができると思います。
 3・11大震災の後、沢山のボランティアを含めて、人々の互いに思いやる心、精神的な絆の大切さが、殊更に強調されたように感じます。仙台七夕に全国各地から寄せられた沢山の折鶴を見ても、「復興と鎮魂」のキーワードは「絆」になった。生者の死者との絆です。そして思いやりや助け合い、さらに利己心とは逆の「利他心」が強調される風潮などは、明らかに価値観の転換に他なりません。個人主義や自己中心の利己主義、さらに自立や自主性といった価値観や人生観からの転換です。家庭や家族、地域の連帯の絆を求め、そこからさらに地域の共同体、コミュニティの復権が動き出している。
 しかし、考えてみれば、こうした価値観や人生観の転換の訪れは、逆に戦後の高度成長と近代化の流れの中で、いかに家庭や家族、地域の連帯の絆が引きちぎられ、人々が孤独と孤立の「無縁社会」に生きることになったかを示しています。都市の片隅で増加している孤独死に象徴される無縁社会、それは「血縁」、「地縁」、さらに「社縁」の絆が失われた、人間社会の崩壊現象だった。高度経済成長の近代化の果てが無縁社会の孤独死であり、それに追い打ちをかけるように襲ったのが、今回の3・11平成三陸大津波と原発事故、それによる放射能汚染と集団移転であり、故郷の完全消失ではないのか?
 すでに述べたように、高度成長が始まるとともに、地方の農村の若年労働力が、三大都市圏に大量流出した。この流出現象を、地域開発論の権威は「向都性向」、つまり都会に向かう人間本能から説明しました。人間本能により若者は地方の農村を捨て、自ら労働力を商品化して、サラリーマンとして企業に集団就職したわけです。都市の団地族の仲間入りして近代的な電化製品に囲まれ、ローンでクルマを買い、ローンでマイホームを建て、ひたすら個人の利便性・快適性を追求して自由に生きる。しかし、そうした都市生活は、労働力を商品として売り、サラリーを稼ぐ自由でアトミックな「経済人」の人生である。また、経済人の「核家族」として、共働きで自立を求めて家計を担う市民生活でした。
 この都市サラリーマンの市民生活も、近代社会の工業化による企業の発展と成長が続く限りはハッピーだった。しかし、高度成長から低成長、さらに「暗黒のデフレ経済」が続く中で、企業社会の安全と安定の傘の下で安住することが出来なくなった。企業内の福祉だった、病院や温泉地の保養施設が閉鎖され、会社のグランドは売り払われ、社宅の制度も無くなる。年功序列の終身雇用の制度が崩れ、派遣会社からの非正規雇用の労働力が増加する。企業年金の将来も不安なまま定年退職がやってくる。
 「向都性向」に促されるまま、故郷を捨てた都市サラリーマンは、都市生活者として自ら「地縁」を断ち切って、田舎から都会に出て来た。企業社会の終身雇用で、老後の生活保障も約束された筈だった。しかし、高度成長の企業社会の安全保障の期間は続かなくなリ、「社縁」の絆も切れ掛かっている。一度、故郷を捨てた都市サラリーマンにとって、有名人の「錦で飾る」お国入りは別だが、社縁を失っての孤独な帰郷は、自らの気持ちがまず許さない。もともと自由なサラリーマンとして、自立した「経済人」として、核家族の市民生活を続けてきた。自らを省みても、子供達に対して、同居の家族主義を求めることは出来ない。核家族は、加齢と共に夫婦家族に縮小、そして順次「血縁」も自然に切れて、単身世帯として独居せざるをえなくなる。無縁社会の必然性です。
 老人ホームの現実から見て、無縁社会の矛盾を、小手先の高齢化対策で解決できるとは思えない。近代社会の「経済人」の個人主義、自由主義、商業主義の価値観、人生観からの転換を求められているのではないか?3・11大震災によって、今や共通の合言葉、キーワードになった「絆」を取り戻し、新たなコミュニティの再生を図る文明の転換が要求されている。その文明の転換の構図は、モリスが100年以上も前に、ロンドンからコツッウォ-ルズへの舟旅の物語として描いた『ユートピアだより』の世界でしょう。それは、単なる空想小説ではない。マルクス『資本論』を読み、機械制大工業を基礎とする、近代社会の資本主義的生産様式の科学的解明、それに基づいたポスト資本主義である『社会主義』の理想の構図でした。ケルムスコットの村の農民、自分の別荘で生活の場だったマナー・ハウス、そして村の質素な教会の教区を舞台とするコミュニティ=共同体社会主義の世界です。
 1992年のソ連崩壊により「社会主義」のタームまで、すでに過去の遺物のように扱われ、顧みられなくなってしまいました。しかし、近代社会としての資本主義的生産様式の企業社会による、人間社会としての組織的統合が出来なくなり、まさに「無縁社会」として解体の危機に瀕している。それに代替するポスト資本主義として、「経済人」の個人主義、自由主義、商業主義を超えた新しい人間の絆、それが新しい地域コミュニティ=共同体の絆であるとすれば、モリスの共同体社会主義の思想が求められて良いのではないか?賢治がモリスから学んだものは、単なる芸術思想だけではない。モリスの工藝職人による「ハマスミス社会主義協会」から、彼は花巻の地で農民学校「羅須地人協会」を組織したように推測されます。だとすれば、賢治はロシア革命の国家社会主義とは異なる、モリスの社会主義に親近性を持っていた、そんな想像も出来るでしょう。
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# by kenjitomorris | 2011-11-06 12:22
3・11文明の大転換とモリス・賢治の環境芸術(3)
 3・11大震災からの復興は、その前に膨大な瓦礫処理から始めなければなりません。さらに震災復興には、様々な難題が立ちはだかっています。いくら『頑張ろう東北』と掛け声をかけられ、『復興に頑張ろう』と激励されても、復興が進むものでもない。むしろ復興需要を狙って市場獲得を目指す狡猾なコマーシャリズムのセールスではないか、そんな警戒心が頭をもたげてきます。
 東北に対する多くの励ましや、沢山のボランティアの援助にもかかわらず、被災地は次第に復興への希望を見失ってきています。復興は国や自治体の責任で行われる建前は強調されたにもかかわらず、肝心の財政的資金の裏付けがない。言うまでもなくバブル崩壊で「暗黒のデフレ20年」の中で、すでに日本経済は、世界でも最大とも言える借金財政の重荷を背負っている。中央も地方も、長期債務残高に苦悩し、復興どころか財政再建に四苦八苦しているのが実情です。
 財政の裏づけが不透明な上に、復興の計画づくりも頓挫したり、デッドロックに乗り上げている。計画づくりが進まない上、高台へ移転の計画を提示されても、高台の土地は値上がりする、津波に流された自分の土地が処分できない。職が無くなり生活の目処が立たない。仮設住宅を追われ、帰る家、住む家を失ったまま、生きて流浪する以外になくなってしまう、そんな暗い話が溢れそうになってきた。
 被災地では、職を失った人々が急増して、一方で失業問題が深刻です。瓦礫処理などの一時的臨時雇用で生き延びる状態です。しかし、他方では、瓦礫処理にしても、単純労働だけでなく、重機のオペレーターなどの技能者が必要です。これから復興が進めば進むほど、建設土木・建築に関連の技能労働力、つまり職人さんの技能労働力・クラフツマンが、絶対的に不足する深刻な事態が訪れています。統計上も、すでに型わく工、塗装工、鉄筋工の構造的な職人不足が続いています。内陸部でも、職人不足で、震災で落ちた屋根瓦の修理が出来ぬまま、ブルーのシートをかけたままが続いている。被災地の現場は、労働力の過剰と不足が共存する深刻なミスマッチが拡大しているのです。なぜ、こんな職人不足が生じたのか?
 日本経済の工業化による高度成長が進む中で、東北地方を中心に中卒・高卒などの若年労働力が「金の卵」ダイヤモンドと持て囃され、集団就職の列車で首都圏など三大都市圏に吸収されて行きました。さらに出稼ぎ労働力も増加し、「三ちゃん農業」など、農漁村の労働力は高齢化し、後継者不足が深刻化しました。70年代以降は、1ドル=360円だった外国為替の固定相場制が変動相場制に変わり、米国からの圧力も加わり、円高がどんどん進みました。いまや超円高の時代となり、海外から安い農畜・水産物の輸入が急増、食糧の自給率が急速に低下、特に東北の農山漁村は壊滅状態です。そこに3.11の大震災の原発事故で、集団移転を迫られ、村が消滅する事態に追い込まれた。
 東北の地域を捨てた若年労働力は、都市のサラリーマンとして企業に雇用され、団地族の仲間入りが出来た。労働力の商品化です。しかし、始めは終身雇用・年功序列の制度の下で、雇用も安定していた。しかし、高度成長で若年層が不足し、その賃金が上昇すれば、終身雇用・年功序列も崩れてくる。上記の円高が進んで、さらに国際化も進み、競争が激化する中で、海外からの追い上げが厳しくなる。安定していた雇用や賃金上昇も、派遣社員など非正規雇用の増加によって、不安定になる。もはや正社員中心主義は限界です。
 若年労働力の都会への流出で、農家が後継者を失っただけではありません。農山漁村や地方都市の商業も衰退、中心商店街もシャッター通りに変わりました。農家や漁家とともに商家も、さらに地方の中小零細家内工業もまた、後継者を失って家業を断念せざるを得なくなった。じつは、職人・技能者の多くは、企業にサラリーマンとして雇用されるよりは、家業として親から子、子から孫への技能の継承による家業経営として伝承されてきた。戦後の学校教育でも、職業教育やキャリア教育は次第に軽視され、ひたすら大学への進学教育に偏重してきた。学校教育を含めて、職人・技能者を育成し、「手作りの技」を教え込む技能継承の場が失われ、その結果として技能者の絶対的不足の危機を招くに至ったと実感します。
 3・11大震災からの復興を控えて、職人・技能者の絶対的不足の実態が、巨大津波によって洗い出された。高度成長の工業化と近代化による労働力商品化の拡大と深化が、一方では正社員主義の破綻と非正規雇用の格差社会を生み、他方では職人・技能者の絶対的不足が暴露されたのです。こうした現実が、たんに雇用の拡大や賃金の上昇のレベルを超えて、労働の価値を根本から考え直す、そして働くことの意味を問い直すことになっているのではないか?そして、モリスがアーツ&クラ仏運動の実践の中から、「芸術は、人間労働の喜びの表現である。Art is a man's expression of his joy in labor.」と強く訴えた。丁度150年前の1861年、モリス達は自ら工房で働きながら経営する「モリス・マーシャル・フォークナー商会」を立ち上げた。クラフツ・ギルドさながらに、喜びの表現として労働し、多くの工芸品を製作しました。モリスは、ともに働いていたクラフツマンとともに、彼の仕事場兼住宅のハマスミスのケルムスコット・ハウスで「ハマスミス社会主義協会」を組織して、工芸職人学校を実践しました。
 モリスの工芸運動を、宮沢賢治が岩手県花巻の地で、『農民芸術概論綱要』を準備し、「芸術をもて、あの灰色の労働を燃せ」と地域の農民たちに呼びかけ、羅須地人協会を組織して大きな足跡を残した。「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」灰色の労働を、喜びの表現に変える農民学校の実践だったと思います。平成三陸大津波による震災復興の中で、働くことの意義を考え、労働の価値を再認識することが強く求められているように思います。
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# by kenjitomorris | 2011-10-31 21:46
3・11文明の大転換とモリス・賢治の環境芸術(2)
 未曽有の大災害は、M9.0の地震災害もさることながら、あらゆる想定値を超える大津波、それに福島第一原発事故の放射能汚染による、天災に人災が重なった複合災害によるものです。33年前の宮城県沖地震がM7.4でしたから、地震の揺れはさほど大きいとは感じませんでした。被害も、後に続いた余震の被害が大きかったように思います。大災害になったのは、発生した大津波が沿岸部を襲い、津波軽視の「安全神話」で建設した原発事故と重なったことによることは否定できません。
 しかし、大津波にしても、三陸沿岸は元々津波の常襲地帯だった。例えば、賢治の生まれた1896年は明治三陸大津波、この時の死者は2万人を超え、今回より多数の犠牲者が出た。また、彼が亡くなった1933年は昭和三陸大津波、それに今度の平成三陸大津波(2011)です。津波の「生と死」から生まれた賢治文学、とくに「雨ニモマケズ」に、人々はいま救いと励ましを求めているのです。
 多くの犠牲者の上に、さらに残された瓦礫の山も、莫大な量に上ります。仙台市でも、年間のゴミの量の20数年分、最大は石巻市で106年分、気が遠くなる数字です。この瓦礫の処理が進まないことには、復興に着手できない。しかも驚くことは、瓦礫の山の大部分が、クルマをはじめとする電化製品など、重化学工業製品が占めていることです。我々が戦後、工業化による高度成長の近代化の中で、「三種の神器」「3K時代」などと言って追い求めてきた生活の利便性、快適性、そして画一性、その追求の結末が、巨大津波に押し流された瓦礫の山となって、風雨に晒されている現実です。
 とくに押し流された瓦礫の中で、クルマの残骸の多いのが目立ちます。クルマ被害が多いのは、災害時の避難の際、クルマを利用しようとして、渋滞に巻き込まれ、それが津波にさらに巻き込まれることで、被害が増加した。その点では、クルマ社会の悲劇として、生活の利便性が問われることになった。「昔から津波が来たら舟で沖に逃げる」、その伝承が原発の安全神話と共に忘れ去られ、クルマ社会の悲劇を生むことになったとも言えます。
 加えて、08年9・15のリーマンショックによる世界金融恐慌は、米のサブプライムローンによる消費者金融の信用破綻によるものでした。所得や貯蓄の十分な裏付けも無いまま、マイホームの甘い夢に踊らされて、ローンで家を建てる、ローンでクルマを買う、そしてショッピングセンターでカードの買い物、そんな大量生産―大量宣伝―大量販売―大量消費の近代工業社会の消費生活が破綻した。3・11の大震災は、さらに追い討ちをかけるように、津波の瓦礫の山の悲劇として、近代文明の暮らしの見直しを迫ったと思います。
 三陸大津波に生き、そして死んだ賢治の世界は、「雨ニモマケズ」「一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ」て暮らす生活です。大量生産による過食や肥満を否定し、「小サナ萱ブキノ小屋」の暮らしに、本当の心の豊かさと美しさを求めようとした。この賢治精神に、いま私たちは、近代文明を超える心のよりどころを求めようとしている。
 賢治の生まれた1896年、明治三陸大津波の年は、偶然にもロンドンでモリスが死んだ年でもありました。テームズ河の源流、そしてコッツウォールズも豊かな自然の中に、洪水の脅威を絶えず抱え込んでいます。最近でも08年夏、テームズ河の上流が洪水で氾濫し、多くの家屋や庭園が浸水の被害を受けたようです。前年の07年に宿泊したB&B「ミル・ディーン」も流されました。その写真をアップしますが、「世界で一番美しい村」コッツウォールズもまた、自然の豊かさ、美しさとともに、自然の驚異を抱えている。だからまた、自然との緊張関係から、自然の美しさと共生し、それを暮らしに生かそうとする芸術思想が生まれ、育まれたのではないか? コッツウォールズの村や町は、モリスの『ユートピアだより』さながらに、美しい自然と共に、今もなお17世紀の農家の建物が残り、それを利用した生活が続いています。中世からのクラフツ・ギルドの工房が生き残り、そこで親・子・孫の3代の職人さん達が、仲良く手づくりの銀器の制作に励む。しかも、21世紀のギルドらしく、クラフツ・ウーマンも銀器づくりに参加している、まさしく男女協同参加型ギルドです。
 クラフツ・ギルドだけではありません。マーチャント・ギルドの機能も残り、昔からの町の市場の建物では、そこで物々交換を含めた少量多品種、そして地産地消の野菜や果物の取引が行われている。ショッピングセンターではない、マーチャントギルドの市場の取引が行われ、市民がガーデニングを楽しみながら、キッチンガーデンで採れた新鮮な野菜などの食材を供給しあう風景が、テレビでも沢山紹介されています。
 モリスの共同体社会主義は、生活の豊かさを、大量生産ー大量消費の安価な画一化、過剰化ではなく、暮らしの中に芸術の美しさを採り入れるものでした。それは量産化の技術ではない。芸術と結びついた技能であり、手づくりのアートであり、クラフツマンの技です。彼の社会主義は、何よりもまず芸術社会主義であり、その実践はアーツ&クラフツ運動です。それは、近代社会の大量生産ー大量消費の暮らしを変えて、本当の手づくりの美しさを生活に取り入れようとするものです。
 モリスが1883年の講演で訴えた言葉、「生活に必要と思はないもの、美しいと思はないものを、家に置いてはならない。」これは、3・11の震災の後に残された瓦礫の山、そして近代工業文明の過剰消費に対する厳しい批判ではないでしょうか? 
 
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# by kenjitomorris | 2011-10-28 17:49
3・11文明の大転換とモリス・賢治の環境芸術(1)
 3・11の大震災の地震や津波の災害から免れた「賢治とモリスの館」でしたが、やはり仙台は被災地ですから、いろいろ影響が出て来ました。沢山の犠牲者や被災した方々もおられますから、やはり「自粛ムード」が作並温泉を中心に広がりました。その点でも、館の来訪者の数も少なく、あらためて災害の恐ろしさを考えさせられました。まだまだ瓦礫の処理も進まず、復興にも着手できない被災地のことを考えると、深刻に考え込まざるを得ない日々が続いております。
 そうは言っても、時間が変化をもたらします。秋を迎え、山々から紅葉が作並の里山に下りてくる季節が近づいています。来訪者の数も昨年のレベルに回復してきました。とくに、被災した方々の中で、館に「癒し」を求めて訪れる方も多いのに驚きます。そんな方々との会話を含めて、改めてモリスや賢治の「環境芸術」の思想を考える、とくに福島第一原発の事故による放射能汚染は、18世紀イギリスに始まる近代文明のあり方を、根本から考え直すことを、我々に強く迫っている。そこにまた、賢治やモリスの芸術や思想の今日的意味があるように感じて仕方ありません。少し書いてみたいと思います。
 まず、エネルギーの転換です。産業構造やライフスタイルの変化にとって、その基礎となるエネルギーが非常に重要です。18世紀イギリスの産業革命も、水力から蒸気、さらに電気エネルギーへの転換により、工業化が進んできました。特に重化学工業の発展は、電気エネルギー、それも石炭から石油への化石燃料の大量利用が、第2次大戦後は中東への依存を強めました。日本でも、戦後東北は地域のエネルギー資源、水力・石炭・森林・鉱物など、加えて農水産物資源による開発を目指しました。ところが、60年代の初め、いわゆるエネルギー革命により、石炭から石油への大転換が起こり、輸入資源への全面依存で、アラブの「石油漬」の生産と生活に変わって仕舞いました。しかし、70年代、2度の石油ショックで、脱石油が始まりましたが、その後地球環境問題が深刻化し、温暖化による再生可能エネルギーへの転換が急務になったわけです。ここで、スリーマイル島やチェルノブイリの原発事故があったにも関わらず、詐欺行為にも等しい原発「安全神話」による、原子力の平和利用の原発ブームが起こりました。東北の開発も、今度の福島第一原発は、全部70年代に集中開発、東北の「原発銀座」と呼ばれました。
 今度の3・11東日本大震災は、その東北の「原発銀座」を直撃、「安全神話」を一瞬にして浚い押し流してしまいました。多くの犠牲者を呑み込み、浚って行っただけではない。永久に除染して洗い流すことの出来ない放射能で汚染された土地、建物、自然を残してしまいました。人間の住むことの出来ない、死の町を残しています。人類の生存にとり、原子力利用は許されるのか?近代文明を支えていた、科学技術への信仰を続けることが出来るのか?3・11の大震災は、原子力VS自然エネルギーという形で、近代文明の機械・科学技術を問い直しを迫っているように思います。近代社会の工業化の機械文明から、脱近代の自然エネルギーによる産業や生活への変革を迎えたのではないか?
 モリスが自然環境から、彼のデザインを発想していたことは、柳やアカンサス、「イチゴ泥棒」の苺と鳥、蔓バラの「トレリス」など、さらに『ユートピア便り』では、地下鉄は「人生の蒸し風呂」と嫌悪し、別荘のケルムスコット・マナーへの旅も、汽車ではなく船旅のスローライフです。産業革命の蒸気機関や電気エネルギーではなく、自然エネルギーへの回帰による近代文明への批判でした。
 賢治に至っては、『注文の多い料理店』の序から、自然エネルギーの利用どころか、自然エネルギーで生きる人間の話です。引用します。「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風ををたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。」賢治は、「風をたべ」「日光をのむ」、まさに自然人なのです。化石燃料や原子力とは無縁であり、「月夜のでんしんばしら」でも、電気エネルギーを軍事力の心象風景としているように思います。恐るべき推理力です。 
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# by kenjitomorris | 2011-10-23 21:14
続:「銀河鉄道の夜」と「ユートピア便り」
 昨年は、『銀河鉄道の夜』と接する機会が多かったように思います。NPO法人「シニアネット仙台」の朗読グループ「注文の多い料理店」については、何度か紹介しましたが、今迄一度も賢治の『銀河鉄道の夜』を朗読する機会がありませんでした。もともと朗読を目的にしていないで、賢治に興味があり入会していますので、「一度は『銀河鉄道の夜』を取り上げて朗読しませんか?」と我侭を申し出て、皆で朗読することになりました。
 もともと賢治の作品、花巻の方言も入っていますし、独特の言葉の魔術を使っていますので、朗読としては決して易しいものではない。むしろ読みにくい作品です。また、『銀河鉄道の夜』は長いので、全部読むのには時間が掛かります。そこで、少し端折って読みました。もう一度、今度は全部読み切りたいと思っています。
 それから、『館だより』の<館の足跡>にも書いたのですが、10月末大阪で開催の学会出席の途中で、東京の「なかの小劇場」に立ち寄り、『銀河鉄道の夜』の朗読・演劇を鑑賞しました。宮沢賢治研究会のお勧めに従っての観劇でしたが、仙台の朗読をした後だけに、賢治の作品は、やはり演劇的要素が強いことを実感しました。とりわけ『銀河鉄道の夜』は、「新世界交響楽」が出てきたり、「星めぐりの歌」があったり、演劇や音楽が組み合わされ、朗読のジャンルには収まりきれない作品だと、つくづく思いました。
 一方、モリスの『ユートピア便り』ですが、彼の社会主義―マルクス・レーニン主義と対立する共同社会主義Communitarianismと呼ぶべきだし、それが社会主義の本流だった―との関連で、最近もう一度読み直し、その要約・紹介を試みました。エンゲルスからは、「センチメンタルな空想的社会主義者」と敬遠され批判されましたが、西欧の社会主義の思想の流れは、むしろモリスこそ正統な立場にあったと思います。『ユートピア便り』は、彼の社会主義の思想を、ユートピア・ロマンとして描いた文芸作品です。
 エンゲルスの『空想から科学へ』に代表される、マルクス・レーニン主義とは違って、テームズ川の水系の自然エネルギーを重視し、機械ではなく人間の労働の喜びを尊重し、家庭や田園のコミュニティに基づく生活の喜び、それをマルクス『資本論』から学んだ社会主義として主張しています。『ユートピア便り』は、モリスの社会主義の単なる夢ではなく、「一つのヴィジョン」だったのです。
 そんなわけで、昨年から今年にかけて『銀河鉄道の夜』と『ユートピア便り』、この2つの名作を読み比べ、あらためて賢治とモリスの文芸思想、社会思想の関係について、色々考えさせられた次第です。もちろん二人の天才の文芸や思想について、簡単に結論付けることは出来ません。まだまだ考えなければならないと思いますが、2人の2つの名作に、共通したものが沢山ある。もちろん違いも多いのです。
 国の違い、歴史の違い、と言っても1896年にモリスが亡くなり、その年に賢治が誕生した、生まれ変わりのような2人の接続関係があります。ついでに指摘すると、この年に明治・三陸大津波が起り、賢治の亡くなった1933年に昭和・三陸大津波、そして今年は平成・三陸大津波です。賢治の深層心理には、三陸津波が強く働いていた。そこに賢治の再評価もあるのかも知れません。モリスのテームズ川も、その源流のコッツウォルズは洪水の常襲地帯だし、彼の別荘ケルムスコット・マナーも洪水の危険に曝されていた。それがまた賢治・モリスに共通した自然に対する深い畏敬の念に繋がるのかもしれません。
 ただ共通点と言えば、銀河とテームズ川、鉄道と船旅の差異があるものの、共に河を遡上する旅であり、また夢をみてのファンタジック・ロマンの形式で書かれ、さらにユートピアと呼ばれ「イーハトヴ」と呼ばれる、二人の理想の世界が描かれている。それも現実との接点を持ちながらのユートピア小説である点で、賢治が何がしかの影響をモリスの『ユートピア便り』から受けているように思わざるをえません。少なくとも賢治は、モリスなど欧米のユートピアロマンの形式で、羅須地人協会の経験を踏まえながら「イーハトヴ」の世界を書きたかったと思います。それが名作『銀河鉄道の夜』だったのでしょう。
 さらに賢治・モリス問題としては、予てからマイミクシィのヤジュルさんなど賢治研究の先輩達から提起されていた論点、賢治の日蓮宗など宗教観とモリスの社会主義、共同体主義の宗教の位置づけとの関連があります。賢治の『銀河鉄道の夜』は、言うまでもなく列車に乗り込んでくる乗客の話、カンパネルラの父親の発言など、宗教的救いの色彩が強い作品です。その点、モリスは宗教を否定する社会主義者で、『ユートピア便り』は宗教を否定するイデオロギーで書かれているのではないか?そういう誤解があり、それが賢治・モリス問題の背景にあるように思います。
 しかし、もう一度『ユートピア便り』を読んで頂ければ、モリスの共同体主義の理想像の究極は、その扉絵にあるとおりケルムスコット・マナーであり、しかも彼の墓がある村の小さな教会での「乾草狩り』が終わっての感謝の祝宴なのです。モリスの共同体主義は、教会を中心に教区を単位として、地域コミュニティの統合を教会に求め、その倫理も宗教的色彩の極めて強いものです。今、モリスとバックスとの共著『社会主義―その発展と成果―』を訳していますが、いずれ詳細に論じたいと思います。
 さらに、『ユートピア便り』のタイトルです。岩波文庫をはじめ、戦後は『ユートピア便り』に統一されましたが、始め堺利彦の抄訳は『理想郷』、その後、戦前では『無何有郷だより』『無何有郷通信』でした。英文は、"News from Nowhere"です。「何処からともつかない」「何処からかの」通信です。空間的には、2次元3次元を超えた、時間も歴史的時間、未来社会としての4次元空間、それが4次元空間芸術としての『銀河鉄道の夜』であり、モリスの”News from Nowhere"だとすれば、賢治とモリスの二人の名作は、いずれも宗教を否定しない共同体主義のファンタジック・ロマンとして、ポスト資本主義の未来社会を描いているのではないでしょうか?

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# by kenjitomorris | 2011-05-03 20:39
「銀河鉄道の夜」と「ユートピア便り」
 はじめに、すでに「賢治とモリスの館」がオープンし、今年もカタクリの群生、ピンクのカーぺットさながらに、見事に咲いています。ただ、今春の作並地方、例年に比べ雪の量が多く、寒さも長引きましたので、大型連休中もカタクリの花、咲き続けると思います。東日本大震災で、自然の脅威を見せ付けられましたが、例年にも増して美しく咲き誇っているカタクリの群生を見ていますと、人間は自然に対して、何時も謙虚に接し続けること、そして自然の美しさを大切にする温かい心が大切だと、つくづく思います。今回の原発災害にしても、人間の自然対する傲慢な驕りの結果ではないか?原子力の安全神話も、科学技術万能、経済性優先が生み出したもので、多くの被災者が犠牲に曝されてしまった。こうした現実に生きなければならないだけに、賢治やモリスの環境芸術の思想に立ち返る必要性を痛感します。皆さん、如何お考えでしょうか?

 賢治の寓話の中で、その代表作と言えば、ご異論があるかも知れませんが、私は『銀河鉄道の夜』を挙げたいと思います。まだ未完のようですが、かなり長期にわたり彼は推敲を重ねましたし、羅須地人協会の活動と重なる晩年、―と言っても、若くして逝った賢治には晩年は無いのですが―最後に近い作品であることなど、賢治の全霊が込められているように思います。彼が『銀河鉄道の夜』を書き残してくれたことに、感謝の念を禁じえません。
 モリスも沢山の作品がありますが、私的な思想的好みが加わりますが、何と言っても『ユートピア便り』を代表作に挙げます。彼の共同体社会主義、NHKで一躍有名になったハーバード大のサンデル教授のCommunitarianism共同社会主義の元祖でしょうが、その思想の文芸的作品こそ『ユートピア便り』です。ご存知の通り、日本で最初に堺利彦により『理想郷』として抄訳され、現在は岩波文庫にも入っています。ロンドンからテームズ川を遡上して、「世界で一番美しい村」コッツウォルズのモリスの別荘ケルムスコット・マナーへの船旅のユートピア・ロマンです。
 賢治はモリスを読み、多くを学び、羅須地人協会の講義でも、モリスを紹介していたことは、すでに拙著『賢治とモリスの環境芸術』にも書きました。モリスの「共同社会主義」の思想から、大きな影響を受けていたことは否定できないでしょう。とすれば、二人のそれぞれの代表作、『ユートピア便り』と『銀河鉄道の夜』の間に、どんな関係があるのか?無いのか?
 あるとすれば、具体的にどのような点なのか?賢治は『ユートピア便り』を読み、影響を受けていたとも言われますが、しかし二人の関係を切断する研究も有力です。それだけに2つの作品の関係はa0063220_840251.jpga0063220_840213.jpg、モリス・賢治問題の大きな論点になると思います。これから色々考えてみましょう。
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# by kenjitomorris | 2011-05-02 20:42
「賢治とモリスの館」無事、奇跡でした。
 ご無沙汰しました。この間、沢山の方からお見舞いのご連絡を頂き、心からお礼申し上げます。
 「館」の関係者は、仙台でも地震の災害だけの内陸部に居住しておりましたので、全員無事に過ごしております。しかし、沿岸部の津波の被害が大きく、とくに犠牲になられた方には、お気の毒で言葉がみつかりません。ただただ、ご冥福を祈るばかりです。また、被害を受かられた方々、心からお見舞い申し上げるとともに、一日も早い復旧をお祈りします。お元気でお過ごし頂き、またお会いできる日をお待ち申し上げます。

 さて、作並の「館」ですが、昨日雪の中を出かけて、無事安全を確認して参りました。同じ仙台でも、津波に呑まれて跡形も無くなってしまった沿岸部と違い、広瀬川を遡上しますと、作並に近づくに従い、地震で損壊した瓦屋根も少なくなり、被害が僅少であることが分かります。数日前、固定電話が通じるようになり、「館」から20-30メートルしか離れていない日蓮宗の尼寺「慈光院」さんに周辺の安否をお聴きした際、「ほとんど被害がありません、館も大丈夫でしょう」との情報を頂きました。
 まず、慈光院さんにご挨拶、「全く被害なし、これこの通り!電気も水道も大丈夫」「日蓮上人のご加護ですね」、除雪の道具・スコップなどお借りし、まだ腰の上まで積った雪を、掻き分け掻き分け「雪中水泳」で「館」の庭から玄関に辿り着きました。「討ち入り」さながらに室内に入ったところ、何一つ変わらず雪の中に静かに眠ったままなのです。沢山の掃除道具を持ち込んだのが恥ずかしいくらい。モリスのコーヒーカップが飛び出して転がっていましたが、ヒビも入らず無傷でした。

 そんな訳で、水道・電気など、部屋の内部を一応チェック、無事を確認しました。思わず「これは奇跡だね!」「賢治さん、モリスさん、有難うございます。」例年より積雪が多い中、もう少し冬眠を続けたい感じの「館」から、早々に帰途につきました。皆さん、ご心配有難うございます。雪が消え次第、そして待ちわびているカタクリの群生をご覧頂けるよう、オープンの準備をさせて頂きます。

 なお、「賢治&モリス<館だより>」2011年春季号、すでに印刷し、封筒も準備しておりました。ただ、あて名印刷のためのプリンターが不具合で、さらに大震災のため、最後の作業ができません。少し落ち付くのを待ち、発送させて頂きますので、少しお待ち下さい。
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# by kenjitomorris | 2011-03-27 12:28
脱ダム宣言:ダム水から沢水の水道へ
 10月に書きましたが、作並の温泉街を中心に、地域の活性化を狙ったトレッキング・マップ作りを始めました。宮城学院女子大学の先生、ゼミの学生さんにも協力して頂き、「地図を持って里山を歩こう」というわけです。「賢治とモリスの館」を根城に、すでに何回か集まり、山や沢を歩き回りました。そして、次々に新しい発見に驚いています。「館」をオープンして約8年ですが、地域のことを知らなかった不明を恥じるべきですね!
 
 自分自身が感じていましたし、「館」の来訪客の皆さんから指摘されていたのですが、「この館の水は美味しい」、水道の水を褒めて頂いていました。その秘密が明らかになりました。トレッキングのルートを、広瀬川の水系に沿って調査したのですが、「館」の近くにある水道局の浄水場のヒアリングで、仙台の市内の水はダムの水がほとんどだが、作並の温泉街や「館」は、広瀬川の源流の沢水から取水している、とのことでした。
 同じ仙台市の水道局、同じ水道料金で、水道の水がダムの水と沢の水の2種類なのです。浄水場の方の説明では、ダムの水に比べ、沢の水が格段に美味しい。「館」の水道の価値を初めて認識しました。ダムの水が多くなるに従い「水道の水は不味くて飲めない」、そこでペットボトル入りの水が自動販売機で大量販売されるようになった。しかし、本当の沢の水の味は、「館」でお飲みいただくのが最適ですね。

 そんな訳で、雪の積もらない中に探索しようと、わが浄水場が90%取水している、「熊沢林道」をトレッキングしました。この林道、「水源保安林」と呼ばれ、広瀬川の源流の「熊沢」に沿って、道幅も広く、ブナの林が広がり、滝や堰堤もいくつかあり、さらに道沿いに自然の泉が、次々と湧き出ているではありませんか!この泉の水こそ、わが「館」の水道の水なのです。
 「館」から歩いて15分か20分、後期高齢者にも簡単に出かけられるトレッキング・コースです。泉で水を汲み、「館」の部屋で喫茶を楽しむ。それこそ、自然の恵みを飲み、賞味する、暮らし方、生き方だと思います。来春、御来館の節は、是非トレッキングをお楽しみ下さい。ご案内します。
 
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# by kenjitomorris | 2010-12-28 22:49
岩手県公会堂のモリス壁紙
 秋は学会シーズンですが、今年の最後は経済地理学会の北東部会の例会が、12月4日盛岡市で開催されました。会場が、有形文化財に登録されている「岩手県公会堂」と言うこともあり、報告することにしました。
 報告のタイトルは「自然エネルギーと宮沢賢治―羅須地人協会と花巻温泉郷」、簡単に報告の要旨を書かせてもらいますと、オバマ大統領の「グリーン・ニューディール」もあり、地球温暖化対策として「低炭素化経済」への移行が関心を高めています。そして、水力、風力、太陽光、温泉熱など、自然エネルギーへの回帰が強調されて来ました。次世代送電網スマート・グリッドなどが、俄かに脚光を浴びてきました。スマート・グリッドから、自然エネルギーに基づくエコ・シティなど、スマート・コミュニティの街づくりに、大手ゼネコンも乗り出すようです。
 産業構造の「大転換」とも言えると思いますが、それにつけても宮沢賢治やW・モリスの自然エネルギーに根ざした芸術・社会思想に立ち戻って、街づくりも考え直さなければならない。そこで、モリスの別荘があり、最近またBSハイビジョンで「世界で一番美しい村」として紹介された英・コッツウォールズの毛織物工業、それに賢治の花巻温泉郷が、いずれも自然エネルギーに基づいた産業構造だったことを訴えました。冒頭に、賢治の『注文の多い料理店』の「序」を朗読しました。
 「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
 またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石入りのきものに、かわっていのをたびたび見ました。
 私は、そういうきれいなたべものやきものをすきです。」
 賢治の文学は、風力や太陽光の自然エネルギーですが、賢治の花巻農学校から羅須地人協会の時代、会場の岩手県公会堂が昭和2(1,927)年に開館しました。設計者も同じ、東京の日比谷公会堂とならぶアールデコ調の公会堂で、巨額な建設費が懸かったそうです。建設費の捻出をめぐり、賢治の花巻農学校でも意見が対立、とくに「公会堂建設の費用捻出に街道の松並木の伐採の是非をめぐり、1925年(大正14)4月、農学校で<松並木伐採問題討論会>をかいさいしました。賢治は反対論で、同僚の白藤慈秀は賛成論で生徒を支援しましたが勝負はつかず、最後に校長が<賛否両論を聞いたがすべての物の見方には二つの立場がある。‐‐‐諸君もこの討論会を通じて、物には現実と理想の両面の見方があるということを知ったと思う>と講評しました」(『賢治 その時の盛岡』62ページ)
 賢治は環境派の理想論ですが、43万8千円の総工費の約半分20万円が市民の寄付だったそうです。だからこそまた、現在も盛岡の市民は歴史建造物として大切に使い、学会の会場にも利用されているのです。この会場で、賢治の自然エネルギーについて報告するのも、何かの縁だと思いましたが、さらに驚くべきことを発見したのです。
 会場は、現在は会議室として市民が利用していますが、元は盛岡で最高級の西洋料理のレストラン『公会堂多賀』の大食堂だった部屋なのです。アールデコ風の家具が置かれ、何と壁紙はモリスでした。学会報告を中断、しばし会員の皆さんにモリスの壁紙とともに、賢治の自然エネルギーの思想を実感してもらいました。『公会堂多賀』の食堂そのものは、いま地下に移転しましたが、営業していました。
 さすが賢治の「イーハトヴ」の盛岡です。歴史建造物の食堂に、モリスの壁紙を四方に張り巡らしているのです。ダイニングルームのモリス・ルームは、ロンドンのV&Aの食堂だけではなかったのです。盛岡の公会堂にもあったのです。賢治とともに、モリスの価値を大切に保存し、生かし続ける盛岡の「都市の品格」をしみじみと感じます。その会場で、恐らく生涯最後になると思う学会報告ができた喜びを抱きしめながら、その日青森まで開通した東北新幹線で仙台に帰りました。
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# by kenjitomorris | 2010-12-06 14:31



賢治とモリスの館 - 最新情報
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