日本のなかのイギリスに出会う
 今年も4月、仙台・作並の「賢治とモリスの館」オープンしました。雪が例年より早く消え、西から桜前線が急北上していましたので、例年カタクリの群生、仙台では桜の満開と重なりますので、早く咲くと予報しました。この予報、地震や津波の「予知」が不可能だし、天気予報も当たりません。ましてや当方の「カタクリ開花情報」は完全に外れました。桜前線も仙台の直前で足踏み、カタクリの花も桜に同調し、ここへ来てようやく桜の満開とともにカタクリも全面開花を迎えております。足踏みをした分、例年より花の色が濃いように見えます。いま、館はピンクの絨毯に囲まれ、これから連休にかけて山野草の花園になります。

 春のオープンに合わせたように、「イギリスを楽しむためのライフスタイルマガジン」―『RSVP』2013年春号が刊行されました。特集が2つあり、一つは「ロンドンの注目ホテルで体験する魅惑のアフタヌーンティーの世界」でザ・サヴォイやザ・ゴーリングなどの一流ホテルの紹介です。
 もう一つが「日本のなかのイギリスに出会う」特集で、ホテル3ヵ所、ショップ・ティールーム16ヵ所、それにGallary and Museumとして10ヵ所紹介されています。わが館も「森のミュージアム 賢治とモリスの館」のタイトルで半ページですが紹介されました。東北では、わが館1ヵ所だけのようです。写真ご覧ください。

 すでに紹介しましたが、仙台のアイドル歌手『ドロシーリトルハッピイ』が、「賢治とモリスの館」を「ドロシーのお家」として、仙台とともに紹介してくれました。彼女たちはまた、仙台市が「エコ・シティ」の広告宣伝のキャンペーンの歌を作り、それも奥山市長と一緒に歌っています。環境芸術の「賢治とモリスの館」、仙台市のエコ・シティとつながります。広瀬川の源流・作並は、仙台「エコ・シティ」のシンボルになるでしょう。
 その彼女、先日「ドロシーのお家」に帰ってきて、第2のフォトブックを作るので撮影していました。全国的に評判が良いそうです。モリスも驚いているに違いありません。
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# by kenjitomorris | 2013-04-17 22:16
「仙台・羅須地人協会」がスタートしました。
 この冬は雪が深く、雪害が多発しております。まだまだ油断はできませんが、3月を迎え急速に春が近づいてくるような気配です。冬の到来が早かっただけ、春もまた早く来る。春を待ちわびる気持ちが募ります。
 「賢治とモリスの館」、例年通り目下のところ深い雪の中で休館させて頂いておりますが、庭のカタクリの群生と共に、春の到来を待ちわびているに違いありません。4月早々にオープンしたいと思います。

 さて、「館」のオープンに先立ち、ご来館の皆さんの有志の方々が運営委員になり、3月2日に仙台市内にオフィスを確保して、「仙台・羅須地人協会」をスタートさせました。運営委員会が協会の組織、運営、規約など、さらに検討を重ね、広く皆さんにご協力頂きたいと思っております。宜しくお願いします。

 簡単に経緯を述べますと、「館」オープンして今年の秋、10年を迎えます。最近は、アイドルグループ「ドロシーリトルグループ」が「ドロシーのおうち」にしたように、広く若い人たちも含めて、豊かな自然の中にウィリアム・モリスや宮沢賢治の精神を求めてご来館頂けるようになりました。
 そんな折、3・11東日本大震災が起こり、その後10月8日に、近畿や東京の生協など協同組合、労組、NPOの関係者が、仙台で「協同の力で復興を」のスローガンで全国的なシンポを開催しました。私も呼びかけ人を代表し、「世界全体が幸福にならないうちは,個人の幸福はありえない」の賢治精神で震災復興を訴えました。もちろん「賢治とモリスの館」のPRもさせて貰いました。それが機縁となって、昨年、東京、大阪と並んで震災の現地・仙台にも、「復興協同センター」がオープンしました。

 さらに、「復興協同センター」のお勧めもあり、NPO法人シニアネット仙台の朗読グループ「注文の多い料理店」の有志が事務局を担当し、「仙台・羅須地人協会」をスタートさせることにしました。活動として東京、大阪とタイアップして、賢治が花巻で農民学校「羅須地人協会」を開き、その昔モリスもロンドンのハマスミスで職人学校「ハマスミス社会主義協会」を開いて共同体主義の教育を試みた、そうした新しい開かれた豊かな暮らしを創造する「学校」を目ざしたいと思っております。

 新しい「学校」の教室は、「復興協同センター・仙台」の事務所
    仙台市青葉区上杉1-6-10北辰ビル4F「復興協同センター」
           ℡022-797-0162
    
    連絡先 大江 ℡080-2815-3007 
   
 もちろん作並の「賢治とモリスの館」も、すでに昨年、一昨年とモリス展のセミナーを開催しておりますので、「仙台・羅須地人協会」の重要な新しい教室になると思います。皆さんのご理解とご協力を切望します。
 写真:モリスの自宅が職人学校だった。現在は、「W・モリス協会」事務所
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# by kenjitomorris | 2013-03-06 21:10
『賢治とモリスの館』は「ドロシーのおうち」
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 今年は雪が早く、「館」は予定を繰り上げて早めにクローズしました。ご予約を希望された方には、大変ご迷惑をかけました。自然力には敵いませんので、是非4月のオープンまでお待ち下さい。きっと来春、美しいカタクリの群生が皆さんをお迎えすると思います。

 そんな年末押し詰まって、5人のアイドルユニットDorothy Little Happyのフォトブック『杜の都のドロシー』(12月25日発行、廣済堂出版)が贈呈され、送られてきました。5人の若い美女の写真が表紙を飾り、ページを開くと
 「はじめまして、ドロシーリトルハッピーです。」
 ご挨拶から、わが「賢治とモリスの館」の全景がバックです。
 そして、「もくじ」につづいて「ドロシーのおうち」は、裏の国有林を背景に「館」の写真です。
 その後も、5人のアイドルが次々にコッツウォルズの小屋、ケルムスコッツの庭のバラ、ドームの下で、さらにグリーン・ダイニングルームのソファーでモリスのクッションに凭れて、ステンドグラスの傍らで、そして5人お揃いで豪華なランチを美味しそうに!

 すっかり華やいだ5人の美女による「ドロシーのおうち」『館』の紹介に続いて、5人それぞれのBiography、さらにドロシーの活動のフォトアルバム、それから5人のホームタウン仙台の紹介です。仙台港から市内のスタジオ、そして「ドロシーの休日」は広瀬川の清流、最後は再び「ドロシーのおうち」に帰り着き、「森のミュージアム:賢治とモリスの館」で読者へのメッセージです。
   「Dorothy in The City of Trees :ドロシー5人が書きつないだ妖精たちの物語」

 こんな構成で、今や仙台に生まれ全国的に活動の場を広げたアイドルユニットDorothy
Little Happy のフォトブックが、我が『賢治とモリスの館』を「ドロシーのおうち」として紹介してくれました。有難うございます。

 じつは10月はじめ、「写真を撮りたいので庭を貸して欲しい」との申し出でがあり、軽い気持ちでお貸ししました。すっかり気に入り、「次の日も借りたい」との事でお貸ししましたが、とくに「館」のオーナーとして立ち会うこともなく、自由にお使い頂きました。まさか、こんな本になるとは思ってもいませんので、驚くばかりです。

 本を手にして、アイドルユニットの命名者はプロデューサーの方だそうですが、
「『オズの魔法使い』の主人公ドロシーのように、優しく勇敢な気持ちを持ちつつ、小さな幸せにも気付くような子達であって欲しい」との願いからの命名だそうです。

 我がホームタウン仙台に、市民とともに守りつづけてきた清流・広瀬川の源に、ウイリアム・モリスの理想郷、宮沢賢治のイーハトボの夢を、受け継ぎ、育み、拡げたい、そんな願いを込めて森のミュージアム「賢治とモリスの館」をオープンして9年になります。

 広瀬川の河口は、東日本大震災の津波で洗い浚われてしまいました。しかし、そこに今年も来年も「花が咲く」、源流の作並の「館」の庭にも、見事なカタクリの花の群生が咲き続けています。そこに今度、Dorothy Little Happyが、「小さな幸せ」を求めて「ドロシーのおうち」を決めて呉れました。モリスも宮沢賢治も、きっと喜んでいるでしょう。a0063220_9184018.jpg
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# by kenjitomorris | 2012-12-31 21:01
漱石が購入したモリス
 今や国民的作家とも言える夏目漱石ですが、始めての文部省留学生として、1900年から足掛け3年間ロンドンで生活し、その下宿先の反対側には1984年「ロンドン漱石記念館」も造られています。しかし、彼のロンドン生活は、持病の神経衰弱が悪化し、日本では「漱石発狂す」といった悪い噂も流れました。そのため、文部省からの電命で帰国を促された、とも言われています。しかし、漱石の日記など、確かに一人で留学してストレスが大きかったものの、「発狂」したわけではない。同じ時期に、ドイツ文学の研究でベルリンに留学していた藤代素人が、ロンドンに立ち寄ったときの様子では、「夏目君の片鱗」(『漱石全集』昭和3年7月、第五回配本、月報第5号)などに書かれていますが、単に漱石の持病が「大袈裟に当局者の耳に響いた為」とされています。漱石は心配をかけた素人を、モリスがデザインしたグリーン・ダイニングルームもある現在のヴィクトリア&アルバート・ミュージアム(B&A)の「世界で始めてのミュージアム・レストラン」に案内し、2人の留学生活の無事終了に乾杯したそうです。これらの事情については、すでに2010年4月から5月にかけて、この日記に「漱石とモリスの接点を探る」と題して何度か書きました。ご参照下さい。
 また、そこにも書いて紹介しましたが、漱石の日記だと1901年7月9日、ロンドンの書店街「HolbornニテSwinburne及Morrisヲ買フ」とあります。漱石はモリスを勉強しよう思って、彼の著作を買い込み、その後9月7日、さらに21日の日記では、「Morrisヲ連レテ散歩ス」など、ハイドパークでモリスを読みながら、さらにモリスの工芸作品が沢山ある上記の「B&A」に立ち寄り、グリーン・ダイニングルームで食事をしていた、そんなことが想像できます。そして留学の最後には、心配して立ち寄ってくれた藤代素人と共に乾杯した。そう考えると、神経衰弱で苦しんだことは確かでしょうが、漱石はモリスについて勉強していたし、その成果が、漱石の国民文学として結実したのではないか、漱石のロンドン留学ではモリスの研究も、極めて重要だったのではないかと思います。
 そこで、モリスがロンドンで購入したモリスの本ですが、『漱石全集』第20巻に「漱石山房蔵書目録」があります。それで探しますと、その中の英文学、芸術の部分に3冊ありました。

 1、The Earthly Paradise.London:Longmans,Green&Co.1900
 2、Lectures on Art. Delivered in Support of the Society for the Protection of Ancient       Building, by W.Morris and Others. London:Macmillan&Co. 1882
3 Art and Its Producers, and the Art and Crafts ofToday.London:Longmans&Co.1901  
 
 
 なお、漱石の蔵書は、「漱石文庫」として、東北大学の図書館に集められました。漱石の高弟で、小説『三四郎』のモデルだと言われている小宮豊隆教授が、大学の図書館長だった縁で、貴重本「漱石文庫」として寄贈されたからです。小宮教授は、1924年に東北帝国大学に法文学部ができる時、宇野弘蔵、土居光知とともに創設に参加され、その後図書館長も務められ、「漱石文庫」が設置されるのに尽力されました。
 そこで「漱石文庫」ですが、データベースを検索したら、5点出てきました。しかし、1点は別人のモリスの著作が紛れ込んでいて、4点でした。上記の3点に加えて

 4、Volsunga saga. tr. by E.Magnusson & W.Morris, ed. by H.H.Spar

 以上4点を、「貴重図書閲覧許可書」により、館員の立会いのもと確認、さらに日を改めて「貴重図書撮影許可書」に基づき、指定業者によって、特別に撮影してもらいました。下の写真がそれですが、ほかに写真2枚、さらに漱石の日記の該当箇所の写真も手に入れました。
 賢治の原稿のコピーとともに、仙台・作並の「賢治とモリスの館」のグリーン・ダイニングルームに置きますので、ロンドンの漱石を偲びながらご閲覧ください。


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# by kenjitomorris | 2012-09-25 16:09
宮沢賢治:東北砕石工場について(1)
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 6月16日、JR大船渡線「陸中松川」駅前にある、『石と賢治のミュージアム』東北砕石工場を見学しました。もともと1998年2月の「週刊金曜日」のコラムに作家の林 郁さんが「デンマークのケンジ・ステファン(1944生)から、岩手県東山町の実家の話と複写の古写真が届いた」として、賢治が死の直前に働いていた東北砕石工場の話が紹介された。そして、工場主の縁者であるケンジ・ステファンさんについて、「親の苦労を見て育ったケンジさんは23歳でデンマークに渡る。現地の女性と結婚、国籍をとり、大使館を辞め、環境問題に取り組むため、研修所<風のがっこう>を創った。賢治が教師を辞め<羅須地人協会>を創ったように。」
 林さん達は、デンマークのケンジさんの「風のがっこう」を訪問され、次のように書いておられる。「デンマークの再生エネルギー・風力、バイオガス、ソーラーや地域の廃棄物処理を学び、環境保護法や1985年に原発を否決した賢さに頷く」と。賢治の羅須地人協会が、ウィリアム・モリスの社会主義や実践を日本の花巻で継承、さらに今日は賢治の羅須地人協会がデンマークの「風のがっこう」に受け継がれ、自然再生エネルギーによる脱原発になって歴史を変えている、そう感じました。そうなれば現場の東北砕石工場を見て、賢治の活躍を調べ直そう、そんな目的での「陸中松川」行きでした。NPO法人シニアネット仙台「賢治教室」の10人が同行しました。

 じつは「東北砕石工場」行きには、もうひとつの目的があります。それは、賢治が花巻農学校を退職、羅須地人協会を始めたものの病気で倒れ、協会を再開しないまま砕石工場の「技師」として働き、病気再発で世を去ってしまった。この間の砕石工場と「技師」賢治の位置付けです。林さん達もそうでしょうが、賢治は羅須地人協会を病気のため中断したあと、病気が一時回復したので、協会の活動の継承発展として、砕石工場の技師として働いた、しかし病気が再発、協会の再開が出来ないまま、生涯を閉じてしまった。拙著『賢治とモリスの環境芸術』で紹介した協会の生徒で、満州事変に出征したい伊藤与蔵さんの「賢治聞書」など、羅須地人協会の再開は賢治も生徒も当然のこととされていた。だからこそ、砕石工場の縁者が、デンマークの地で「風のがっこう」として、協会が継承されている、こんな評価が出来ると思います。
 ところが宮沢賢治の研究者の中には、とくに文学系統の研究者に多いようですが、全く別の理解をしているようです。花巻農校の退職時に「農民芸術概論綱要」を書き、羅須地人協会の活動を始めたが、権力の弾圧や病気で2年半で挫折し敗北。賢治は病気回復の中で、それまでの考えや行動を反省し、志を変え転向の末に、砕石工場の技師としてサラリーマンに変身、モーレツ社員として働かされて、遂に働きすぎの「過労死」、賢治は絶望の果てに死を迎える悲劇の人物だった。ざっと、こんな筋書きになるのです。

 しかし今回、陸中松川の砕石工場を訪れ、「石と賢治のミュージアム」で、我々シニアネット仙台を待っていたシニア・ボランティアの女性の熱のこもった説明を聞く限り、宮沢賢治「技師」の実像は、一部の文学研究者の虚像とは違いました。さらにミュージアムの館長だった伊藤良治さんの『宮沢賢治と東北砕石工場の人々』(2005年国文社)刊を、記念に買い求めて一読した限り、詳細な実証研究により賢治の実像がはっきりしてきました。「農民芸術概論綱要」から羅須地人協会の宮沢賢治は、その継続発展として砕石工場の技師として働き、倒れた。「銀河鉄道の夜」、そしてイーハトボの夢に生き抜いた。そんな賢治の実像を、もう少し検討したいと思います。
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# by kenjitomorris | 2012-06-24 11:30
平凡新書『ウィリアム・モリスのマルクス主義:アーツ&クラフツ運動を支えた思想』上梓されました。
 本欄で長い間、少しづつ断片的に書き続けてきたモリス論、ようやく全体をまとめて『ウィリアム・モリスのマルクス主義』、副題を「アーツ&クラフツ運動を支えた思想」として、この6月の平凡新書の一冊として出版されました。そろそろ店頭に並ぶものと思います。モリス研究は、経済学から、マルクス研究から入りましたので、マルクスからモリスへの発展をテーマとしましたが、モリスの社会主義思想が、「アーツ&クラフツ運動」の発展として、芸術社会主義や共同体社会主義と呼ばれる点を、中心テーマにして書き上げました。19世紀社会主義の思想は、もともと働く喜びを取り戻し、暮らしに美しい芸術を取り入れる思想だった。旧ソ連のマルクス・レーニン主義とは、似ても似つかないものだと思います。
 「あとがき」に記しましたが「本書の執筆は、<賢治とモリスの館>を訪れて下さったたくさんの方々に説明する、そんな気持ちで書き下ろしました。ご来館の皆さんに、お礼を申し上げます。」ここで重ねてお礼申し上げますが、皆さんに説明させて頂いた内容が、沢山盛り込まれています。僭越ながら、もう一度全体をお読み頂き、モリスの思想をさらに深く、十分に御理解頂ければ有難いと存じます。さらに、ご高評頂ければ、これからの研究に役立てることが出来ます。
 第四章「現代に蘇るモリスの<共同体社会主義>」では、サブタイトル「東日本大震災と近代文明の大転換」として、近代機械文明、科学技術主義文明の批判者としてのモリス、そして『農民芸術概論綱要』でモリスの労働論を受け継いだ宮沢賢治の文芸思想の今日的意義を取り上げました。この新書の執筆の途中で、3・11の大震災に遭遇、停電などの影響も受け、津波に流される夢をみながら書きました。それだけに、モリスを受け継いだ宮沢賢治のメッセージ、「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」の賢治精神を受け止めようと思った次第です。
 御照覧下さい。
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# by kenjitomorris | 2012-06-17 19:22
C.サンダーソン『この世界を見よ』を読む
 モリスの読んだ『資本論』の縁で、コブデン=サンダーソンに強く興味を惹かれました。
 すでに書きましたように、彼はモリスが熟読したマルクスの仏語訳『資本論』を、1884年にグリーンの美しい革表紙で再製本し、金箔文字を施し本の裏側に「ウィリアム・モリスと仲間たち1884」と銘まで入れました。その『資本論』が現在、J・ポール・ゲッティのウァームズリー図書館にあり、ロンドンの古書店でY先生が直接手に取り、写真に撮ることができました。100年以上経っても、製本は確りしていたし、とても美しかったそうです。サンダーソンの製本の腕が良かったことが、これで証明されたと思います。日本からわざわざロンドンまで写真を撮りに出かけたわけで、サンダーソンも喜んでくれたと思います。
 そのサンダーソンですが、『この世界を見よ』(サバト館刊)という論文集があり、その中の「工芸の理想」はモリス達のアーツ&クラフツ運動、そして当時のマルクス派の人たちの社会主義についての考え方を知るうえで、参考になりそうです。とくに中世のギルドとの関係、近代的労働組合との関係、そして労働との関係など、モリスとは少し別の角度から、製本の工芸職人の体験を通して具体的に語られています。簡単に要約しますと、
 閉塞の時代に、工芸の世界にも理想のヴィジョンが必要であり、それは中世の「職人組合、或いは工芸組合」に求められる。それを「なぜ現代の労働組会も同じことを目指さないのか?」個人的利益だけでなく、「その職種の名声と信用のために」私心を離れた望みを持つ、すべての工芸技術を組織する「製本家組合」、その運動により「産業」と「科学」を「芸術」に変貌させる。サンダーソンは、ラスキンを参考に組合の「輪郭図」を提示し、①素材、②各種工芸、商業間の協力、③文字、印刷に付される人間の言葉、④製本技術、装丁、⑤生活と労働の理想、を具体的に説明します。そして、その活動を炭坑など、「一国全体、いな世界全体の産業までも一変させる」、そうした「労働組合」を期待して、以下のように訴えます。
 「されば世界の産業を壮麗に繰り展げることである。されば人間のそれぞれの労働、それぞれの生産を壮麗に繰り展げることである。無機物、有機物の別なく、地球の出来るだけ多くの部分から地球が提供してくれるものを受け取ることである。」
 『この世界を見よ』ですが、1991年に生田耕作さんが訳されたもので、「工芸の理想」と「美しい書物」の2編が収められていました。古書として購入しましたが、生田さんの署名まであり、小冊子ながらなかなか小奇麗な装丁で、大変気に入っています。巻末に「T・J・コブデン・サンダスン小伝」が書かれていて、それによると1840年に生まれ、はじめ牧師を志したが弁護士になり、そのあとモリス達と活動する中で、モリス夫人の勧めで1883年に「製本師」になることを決め、その後修業を積んで、1898年モリスの「ケルムスコット・プレス」を受け継ぐ形で、「ダヴズ・プレス」を設立、53点の美書を出版したそうです。
 1883年と言えば、モリスが『資本論』を購入した後、熱心に読んでいた時期であり、それを傍で見ていて、そのままでは「擦り切れそうになる」ので、腕に覚えがあり、「製本師」になることを決めたサンダーソンが、モリスの『資本論』の再製本を買って出た、あるいはマルクス派の「仲間たち」が依頼した、のでしょう。翌1884年に再製本が出来上がり、モリスとその「仲間たち」のものになり、百数十年の歳月を経て、その『資本論』が現在ロンドンの古書店にあり、今回その写真を撮ったわけです。
 1884年は、83年にマルクスが亡くなり、その一周忌が行われました。マルクスの墓のあるロンドンのハイゲートで墓前祭が行われ、モリスもデモに参加しました。このデモは、パリ・コンミュンの10年を記念する意味もあり、モリスの手紙でも、大きなデモになったそうです。それにモリスとともに、マルクス派のサンダーソンも参加して、一緒に行進しました。モリスとサンダーソンは、いつも身近にあって、活動を共にしていた様子がわかります。モリスの『資本論』もまた、そういう「仲間たち」の共有財産として再製本されたのでしょう。
 また、モリスを中心とした「アーツ&クラフツ運動」、このキーワードもサンダーソンが使い出したそうです。むろん内容的にはモリスを始め、新たな芸術運動として、19世紀の産業革命による資本家的生産様式、その機械制大工業の大量生産―大量販売―大量消費への対抗的カルチャーです。しかし、機械制大工業の近代科学技術文明、つまり「SCIENCE&TECHNOLOGY」に対して、キーワードの「ARTS&CRAFTS」は、実に的確で卓抜な表現だと思います。3・11大震災による「原発神話」の崩壊など、近代科学技術文明の限界が明らかになった今日、それを超える文明のあり方を表現していると思うからです。
 このように見ると、サンダーソンはモリスと『資本論』、そして「アーツ&クラフツ運動」を巧みに組み上げ、バインドした功績を担う重要人物ではないでしょうか?
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# by kenjitomorris | 2012-05-11 21:52
W.モリスの読んだ『資本論』
 一昨年から書き始め、昨年の3・11東日本大震災で大幅に遅れてしまいましたが、『ウィリアム・モリスのマルクス主義―アーツ&クラフツ運動を支えた思想』(平凡新書)が、ようやく再校まで漕ぎ着けました。津波に流され、原稿を手放しそうになった夢を何度も見ました。こんなこと、初めての経験です。間もなく、6月15日に発売予定です。評価は、読者の皆さんのご判断を待ちますが、著者からすれば、まさに大震災から産まれた作品になってしまった、そう思います。
 その中の一節に「モリスが熟読した『資本論』-モリスとマルクスの接点を探る」として、モリスが所蔵したフランス語版『資本論』を紹介しました。その所在は、モリス死後百年、1996年のモリス展でロンドンのV&Aミュージアムが展示し、そのカタログが紹介されたので知っていました。ドイツ語が読めないので、モリスは仏語版を買い、表紙が擦り切れるほど読み、それを社会主義運動の同志サンダーソン(Cobden-Sanderson)が、わざわざモリスのために、美しいグリーンの革表紙で再製本したものです。『資本論』の内容は別として、非常に優れた製本の技術として、現在でも高く評価されているようです。
 そこで世界で一冊しかないモリスの『資本論』、今どこにどうしているのか?それを探りたくて、調べました。やはりロンドン郊外のWormsley図書館に所蔵されていることが分かりました。ただ、問い合わせたところ、現在はロンドンの中心街Berkeley Squareの古書店Maggsにあるので、そこで閲覧、撮影して欲しい、ということでした。丁度、モリス・バックス共著『ソーシャリズム:社会主義』の翻訳に、ご協力頂いている宮城学院大のY先生が、ロンドンに出かけるので、幻の『資本論』の撮影をお願いしました。
 じつは「古書店に置いてある」という話なので、これは値段によっては手に入るかな?そんな夢想を抱きましたが、それは当然のことながら幻想に終わり、Y先生に幻の『資本論』を手にする幸運を独占され、その代わり写真を沢山お土産に帰国されました。とても保存状態がよく、美しい装丁で、書き込みもほとんど無い、(じつはモリスの沢山の書き込みを当方は期待していましたが)モリスの『資本論』を確認しました。
 バックスは、ドイツ語で読み、さらに彼はエンゲルスとともにマルクスの原稿も読んだと思いますが、モリスは仏語版を読んで、二人が協力して共著『ソーシャリズム:社会主義』を書いた。しかも二人で、その中の第19章に『資本論』解説を書きました。この『資本論』解説にもとづく社会主義の主張が、共著『ソーシャリズム:社会主義』だったのです。その内容は、ロバート・オーエンやフーリエ(サン・シモンは少し違いますが)など、ヨーロッパ社会主義思想の本流ともいえる、共同体社会主義の思想の科学的基礎づけだった。それは、初期マルクス・エンゲルスの唯物史観によるマルクス・レーニン主義のドグマとは異なる、もう一つのマルクス主義であり、社会主義です。
 明治の日本の初期社会主義は、中江兆民などの自由民権思想を引き継ぐ土着性も強いのですが、さらに同時に早くからヨーロッパの社会主義の思想も入って来ました。その中に、モリスの共同体社会主義の思想が大きな影響をもたらした。すでに拙著『賢治ともリスの環境芸術』(2,007年時潮社刊)で紹介しましたが、1904年(明治37年)に堺利彦が、モリスの『ユートピアだより』を抄訳、「平民文庫五銭本」に入れて『理想郷』のタイトルで出版しました。それから3年後の1907年、明治40年に東京で「平民新聞」が発行できなくなって、「大阪平民新聞」が発行されましたが、そこに今度は堺の同志の山川均が、モリス・バックスの『ソーシャリズム:社会主義』のうち、『資本論』解説の部分を紹介したのです。
 この山川の『資本論』解説ですが、日本ではまだ『資本論』の翻訳が無い時点で、イギリスでの英語訳も遅れ、山川はほんの一言「モリス、バックス」の解説を紹介する、とだけ書いてあります。しかし、それこそ他でもないモリスの『資本論』、バックスとの共著『ソーシャリズム:社会主義』の『資本論』解説なのです。堺の『ユートピアだより』、続いて山川の『資本論』解説、正しく明治の初期社会主義は、モリスを通して社会主義の思想が、マルクス主義が、そして『資本論』が、日本に導入されたのです。
 さらにここで、堺利彦と山川均の二人が分業するように、文筆家の堺がユートピアロマンの『ユートピアだより』、理論家の山川は『資本論』解説を、それぞれ日本に紹介しました。堺と山川は、「労農派」と呼ばれる社会主義、マルクス主義の流れの代表者であり、創始者であり、指導者であった。労農派は、マルクス・レーニン主義、そして旧ソ連型社会主義のドグマに対立した日本独自の社会主義ですが、ソ連崩壊後の21世紀のもう一つの社会主義として、モリスのアーツ&クラフツ運動の発展として評価すべきだと思います。
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# by kenjitomorris | 2012-04-27 21:03
宮沢賢治からのメッセージ:冬季セミナーIN仙台
 宮沢賢治学会イーハトーブセンターが、東日本大震災復興支援の企画として、昨年から盛岡、東京、続いて2月18日(土)仙台文学館で開催されました。賢治学会の会員でもあり、企画に協力して、お手伝いさせてもらいました。会場と共催が「仙台文学館」だったこと、また昨年3月11日の震災から1年を迎える時期でもあったと思います、事前申し込みを途中でお断りしたのに、それでも会場が溢れるほどの盛況でした。準備した資料も無くなり、主催者は嬉しい悲鳴でした。震災からの復興に、「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」の賢治精神をもう一度思い起こし、心の拠り所を求める参加者の熱い思いを強く感じました。大成功だったと思います。
 学会の会員として、講演の講師を引き受け「大震災と文明の大転換:賢治精神に学ぶ」で約1時間話しました。今度の大震災が自分の人生のあり方を問い直す「文明の転換」であること、福島原発事故により原子力VS自然力の選択を迫られた今、「きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむ」(注文の多い料理店:序)賢治の訴えを聞き、津波に浚われたマイカーや家電製品の瓦礫の山を見せ付けられ「一日ニ玄米四合ト少シノ野菜ヲタベ」て生きていく脱「大量生産―大量消費」の生活の見直し、さらに工業化社会の機械文明の科学技術立国から、『農民芸術概論綱要』で賢治の訴えた「近代科学」に置換される宗教・芸術の「アーツ&クラフツ運動」、そして羅須地人協会で賢治の教えを受けた伊藤与蔵さんの「賢治聞書」を紹介しました。そして、W・モリスの労働観「傍を楽にする」に基づく「芸術をもてあの灰いろの労働を燃せ」の賢治の「イーハトーブ」思想の訴えを語りました。賢治先生に褒めてもらえるかどうか?200名を越える聴衆の皆さんは、一生懸命聴いて下さいました。ご清聴に感謝です。
 その後、NPO法人「シニアネット仙台」の朗読グループ「注文の多い料理店」が舞台朗読として賢治の「月夜のでんしんばしら」を朗読しました。ここで朗読が入った理由ですが、じつは昨年の9月21日の賢治祭の日、例年行われている「賢治の里で賢治を読む会」に、朗読グループが参加しました。それを聞いて下さった賢治学会の関係者から、今度の仙台での冬季セミナーの話が出て、協力を依頼されたのです。朗読グループも協力に賛成、さらに朗読出演も決まりました。そんな事情があって、今回のセミナーでは、盛岡や東京に無かった「月夜のでんしんばしら」朗読が、プログラムに入った次第です。ですから、私の講演の中でも、少し「月夜のでんしんばしら」についても、触れてみましたので書き留めておきましょう。
 「銀河鉄道の夜」を始め、賢治は鉄道や電気の話を書いています。とくに「月夜のでんしんばしら」は、鉄道よりも電気、そして電信柱を軍隊に擬え、「電信柱の軍隊は」の軍歌とともに話が進んで行きます。賢治の童話には珍しく、軍隊調です。なぜ、賢治は鉄道と電気、そして軍隊を素材に選んだのか?
 19世紀末、近代社会の工業化は、重化学工業化の時代を迎えました。第2次産業革命とも言われる産業の高度化です。この産業基盤になったのが、エネルギーとしては電気エネルギーであり、鉄道による輸送網の発展でした。それらが鉄と石炭による工業の高度化を支えることになりました。しかし、それで迎えた20世紀は、2度に及ぶ世界大戦、そしてロシア革命など、「戦争と革命の世紀」となったのです。熱戦と冷戦、革命戦争が繰り返され、原子爆弾の開発、そして原子力の平和利用の原発が続いたのです。
 鉄道と電気の社会的な利用拡大が、じつは「戦争と革命」と結びついていた。宮沢賢治の心象風景には、電気と鉄道が軍歌の合唱とともに、「月夜のでんしんばしら」の行進になって、「電気の大将」の号令の大声が響いたのです。ロシア革命の直後、レーニンはソ連共産党の集会で「共産主義とは労兵ソビエットと全国の電化である」と演説し、全土に電気網を張り巡らして中央集権的なクレムリン支配のソ連型社会主義を建設しました。そして、冷戦時代には、米ソの核軍拡とともに、原子力発電のネットワーク拡大となり、スリーマイル島の事故に続いて、チェルノブイリの原発事故とともに、ソ連は崩壊したのです。
 大号令の「電気の大将」が、突然の列車の到来に驚き慌てる様子は、何か3・11の大津波の襲来、そして福島第一原発の爆発を連想させるものがあります。賢治精神は、電気や鉄道の高度工業化の明るい利便性、快適性の生活面ではなく、「電信柱の軍隊」を登場させて、近代社会の工業化の裏面に鋭い眼差しを送った、賢治の創造力、洞察力は大変なものだと思います。こうした賢治精神を朗読で伝えきれたかどうか?賢治先生、どうだったでしょうか?


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# by kenjitomorris | 2012-02-20 21:01
2012年、明けましておめでとう御座います。
 新年おめでとう御座います。仙台、お正月の三が日、雪もなく、穏やかで、静かなお正月でした。
 昨年、3・11以降の悪夢のような毎日を考えると、何やら不気味なほど静かな新年です。これで良いのだろうか?考えてしまいます。このようにして時間が忘却の淵に、大震災の記憶を沈めてしますのでしょうか?それが恐ろしいのです。

 年末まで、津波に押し流されるような日々を送りました。予定されていたスケジュールが、夏から秋へ繰り延ばされ、震災による新しい仕事が、次々に入り込む、それに一昨年から予定して書き続けていた著述も、途中で手放そうかと思いましたが、何とか脱稿して出版社にわたしました。「モリスの社会主義」平凡社新書です。それに仙台の仲間の協力でモリス・バックス共著『社会主義―その発展と成果―』晶文社も最後の仕上げに入りました。

 例年、このブログなどを整理して、新年のご挨拶を兼ねた『賢治とモリスの館だより』、ご来館の皆さんに送らせて頂きました。しかし、今年は中止させて頂きます。昨年、震災でパソコンなど壊れ、少し遅れてお送りしましたが、津波の被災の酷かった気仙沼や石巻、東松島などからご来館頂いた方々の中、何人かの犠牲者が出て仕舞いました。お届けできない『館だより』を、またお送りする気持ちにはどうしてもなりません。作並の「館」から静かにご冥福を祈ります。どうか作並の自然をお忘れなくお眠り下さい。合掌

 なお、昨年暮、仙台・作並は例年より積雪が早く、12月25日で「館」は閉館しました。
三月の末、雪の具合を見てオープンいたします。今年も見事な片栗の花の群生を皆様とともに
期待したいと思います。
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# by kenjitomorris | 2012-01-03 18:34



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