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ヴィクトリアン・アンティークの展示
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 ご無沙汰しております。6月初め間質性肺炎で家内・大内芳子が突然死去し、その後始末など超多忙な日々を過ごしました。また、短期間でしたが「賢治とモリスの館」ご予約の申し込みをお断りせざるを得ないこともあり、大変失礼しました。そんな中、沢山の訪問客が続き、この場を借りて心よりお礼申し上げます。
 そんな訳で、一寸閉館も考えましたが、皆さんのご予約が続き、また家内の存続の遺志も強く、皆さんのご協力を得ながら、モリスの「ユートピア」、賢治の「イーハトヴ」の夢を、広瀬川の源流の地に求め続けることにしました。どうぞ宜しくお願い申し上げます。

 ご存知とも思いますが、モリス研究を始めたのは、英オックスフォード大の教授からの示唆によるものでした。その教授は、モリス研究とともに、ヴィクトリアン・アンティークの収集家で、モリス関連のものを沢山集めておられた。それを見せられて、モリス研究をするなら、ついでにアンティーク収集も真似てみよう。当時、日本ではアンティーク・ブームでもあった。それ以来、夫婦協力のもと、30年以上に亘り収集してきました。その一部が「賢治とモリスの館」の並んでいます。それ以外は、自宅で楽しんできました。しかし、いま家内もいなくなり、遺品の整理とともにアンティークは、すべて作並の館に集め、ご来館の皆様とご一緒に楽しみ、また勉強しよう、そんな気持ちになりました。

 じつは今日、テレビで有名な「なんでも鑑定団」の西洋アンティーク部門の鑑定士、阿藤芳樹さんが作並の「館」に来館されました。もともと沢山の作品を、阿藤さんの紹介と鑑定のもとで集めてきました。そんな訳で、今回、新たに展示し、一般公開するに当たり、全作品をご覧頂き、改めて「鑑定」して頂いた次第です。専門家のお墨付きを貰い、今後も作品の説明や鑑定の結果などご協力を約束して、お別れしました。「館」の新しい出発について、皆さまのご理解とご協力を切望します。
 写真 アンティークと阿藤芳樹さん(左は渡辺えま)

 

 


 

# by kenjitomorris | 2017-09-10 19:33
モリスの「ソーシャルデザイン」
 皆さん、今年も春を迎え、「賢治とモリスの館」オープンしております。家族の入退院などで忙しく、ご報告が遅れてしまいました。庭のカタクリの群生、今年は少し遅れていましたが、例年通りのピンクの絨毯を庭一杯に敷き詰めてくれました。4月26日の写真で、ピークは過ぎてしまいましたが、今年の記録としてアップさせて頂きます。

 ご報告の遅れのもう一つの理由は、昨年から企画している「名取川・広瀬川水系」をモデルにした、自然エネルギーによる地域循環型社会の出版計画、その取りまとめが難航しているためです。この企画、デザイナーのモリスは、地域社会のデザイン、ソーシャルデザインの元祖だったし、アーツ&クラフツもソーシャルデザインを考えていたと思いますので、その着想を取り入れました。

 モリスのテキスタイルのデザインの中には、「テムズ川」の支流の名前を付けたデザインがあります。まさに「水系モデル」にもぴったりなので、ご紹介させて頂きます。モリスは地域計画の芸術家だったのですね
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# by kenjitomorris | 2017-05-01 09:14
「賢治・秀松農民芸術祭」のご案内
 2017年1月21日、午後1時から仙台に隣接する名取市の文化会館で、第2回の賢治・農民芸術祭を、「賢治・秀松農民芸術祭」として開催します。文化会館は名取市役所のすぐ隣で、400名も収容できる立派な中ホールが会場です。宮沢賢治と高橋秀松、すでに本欄では説明しましたが、2人の関係をご存じない方が多いので、会場に「資料展示コーナー」を設け、ご案内のパネルをつくります。そのために書いた「ご挨拶文」を、あらかじめ皆さんに、ご覧頂こうと思います。ご一読の上、ぜひご参加ください。

 2016年は宮沢賢治生誕120年、100年記念に続く「賢治ブーム」になりました。その賢治と盛岡高等農林で一緒に学び、無二の親友だったのが、名取市増田出身の高橋秀松です。戦後は、地元の農業改革や農協活動に尽力され、行政面では増田町長、そして初代、二代の名取市長を務めました。
 賢治と並んで、国民的作家の夏目漱石には、親友の正岡子規がいました。賢治もまた、親友の秀松との交友を抜きに、彼の文学はじめ、その人生を語ることは出来ない。賢治精神も、秀松との強く、深い、そして熱い友情に育まれたのではないか?
 
 当時の盛岡高等農林は全寮制で、賢治と秀松は寮生、しかも同室で、寝食を共にしました。それだけではありません。天才的で少々変わり者だった賢治も、秀松だけには心を許し、日記や手紙も見せていました。休日は、二人仲良く盛岡市内を歩き、岩手山など山野を跋渉し、さらに江刺の地質調査にも同行しました。夏休みには、一ヵ月も上京して同じ旅館から神田神保町のドイツ語の講習会に通い勉強した。こんな深く静かに輝く友情は、それこそ賢治と秀松の二人だけのものでしょう。
 二人は、東北農民が最も恐れていた冷害を解決して、東北の暗い冬を無くそう、明るい東北農村のために勉強した。高等農林では、秀松は農学第一部で一般農学・農政経済、賢治は第二部の農芸化学が専攻でしたが、共通の目的のために、秀松は稲の品種改良、病害駆除、賢治は土壌、肥料の面から、江刺の地質調査にも参加しました。しかし、当時は就職難の時代、賢治は花巻の農学校へ、秀松は遠く水戸の農学校に別れ別れになった。その後、賢治は東北農村のイーハトヴを目指して花巻に羅須知人協会を開き、さらに「ポラーノの広場」に「産業組合青年部」の活動の夢を書き残して他界してしまった。
 「産業組合」は、戦前の協同組合の呼称で、今日の農協、漁協、生協などの総合統一体だった。終戦を前にして、秀松は名取に帰郷します。そして、地域の農協運動を指導し、農業改革を推進した。「日本農業の動向と名取町の農業振興について」論じ、集団的農業の重要性、そして新しい農業協同組合の意義を訴えています。とくに「農業そのものの基盤は耕地であり」「名取耕土の美田化土地改良事業」など、若き日の賢治との堅い約束を果たす事業だったと思います。そして、賢治の『農民芸術概論綱要』を説き、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と訴え続けました。
 
 今回の企画展では、賢治と秀松の深く「輝う友情」を中心に、二人の交友と秀松の戦後の業績に関する資料を集めました。何分にも残された資料が少なく、極めて不十分です。これから市民の皆さんのご協力のもと、とくに秀松に関する資料を中心に収集し、明るい東北の建設のために、賢治・秀松に続こうではありませんか。(大内 秀明)
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# by kenjitomorris | 2016-12-29 15:53
神田錦町の「上州屋」の跡地を写す
 今回は、来年2017年1月21日(土)に仙台の隣、名取市文化会館で開催予定の『賢治・秀松農民芸術祭』に展示の写真収集が目的で、賢治と秀松が通った『東京独逸学院』の跡地を訪れました。さらに、神田・神保町のすぐ近くに、賢治が泊まった神田・錦町の「上州屋」の跡地があり、ついでにこちらの写真も撮ってきました。

 同じ東京でも、文京区本郷の菊坂の旧居は、すでに紹介したように教育委員会が立派な看板を用意して丁寧に説明していましたが、隣の神田区は何の表示もありません。奥田弘さんが調べた「宮沢賢治の東京における足跡」にある資料をたよりにカメラに収めました。賢治が泊まった当時は神田・錦町3丁目19番地だったのが、戦災などがあったからでしょう、現在は13番地に変更されています。また、素人下宿屋「上州屋」の面影も一切消失して、新しいビルだけが建っていました。ただ、ビルの反対側の表通りには、明治20年代に発足した正則学園高等学校、隣接して錦城学園高等学校があり、いずれも校舎を全面改築していますが、それでも歴史の落ち着きを感じさせます。

 賢治は、1916年(大5)に盛岡高等農林の修学旅行とドイツ語の講習の2回をはじめ、9回も上京していて、本郷・菊坂もそうですが、かなり長期の滞在でした。「上州屋」には、第7回目(1926年・大15)と第8回目(1928年・昭3)の2回宿泊、いずれも1か月近く泊まりました。この2回の宿泊は、賢治が花巻農学校を辞めて「羅須地人協会」を立ち上げて活動していた時期の上京です。「本物の百姓」を目指していたはずの賢治が、長期の上京でチェロを習い、図書館に通い、浮世絵を観賞し、芝居見物をしていた。「賢治は何を考えていたのだ」といった疑惑と批判の眼が向けられる上京です。

 しかし、「本物の百姓」は、ただ単に肉体的に汗して、牛馬のように働く「水のみ百姓」ではない。苦境に追い詰められた東北の農村経済を改革し、「芸術をもて、あの灰色の労働を燃やす」ための羅須地人協会だった。そのために3・15事件などに関連して、官憲に目をつけられ弾圧された。とくに第8回目の上京は、3・15事件の後、仙台で産業博覧会を視察し、その視察資料をもって伊豆大島に労農派の伊藤七雄を訪ね、大島農芸学校とともに、花巻の羅須地人協会の今後について相談し、その上で「上州屋」に長期滞在したのです。図書館に出掛け、芝居見物をしたとしても、賢治は羅須地人協会の活動の形を変えながら、父親や伊藤七雄とも相談の上、あのイーハトヴ空間、ポラーノの広場の「産業組合」など、新しい活動の準備を続けていたのではないか?そんな「上州屋」の賢治の姿を思い浮かべながらの写真です。
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# by kenjitomorris | 2016-11-25 12:42
東京独逸学院で学んだ賢治と秀松
 11月22日、2011年の東日本大震災の余震らしいが、早朝から仙台では津波警報で大騒ぎ、新幹線も遅れたが、津波から避難するように上京、神田の学士会館に一泊しました。翌朝、神田の神保町にあった「東京独逸学院」の跡地を探して、メル友の平山君の協力を得ながら写真を撮りました。来年、2017年1月21日(土)、仙台市の隣の名取文化会館で開催の『賢治・秀松農民芸術祭』に展示する資料収集です。

 「東京独逸学院」ですが、宮沢賢治が盛岡高等農林2年生の1916年(大5)7月末から9月初旬まで、正確には7月30日から9月7日まで、1か月以上ですが、「独逸語夏期講習会」に受講するため通学した場所です。賢治にとっては二度目の上京で、麹町三丁目の栄屋旅館に宿泊して講習に通いました。その年の3月19日から31日まで、盛岡高等農林の修学旅行で初めて上京、西ヶ原試験場や駒場農科大学などを見学して、大きな刺激を受け、その年の夏休みを利用して東京でドイツ語の勉強をすることにしたのでしょう。

 この賢治のドイツ語の勉強に付き合ったのが、クラスメートで寮友の高橋秀松でした。しかも、盛岡の寮で同室、寝食を共にしていたからでしょう、高橋秀松と一緒に同じ栄屋旅館に泊まり、仲よく「講習会」に一緒に通い、日本を代表する「本屋街」の神保町の「東京独逸学院」で勉強したのです。東京での勉強だっただけに、盛岡での寮生活とは違った意味で、賢治と秀松の二人の間に、強い友情の絆が結ばれたことは想像に難くないと思います。賢治はニコライ堂、小石川植物園などを訪ね和歌を詠んでいますが、秀松も行動を共にしていたと思います。こんな手紙が残っています。

 御葉書拝見致しました。
 こちらに御出での間は色々御迷惑を掛けました御申し訳なく存じます。殊に御帰りの時は非常に急がせ申して済みませんでした。一般に見送りして行く者の方が見送られる人よりもつらい様でご在ます。あれから私は銀座を遅くまで歩きました。もう前の様に灯も私動かしません。即ち東京に飽きたのでございます。

 一足先に帰った秀松を見送った賢治は、一人で「銀ブラ」を楽しみながら、しかし「東京に飽きた」と言い、盛岡での秀松との生活に早く戻りたくなっているようです。ここにも賢治と秀松の交友の情が感じられます。

 写真は、「東京独逸学院」のあった現神田神保町2丁目24番地の表通りと裏道り、裏道りは落ち着いた喫茶店など昔の風情が残っている。
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# by kenjitomorris | 2016-11-24 09:13



賢治とモリスの館 - 最新情報
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