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神田錦町の「上州屋」の跡地を写す
 今回は、来年2017年1月21日(土)に仙台の隣、名取市文化会館で開催予定の『賢治・秀松農民芸術祭』に展示の写真収集が目的で、賢治と秀松が通った『東京独逸学院』の跡地を訪れました。さらに、神田・神保町のすぐ近くに、賢治が泊まった神田・錦町の「上州屋」の跡地があり、ついでにこちらの写真も撮ってきました。

 同じ東京でも、文京区本郷の菊坂の旧居は、すでに紹介したように教育委員会が立派な看板を用意して丁寧に説明していましたが、隣の神田区は何の表示もありません。奥田弘さんが調べた「宮沢賢治の東京における足跡」にある資料をたよりにカメラに収めました。賢治が泊まった当時は神田・錦町3丁目19番地だったのが、戦災などがあったからでしょう、現在は13番地に変更されています。また、素人下宿屋「上州屋」の面影も一切消失して、新しいビルだけが建っていました。ただ、ビルの反対側の表通りには、明治20年代に発足した正則学園高等学校、隣接して錦城学園高等学校があり、いずれも校舎を全面改築していますが、それでも歴史の落ち着きを感じさせます。

 賢治は、1916年(大5)に盛岡高等農林の修学旅行とドイツ語の講習の2回をはじめ、9回も上京していて、本郷・菊坂もそうですが、かなり長期の滞在でした。「上州屋」には、第7回目(1926年・大15)と第8回目(1928年・昭3)の2回宿泊、いずれも1か月近く泊まりました。この2回の宿泊は、賢治が花巻農学校を辞めて「羅須地人協会」を立ち上げて活動していた時期の上京です。「本物の百姓」を目指していたはずの賢治が、長期の上京でチェロを習い、図書館に通い、浮世絵を観賞し、芝居見物をしていた。「賢治は何を考えていたのだ」といった疑惑と批判の眼が向けられる上京です。

 しかし、「本物の百姓」は、ただ単に肉体的に汗して、牛馬のように働く「水のみ百姓」ではない。苦境に追い詰められた東北の農村経済を改革し、「芸術をもて、あの灰色の労働を燃やす」ための羅須地人協会だった。そのために3・15事件などに関連して、官憲に目をつけられ弾圧された。とくに第8回目の上京は、3・15事件の後、仙台で産業博覧会を視察し、その視察資料をもって伊豆大島に労農派の伊藤七雄を訪ね、大島農芸学校とともに、花巻の羅須地人協会の今後について相談し、その上で「上州屋」に長期滞在したのです。図書館に出掛け、芝居見物をしたとしても、賢治は羅須地人協会の活動の形を変えながら、父親や伊藤七雄とも相談の上、あのイーハトヴ空間、ポラーノの広場の「産業組合」など、新しい活動の準備を続けていたのではないか?そんな「上州屋」の賢治の姿を思い浮かべながらの写真です。
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by kenjitomorris | 2016-11-25 12:42
東京独逸学院で学んだ賢治と秀松
 11月22日、2011年の東日本大震災の余震らしいが、早朝から仙台では津波警報で大騒ぎ、新幹線も遅れたが、津波から避難するように上京、神田の学士会館に一泊しました。翌朝、神田の神保町にあった「東京独逸学院」の跡地を探して、メル友の平山君の協力を得ながら写真を撮りました。来年、2017年1月21日(土)、仙台市の隣の名取文化会館で開催の『賢治・秀松農民芸術祭』に展示する資料収集です。

 「東京独逸学院」ですが、宮沢賢治が盛岡高等農林2年生の1916年(大5)7月末から9月初旬まで、正確には7月30日から9月7日まで、1か月以上ですが、「独逸語夏期講習会」に受講するため通学した場所です。賢治にとっては二度目の上京で、麹町三丁目の栄屋旅館に宿泊して講習に通いました。その年の3月19日から31日まで、盛岡高等農林の修学旅行で初めて上京、西ヶ原試験場や駒場農科大学などを見学して、大きな刺激を受け、その年の夏休みを利用して東京でドイツ語の勉強をすることにしたのでしょう。

 この賢治のドイツ語の勉強に付き合ったのが、クラスメートで寮友の高橋秀松でした。しかも、盛岡の寮で同室、寝食を共にしていたからでしょう、高橋秀松と一緒に同じ栄屋旅館に泊まり、仲よく「講習会」に一緒に通い、日本を代表する「本屋街」の神保町の「東京独逸学院」で勉強したのです。東京での勉強だっただけに、盛岡での寮生活とは違った意味で、賢治と秀松の二人の間に、強い友情の絆が結ばれたことは想像に難くないと思います。賢治はニコライ堂、小石川植物園などを訪ね和歌を詠んでいますが、秀松も行動を共にしていたと思います。こんな手紙が残っています。

 御葉書拝見致しました。
 こちらに御出での間は色々御迷惑を掛けました御申し訳なく存じます。殊に御帰りの時は非常に急がせ申して済みませんでした。一般に見送りして行く者の方が見送られる人よりもつらい様でご在ます。あれから私は銀座を遅くまで歩きました。もう前の様に灯も私動かしません。即ち東京に飽きたのでございます。

 一足先に帰った秀松を見送った賢治は、一人で「銀ブラ」を楽しみながら、しかし「東京に飽きた」と言い、盛岡での秀松との生活に早く戻りたくなっているようです。ここにも賢治と秀松の交友の情が感じられます。

 写真は、「東京独逸学院」のあった現神田神保町2丁目24番地の表通りと裏道り、裏道りは落ち着いた喫茶店など昔の風情が残っている。
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by kenjitomorris | 2016-11-24 09:13



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