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モリス『社会主義』とソーシャルデザイン
 師走も押し詰まり、皆さんご多忙でしょうが、ここへ来て2冊の新刊が書店に手をつないで並ぶことになりました。一つは翻訳で、もう一つは共著です。2冊同時になり、今年は超多忙のうちに年末を迎え、何とか一山越えて越年できそうです。

 まず翻訳ですが、幸徳秋水が1903年名著『社会主義神髄』の中で引用、推奨したW.モリスとE.B.バックスの共著『社会主義:その成長と帰結』1893(晶文社刊)です。発行から120年ぶりに日本初訳という幻の名著で、モリスのファンタジックロマンの傑作『ユートピアだより』の理論的基礎となる共同体社会主義の古典です。

 共著の方は平山昇さんとの協業で『土着社会主義の水脈を求めて:労農派と宇野理論』(社会評論社刊)です。モリスと賢治、二人の天才の点と点を結ぶ、幸徳秋水、堺利彦、山川均、それに夏目漱石や土井晩翠も線上に現れ、そして戦前の東北大の宇野弘蔵、大阪労働学校の森戸辰男、さらに労農派シンパとしての宮沢賢治の花巻・羅須地人協会の姿が見えてくる。
 
 これから仙台・羅須地人協会を中心に講座やゼミのテキストとしてもご利用いただき、いろいろご議論いただければと思います。議論のきっかけとして、翻訳に関連してモリス『社会主義』と「ソーシャルデザイン」との関係について、はじめに問題提起をさせて頂きましょう。

 モリスがオックスフォードで勉強して、神学への道を捨て、友人のバーン・ジョーンズとともに芸術の道を歩むことにした。しかし、画家や建築家ではなく、装飾デザインの道を歩み、モダンデザインの父と呼ばれるようになった。壁紙やカーテンのテキスタイルだけではなく、タペストリーやステンドグラス、タイルパネルなど、さらに本の印刷や製本まで手を広げた。彼は、詩人でもあり、社会運動家でもあったが、やはりデザイナーとして若い時から終生活躍した、そして日本の民芸にまで影響を与える世界的なデザイナーであると言えるでしょう。その彼が、1870年代の終わり頃から、当時イギリスでも影響を与え始めたマルクス主義に傾倒し、社会主義の組織人として、死ぬまで活動を辞めなかった。とくにマルクス『資本論』を熟読し、それを上記バックスとともに概説し、『社会主義』を組織の機関紙に連載、そして共著として1893年に出版したのです。

 モダンデザインの父と呼ばれるモリス、他方、社会主義の運動に一身を捧げたモリス、二人のモリスを巡っては長い論争があります。その紹介は省略しますが、一方では装飾デザイナー、さらに詩人や『ユートピアだより』などを書いた芸術家としてのモリスを重視し、そのモリスを基本とするモリス論です。芸術家モリスが、途中で社会主義の運動の道に走ったのは、途中からの気の迷いだろうといった解釈もあります。逆に、芸術家としてのモリスは、社会主義を実践的に追求したのであり、芸術社会主義者からギルド社会主義者として、マルクス主義を受け継いで社会主義者として生き抜いた、そんな解釈もあります。しかし、モリスが二人いるはずはなく、一人のモリスであり、彼の生も死もモダンデザインとともにマルクス主義を信じてのことだった。そこにまたモリスの芸術とともに、彼の社会主義の魅力もあると思います。

 確かにモリスの生涯をたどると、1870年代の初め30歳代までは、芸術の道一筋だった。自らも社会問題に関心があまりなかったと述べています。それが40歳代に入って自由党の急進派の立場で「東方問題」で政治的に活躍し、その後、自由党急進派の立場を越えてハインドマンなどとの接触から、社会主義、とくにマルクス主義に関心を寄せてバックスとともに英国最初のマルクス主義の組織「社会主義連盟」に加入、自ら社会主義者を公言したのです。ですから、モリスの社会主義は、社会問題の政治や経済からではなく、芸術から社会主義に接近、とくにハインドマンやバックスとの関係でマルクス主義に入ったと言えます。1880年代、それもマルクスの亡くなる83年頃『資本論』を表紙が擦り切れるほど読み、組織の機関紙「コモンウィール」にバックスと一緒に「社会主義」について連載することになったのです。

 そこでモリスの芸術についての考え方ですが、ラファエロ前派の影響を受けながら、70年代末に入っての講演では、しばしば小芸術(Lesser Art)の考え方を主張しています。「大芸術」に対比しての小芸術ですが、作品の大小よりも、独立して単体として制作された芸術作品の大芸術に対して、「小芸術」は壁紙やカーテンなど、付属して装飾として役に立つ「装飾芸術」(Decorative art)に属する作品です。だから、『社会主義』では、大芸術に属する「実質的芸術」に対比して、「付随的芸術」(adjective art)として、近代社会の金権腐敗から芸術を救い、生活の芸術化、芸術の生活化を目指そうとしています。モリスは小芸術について、こんな興味深い説明をしています。

 「それはしばしばかなり荒削りではあったが、けっして粗野ではなく、美しく、自然で、飾らず、豪商や廷臣の芸術というよりも農民の芸術であり、それを愛さないのは無情な人間にちがいないと私は思う。---いわば農民芸術であり、それは人々の暮らしにしっかりと根づき、大邸宅が<フランス風に豪勢に>建てられていた間も、わが国の多くの土地で、小作農と自由農のなかにそれは依然として生きていた。外国産の愚かな虚飾が自然と自由をことごとく消滅させ、芸術が、とくにフランスにおいて、上手く立ち回って得意顔のあの悪党どもの所業の表現になりはててしまっていた時にも、織機や版木や刺繍針が作り出す多くの古風な模様のなかに、それは依然として生きていたのだ。」

 こうしたモリスの「小芸術」の思想が、アーツ&クラフツ運動、そして上記のように「付随的芸術」と表現を変えながら、働き方、暮らし方、さらに生き方につながり、社会主義のヴィジョンにまとめ上げられたように思います。そして、日本の労農派の「土着社会主義」の水系とともに、宮沢賢治の「農民芸術概論綱要」に受け継がれた。まさに賢治とモリスですが、こうした農民芸術に根差した生活芸術の思想が、モリスの装飾デザイナーの生き方から生まれ、「社会主義」ソーシャリズムのデザインとして主張された、それがモリス・バックス『社会主義』だったのです。 

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by kenjitomorris | 2014-12-05 18:55



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