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被災地の石巻を訪れる
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 先日、ずっと気になっていましたが、津波被害では最大と言われ、その再起、復興が心配されている石巻を訪問しました。同行してくれた石巻出身、実家も津波で跡形もなくなったK君の訪問記を紹介します。まず、お読みください。仙台・羅須地人協会のホームページの「復興・協同」通信に掲載の文章です。

 「われらひとしく丘に立ち」

                                     今野 禎市郎

「あれ、太陽光発電じゃないか?」

「石巻市民病院があった場所だけど土盛りでしょうかね。上に掛けた防水シートが網目模様なのでは」自信のない生返事である。

問いかけたのは、大内秀明さん。東北大学名誉教授。仙台・羅須地人協会代表。最近は平凡社新書『ウイリアム・モリスのマルクス主義』が好評だった。「復興・協同」通信に、もう10 回以上執筆している。

石巻の日和山公園の上の、鹿島御児神社の鳥居の横にいる。ここは3 年前、供え花で埋め尽くされ、被災者慰霊の丘になった。毎日のように有名芸能タレントやレポーターが押し掛け、ミニイベントやテレビ中継が続いた。

その端から一段下がった、といってもほんの数十歩のところに、地元産の稲井石に刻んだ詩碑がある。

 「われらひとしく丘に立ち」明治45 5 月、宮沢賢治がここを訪れた。盛岡中学の修学旅行1 日目である。一関から川汽船で北上川を下った。眼下に広がる太平洋、生れてはじめて見る海に、感動を「まぼろしとうつつとわかずなみがしらきほい寄せくるわだつみをみき」と詠んだ。この短歌を改作してできたのが文語詩の詩碑「われらひとしく丘に立ち」である。

現にもどる。二人並んで北上川河口を見ている。左手の岸は、石巻魚市場や関係の施設、復興なった事業所が軒を連ねる。それに比べ、眼下の右岸の方は、建物らしい建物が3 つか4 つ。震災前には確かにあった住居や商店の跡地、路地や事業所、そして公共施設などの痕跡が、まるで原稿用紙の升目のように広がっている。

マグニチュード9。国内では観測史上最大の東日本大震災。その震源に一番近い市街地の一つである。地震の激しい揺れ、黒い津波、火がついた浮遊物が引き起こす津波火災、それに地盤沈下。東日本大震災で起きた災禍のほとんど総てが、この地で苛烈を極めた。幼稚園送迎バスの悲劇もあった。

7.2 クタールの南浜地区だけで400 人余りの犠牲者が出た。震災の後、再び津波の襲来や高潮による浸水があるとして「災害危険地区」に指定された。建物の新築が出来ない。ここに、国と宮城県、石巻市が共同で「復興祈念公園」をつくろうとしている。追悼、鎮魂、そして教訓の伝承の場。歴史的な大災禍だけに、こういう施設をつくることには賛成する。ただし高さ7.2 メートルの堤防が海岸線に沿って長く伸びるので、この公園から海はまったく見えない。

私たち二人がいる日和山公園の鹿島御児神社前は50 メートルほど高いので、賢治が感動した海が遠く水平線まで広がる。海の見える丘か、海岸堤防が視界を遮る「祈念公園」か。勝負は見えている。

待っていたタクシーで丘を下り、南浜地区を見た。津浪火災で焼けた門脇小学校は白いシートで覆われ、焼け焦げた校舎を隠していた。

何箇所かで車を降り、写真を撮った。

そのまま石巻の中心部を回った。シャッターが下りた店舗、そして建物を解体した更地が延々と連なる。

石巻専修大学2号館に戻ってきた。ワーカーズコープ「東北復興本部」3 周年記念フォーラムの会場、午前中ここで基調講演を聞いた。

午後はシンポジウム形式。「被災地は非日常の派手なイベントはもういらないと言っている。日常を取り戻すための地に足のついた支援がもっと欲しい」という発言が記憶に残った。

最後の来賓祝辞に立った、わが大内秀明代表。「大川小学校の悲劇。校庭に残った宮沢賢治の壁画と「雨ニモマケズ」の詩が我々へのメッセージ。雨にも負けず 風にも負けず そして震災にも負けず、皆で頑張ろうじゃないですか!」。

大会が立派に終わった時、ひとりの女性が話しかけてきた。「どうして『賢治とモリスの館』の話をしなかったのですか?」 代表が私費で仙台市青葉区作並に建てた『賢治とモリスの館』、今年で10年への足取りは、ここワーカーズコープ石巻にも、確実に熱烈なフアンを生んでいた。

                (こんの・ていいちろう 仙台・羅須地人協会運営委員)
 
 
 
震災後、石巻から仙台のわが老人ホームに移住した被災老人も沢山います。こもごも語るのは、「石巻のことは、思い出したくない、考えたくない、もう忘れたい!」と言いながら、「石巻のことを心配してくれて有難うございます。忘れないで下さい。」復興が絶望的ともいえる石巻の現場を見れば、その矛盾した気持ちが分かります。見るに堪えない状況が続いているのです。

 宮沢賢治が明治45年に、河蒸気で北上川を下り、日和山から始めて海を見た。賢治は何を考えたか?太平洋から北上川を遡上し、花巻のイギリス海岸、そして盛岡の材木町へ、ウィリアム・モリスの『ユートピア便り』はロンドンからテムズ川の船旅だが、それに似たイーハトボの理想郷が描かれたのではないか?

 石巻の中心部商店街も、壊滅状態から立ち直ってはいない。商店街のシンボル歴史的陶芸店「かんけい丸」、地震と津波で大量の陶器がやられた。中は片付けられているが「閉鎖中」の白い小さな張り紙が貼られただけ。大分昔
になるが、当時の石巻の市長が教え子で、依頼され商店街の近代化の計画に参与しただけに、他人事、他所事には考えられない、胸がふさぎ心が痛む。

 幸いにも「観慶丸商店」の看板とモダンなデザインの建物が残った。歴史的建造物だ。昭和の初年、ここ石巻だけでなく、東北でも山形、盛岡、弘前など、「洋風のモダンなデザイン」の建造物が建てられ、そこにウィリアム・モリスの壁紙が張られ、そうした中で宮沢賢治の「農民芸術概論綱要」も書かれた。
「日本陶芸チェーン かんけい丸」 日本のアーツ&クラフツ運動、そして賢治とモリスのためにも、歴史的建造物の保存と商店街の復興を心から願う。








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by kenjitomorris | 2014-07-24 19:23



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