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賢治の羅須地人協会が目指したもの
 『ウィリアム・モリスのマルクス主義―アーツ&クラフツ運動を支えた思想―』(平凡社新書)を書いて、マルクスからモリスの思想継承を取り上げたので、これからいよいよモリスから宮沢賢治の流れを明らかにしようと思っています。モリスの研究は沢山あり、賢治の研究は文学者のそれを含めれば、星の数ほどと言いたくなるぐらいあります。しかし、モリスと賢治の点と点を結ぶ線となると、その線は極細くなり、ほとんど見えにくくなってしまう。しかし、少しづつ調べるほどに、線ははっきりしてきますし、段々太くなる。研究の興味が刺激され、期待も膨らみます。
 賢治が1926年(大正15、昭和元年)に花巻農学校を退職し、「羅須地人協会」を始めるについては、いろいろな事情があったようです。ただ、大きな流れからすると、賢治が官制の農学校の教育の限界を感じ、地域の若者、農民の立場に立ち、同じ一人の農民として教え、かつ学ぶ、まさに教育から共育へ自己変革を図る、そのための「自由学校」として、同じ花巻の下根子・桜の宮沢家の別荘を利用して、新しい学校「労農芸術学校」をスタートさせたと思います。しかし、明治以来の義務教育の制度を前提とする官制の教育制度の限界を超えて、「自由学校」のような共育を目指す動きは、その当時、すでに内外に見られるもので、賢治も一面でそうした新しい潮流を受け止めるために、自ら「羅須地人協会」を始めたように思います。我々も今回、すでに書きましたように「仙台・羅須地人協会」をスタートさせ、3・11東日本大震災からの復興のために、賢治精神を継承するにあたっても、賢治が受け止めようとした内外の「新しい学校」の動きを、ここで再度見直して参考にしたいと考えます。
 宮沢賢治の農学校時代から、羅須地人協会への伝記は、沢山あります。その中で、花巻農学校の関係者でもあった佐藤 成編著『宮沢賢治 地人への道』が、一番内容的にも充実しているように思います。まず、モリスのアーツ&クラフツ運動を受け止めて書いた「農民芸術概論綱要」の序論を引用し、その上でこう述べています。

 「一個の農民として土の中に生きようとの志向は<異途の出発>(大正十四・一・五)として表現され<告別>(大正十四・十・二十五)の中で<おれは四月はもう学校に居ないのだ>決意を表明しているのである。
 大正十五年一月、国民高等学校で農民芸術概論を講じ、やがて羅須地人協会(農民芸術学校)の設立となった。
 農民芸術概論綱要はこの協会の教育基本法とでもいうべき指針としての意義を持つ。
        (略)
 私は賢治を生んだ風土、そして岩手の稲作、学校教育としての農業教育、社会教育としての農民教育、<-‐-じつに愉快で明るいものでありました>といわせた花巻農学校、国民高等学校、羅須地人協会、肥料設計と、その地理的、歴史的背景を明らかにすることが尚一層賢治像の輝きと作品の光を増すと考えたのである。
 羅須地人協会は賢治の学校であり塾であった。それは岩手国民高等学校ともかかわりがあったし、明治以来の農業教育、農民教育にもかかわりがあり、岩手の稲にも大いにかかわりがあったのである。
 <教諭 宮沢賢治>から<地人 宮沢賢治>への道程を今懸命に私はたどり続けている。」

 この道程に位置づけられた「岩手国民高等学校」、ここで賢治は農民芸術論の講義を担当し、「羅須地人協会」の教育基本法になった「農民芸術概論綱要」が準備されました。その岩手国民高等学校ですが、次のように説明されています。まず、このころ欧米の先進国の実情に触発され、日本でも文部省が「社会教育」の充実を図り始めた。1925年(大14)には、地方社会教育職員制が定められ、盛岡でも成人教育の指導者講習会などが開かれた。また、当時デンマークの「国民高等学校」に関する著作も多数出版され、それに基づいた農民道場形式の施設が、山形、三重、愛知などに相次いで設立された。岩手県でも、社会教育主事がデンマークの国民高等学校を見習って、農村青年の訓練施設を計画、社会教育の一環として開設されたのが、「岩手国民高等学校」だったのです。1926年(大15)1月15日のことで、「開設要項」は以下の通りです。
 
 主催 岩手県教育会及び稗貫郡部会 岩手県農会 岩手県青年団体聯合会
 開催校舎 花巻農学校
 開催期間 大正十五年一月十五日より同年三月末日までとす
 学科目は次の如し
   イ 修身(勅語、詔書の講義)四十時間
   ロ 公民教育(憲法 自治制度 政治史論)五十時間
   ハ 古代史 国民の精神 郷土史論 世界の大勢 四十五時間
   二 近代文明史論 四十五時間
   ホ 最近科学の進歩 四十五時間
   へ 現代農村問題 五十時間
   ト 産業組合 三十時間
   チ 農業経営法 四十時間
   リ 文学概論 四十時間
 講師 岩手県書記官 関 荘二 花巻高等女学校長 高日義海 花巻農学校教諭 宮沢賢治
     (略)
 募集生徒数 各町村二名宛
 生徒資格 特に資格を限定せずと言えども高等小学校以上の学力を有し年令十八歳以上にし      て将来地方自治に努力すべき抱負あるものとする。
 自治寮生活 生徒は寄宿舎に入舎し自治的共同生活を営ましむ(寝具各自持参)
 経費 寄宿舎費 食費 学用品その他 合計月額十五円にて足る。

 ここで宮沢賢治は、花巻農学校教諭の他に、岩手国民高等学校の講師を兼任することになりました。この国民高等学校の狙いは、当時の疲弊した東北、岩手県下の農村の更正を図るために、デンマークの国民高等学校を見習い、農村青年の社会教育を充実し、その奮起を促そうというものです。しかし、デンマーク式を謳ってはいるものの、設立の経緯からみて、上からの官製の社会教育であり、カリキュラムも国家主義的な教育の色彩の強いものになっています。もともとデンマークの国民高等学校(フォルケ・ホイスコーレ、フォーク・ハイスクール)は、ナポレオン戦争で大打撃を受けたデンマーク農村を救うために、詩人であり、哲学者、歴史家、宗教家でもあったニコライ・フレデリック・セバーリン・グルントビクが提唱し、1844年に創立されました。日本では内村鑑三が紹介し、大正から昭和初年にかけて「国民高等学校」と訳され、いろいろな形で全国各地に設立されました。
 しかしデンマークのフォルケ・ホイスコーレは、「名前こそ学校だが、国の規則や法令にはいっさいしばられない。教科内容も授業方法も、教師の任免も全く自由で、修業年限は男子は冬期五か月(十一月から翌年三月まで)女子は夏季三か月(六月から八月まで)で十八歳以上であれば誰でも入学が許可される。生徒は寄宿舎生活をするという二十四時間教育の大私塾である。試験も卒業証書もない。したがって一名、自由学校とも生活学校とも呼ばれている。」
 このようなデンマークの国民高等学校をモデルにしましたが、岩手県開設の国民高等学校では、当初「出席者が僅少で主催者がワラジがけで各町村の青年を勧誘」と地元紙が報じました。それでも何とか生徒三十五名が集まり、内訳は農学校卒八名、中学三年終了一名、その他高等小学校、補習学校の卒業生です。年齢も二十七歳から十七歳まで、平均十九歳の青年たちでした。県下九郡三町三十三か村から推薦された篤農家や青年活動家で、優秀な生徒が多かったようです。予定通り一月十五日に開校式を挙げましたが、翌日の「岩手日報」によれば、岩手県の内務部長 坂本 楊が国民高等学校長を兼務し、さらに県の社会教育主事が高等学校の主事を兼任しています。さらに教科目と講師が紹介されていますが、その中に「農民芸術 花巻農学校教諭 宮沢賢治 」の名前が見られます。
 この農民芸術の講義のために、賢治は夜を徹して講義ノートを作成、それが「農民芸術概論綱要」ですが、講義そのものが受講生の一人「伊藤清一の受講ノート」として、第一回(一月三十日 土)「トルストイの芸術批評」と「最初の酒造」五幕物に始まり、第二回(二月九日 火)「われらの詩歌」、第三回(二月十八日)「水稲に関する詩歌」第四回(二月十九日 金)「稲と露」第五回(二月二十四日 水)「宅地設計」農家の構造設計 第六回(二月二十七日 土)「農民(地人)芸術概論」以下 第七回(三月一日 月)第八回(三月五日 金)第九回(三月二十日 土)第十回(三月二十二日 月)第十一回(三月二十三日 火)ですが、いうまでもなく第六回以降の講義ノートが、「農民芸術概論綱要」に纏められたものです。また、この講義は同時に農学校の生徒にも行われました。また、羅須地人協会の「地人芸術論」として、さらに農民に講義されました。
 農民芸術論の講義に、これだけのノート作りの準備をしている、また受講した伊藤清一や菊池信一は「先生の奔騰し白熱する思索の炎を感ずるような思いがした」と述懐しています。それだけに現実の国民高等学校の運営などに賢治は満足できなかった。「賢治と高野主事との猛烈な雪合戦の組み打ち」があり、賢治も「文語詩篇」ノートに「偽善的ナル主事、知事ノ前デハハダシトナル」と公憤を漏らしている。「高野の考える官制的な社会教育、農民教育としての国民高等学校のあり方に信服出来ないものが賢治の心のどこかにあったため」「国民高等学校の終わりとともに、この年の八月、賢治に羅須地人協会を設立させた要因の一つとなったものであると言えるのではあるまいか。」
 デンマークのホルケ・ホイスコーレの理想と現実の岩手国民高等学校の運営の矛盾と葛藤、そこから脱皮するのが賢治の羅須地人協会のスタートだった。そう思わざるを得ないのです。
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by kenjitomorris | 2013-07-31 10:00



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