<   2011年 10月 ( 3 )   > この月の画像一覧
3・11文明の大転換とモリス・賢治の環境芸術(3)
 3・11大震災からの復興は、その前に膨大な瓦礫処理から始めなければなりません。さらに震災復興には、様々な難題が立ちはだかっています。いくら『頑張ろう東北』と掛け声をかけられ、『復興に頑張ろう』と激励されても、復興が進むものでもない。むしろ復興需要を狙って市場獲得を目指す狡猾なコマーシャリズムのセールスではないか、そんな警戒心が頭をもたげてきます。
 東北に対する多くの励ましや、沢山のボランティアの援助にもかかわらず、被災地は次第に復興への希望を見失ってきています。復興は国や自治体の責任で行われる建前は強調されたにもかかわらず、肝心の財政的資金の裏付けがない。言うまでもなくバブル崩壊で「暗黒のデフレ20年」の中で、すでに日本経済は、世界でも最大とも言える借金財政の重荷を背負っている。中央も地方も、長期債務残高に苦悩し、復興どころか財政再建に四苦八苦しているのが実情です。
 財政の裏づけが不透明な上に、復興の計画づくりも頓挫したり、デッドロックに乗り上げている。計画づくりが進まない上、高台へ移転の計画を提示されても、高台の土地は値上がりする、津波に流された自分の土地が処分できない。職が無くなり生活の目処が立たない。仮設住宅を追われ、帰る家、住む家を失ったまま、生きて流浪する以外になくなってしまう、そんな暗い話が溢れそうになってきた。
 被災地では、職を失った人々が急増して、一方で失業問題が深刻です。瓦礫処理などの一時的臨時雇用で生き延びる状態です。しかし、他方では、瓦礫処理にしても、単純労働だけでなく、重機のオペレーターなどの技能者が必要です。これから復興が進めば進むほど、建設土木・建築に関連の技能労働力、つまり職人さんの技能労働力・クラフツマンが、絶対的に不足する深刻な事態が訪れています。統計上も、すでに型わく工、塗装工、鉄筋工の構造的な職人不足が続いています。内陸部でも、職人不足で、震災で落ちた屋根瓦の修理が出来ぬまま、ブルーのシートをかけたままが続いている。被災地の現場は、労働力の過剰と不足が共存する深刻なミスマッチが拡大しているのです。なぜ、こんな職人不足が生じたのか?
 日本経済の工業化による高度成長が進む中で、東北地方を中心に中卒・高卒などの若年労働力が「金の卵」ダイヤモンドと持て囃され、集団就職の列車で首都圏など三大都市圏に吸収されて行きました。さらに出稼ぎ労働力も増加し、「三ちゃん農業」など、農漁村の労働力は高齢化し、後継者不足が深刻化しました。70年代以降は、1ドル=360円だった外国為替の固定相場制が変動相場制に変わり、米国からの圧力も加わり、円高がどんどん進みました。いまや超円高の時代となり、海外から安い農畜・水産物の輸入が急増、食糧の自給率が急速に低下、特に東北の農山漁村は壊滅状態です。そこに3.11の大震災の原発事故で、集団移転を迫られ、村が消滅する事態に追い込まれた。
 東北の地域を捨てた若年労働力は、都市のサラリーマンとして企業に雇用され、団地族の仲間入りが出来た。労働力の商品化です。しかし、始めは終身雇用・年功序列の制度の下で、雇用も安定していた。しかし、高度成長で若年層が不足し、その賃金が上昇すれば、終身雇用・年功序列も崩れてくる。上記の円高が進んで、さらに国際化も進み、競争が激化する中で、海外からの追い上げが厳しくなる。安定していた雇用や賃金上昇も、派遣社員など非正規雇用の増加によって、不安定になる。もはや正社員中心主義は限界です。
 若年労働力の都会への流出で、農家が後継者を失っただけではありません。農山漁村や地方都市の商業も衰退、中心商店街もシャッター通りに変わりました。農家や漁家とともに商家も、さらに地方の中小零細家内工業もまた、後継者を失って家業を断念せざるを得なくなった。じつは、職人・技能者の多くは、企業にサラリーマンとして雇用されるよりは、家業として親から子、子から孫への技能の継承による家業経営として伝承されてきた。戦後の学校教育でも、職業教育やキャリア教育は次第に軽視され、ひたすら大学への進学教育に偏重してきた。学校教育を含めて、職人・技能者を育成し、「手作りの技」を教え込む技能継承の場が失われ、その結果として技能者の絶対的不足の危機を招くに至ったと実感します。
 3・11大震災からの復興を控えて、職人・技能者の絶対的不足の実態が、巨大津波によって洗い出された。高度成長の工業化と近代化による労働力商品化の拡大と深化が、一方では正社員主義の破綻と非正規雇用の格差社会を生み、他方では職人・技能者の絶対的不足が暴露されたのです。こうした現実が、たんに雇用の拡大や賃金の上昇のレベルを超えて、労働の価値を根本から考え直す、そして働くことの意味を問い直すことになっているのではないか?そして、モリスがアーツ&クラ仏運動の実践の中から、「芸術は、人間労働の喜びの表現である。Art is a man's expression of his joy in labor.」と強く訴えた。丁度150年前の1861年、モリス達は自ら工房で働きながら経営する「モリス・マーシャル・フォークナー商会」を立ち上げた。クラフツ・ギルドさながらに、喜びの表現として労働し、多くの工芸品を製作しました。モリスは、ともに働いていたクラフツマンとともに、彼の仕事場兼住宅のハマスミスのケルムスコット・ハウスで「ハマスミス社会主義協会」を組織して、工芸職人学校を実践しました。
 モリスの工芸運動を、宮沢賢治が岩手県花巻の地で、『農民芸術概論綱要』を準備し、「芸術をもて、あの灰色の労働を燃せ」と地域の農民たちに呼びかけ、羅須地人協会を組織して大きな足跡を残した。「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」灰色の労働を、喜びの表現に変える農民学校の実践だったと思います。平成三陸大津波による震災復興の中で、働くことの意義を考え、労働の価値を再認識することが強く求められているように思います。
a0063220_12542211.jpg
a0063220_12544329.jpg
[PR]
by kenjitomorris | 2011-10-31 21:46
3・11文明の大転換とモリス・賢治の環境芸術(2)
 未曽有の大災害は、M9.0の地震災害もさることながら、あらゆる想定値を超える大津波、それに福島第一原発事故の放射能汚染による、天災に人災が重なった複合災害によるものです。33年前の宮城県沖地震がM7.4でしたから、地震の揺れはさほど大きいとは感じませんでした。被害も、後に続いた余震の被害が大きかったように思います。大災害になったのは、発生した大津波が沿岸部を襲い、津波軽視の「安全神話」で建設した原発事故と重なったことによることは否定できません。
 しかし、大津波にしても、三陸沿岸は元々津波の常襲地帯だった。例えば、賢治の生まれた1896年は明治三陸大津波、この時の死者は2万人を超え、今回より多数の犠牲者が出た。また、彼が亡くなった1933年は昭和三陸大津波、それに今度の平成三陸大津波(2011)です。津波の「生と死」から生まれた賢治文学、とくに「雨ニモマケズ」に、人々はいま救いと励ましを求めているのです。
 多くの犠牲者の上に、さらに残された瓦礫の山も、莫大な量に上ります。仙台市でも、年間のゴミの量の20数年分、最大は石巻市で106年分、気が遠くなる数字です。この瓦礫の処理が進まないことには、復興に着手できない。しかも驚くことは、瓦礫の山の大部分が、クルマをはじめとする電化製品など、重化学工業製品が占めていることです。我々が戦後、工業化による高度成長の近代化の中で、「三種の神器」「3K時代」などと言って追い求めてきた生活の利便性、快適性、そして画一性、その追求の結末が、巨大津波に押し流された瓦礫の山となって、風雨に晒されている現実です。
 とくに押し流された瓦礫の中で、クルマの残骸の多いのが目立ちます。クルマ被害が多いのは、災害時の避難の際、クルマを利用しようとして、渋滞に巻き込まれ、それが津波にさらに巻き込まれることで、被害が増加した。その点では、クルマ社会の悲劇として、生活の利便性が問われることになった。「昔から津波が来たら舟で沖に逃げる」、その伝承が原発の安全神話と共に忘れ去られ、クルマ社会の悲劇を生むことになったとも言えます。
 加えて、08年9・15のリーマンショックによる世界金融恐慌は、米のサブプライムローンによる消費者金融の信用破綻によるものでした。所得や貯蓄の十分な裏付けも無いまま、マイホームの甘い夢に踊らされて、ローンで家を建てる、ローンでクルマを買う、そしてショッピングセンターでカードの買い物、そんな大量生産―大量宣伝―大量販売―大量消費の近代工業社会の消費生活が破綻した。3・11の大震災は、さらに追い討ちをかけるように、津波の瓦礫の山の悲劇として、近代文明の暮らしの見直しを迫ったと思います。
 三陸大津波に生き、そして死んだ賢治の世界は、「雨ニモマケズ」「一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ」て暮らす生活です。大量生産による過食や肥満を否定し、「小サナ萱ブキノ小屋」の暮らしに、本当の心の豊かさと美しさを求めようとした。この賢治精神に、いま私たちは、近代文明を超える心のよりどころを求めようとしている。
 賢治の生まれた1896年、明治三陸大津波の年は、偶然にもロンドンでモリスが死んだ年でもありました。テームズ河の源流、そしてコッツウォールズも豊かな自然の中に、洪水の脅威を絶えず抱え込んでいます。最近でも08年夏、テームズ河の上流が洪水で氾濫し、多くの家屋や庭園が浸水の被害を受けたようです。前年の07年に宿泊したB&B「ミル・ディーン」も流されました。その写真をアップしますが、「世界で一番美しい村」コッツウォールズもまた、自然の豊かさ、美しさとともに、自然の驚異を抱えている。だからまた、自然との緊張関係から、自然の美しさと共生し、それを暮らしに生かそうとする芸術思想が生まれ、育まれたのではないか? コッツウォールズの村や町は、モリスの『ユートピアだより』さながらに、美しい自然と共に、今もなお17世紀の農家の建物が残り、それを利用した生活が続いています。中世からのクラフツ・ギルドの工房が生き残り、そこで親・子・孫の3代の職人さん達が、仲良く手づくりの銀器の制作に励む。しかも、21世紀のギルドらしく、クラフツ・ウーマンも銀器づくりに参加している、まさしく男女協同参加型ギルドです。
 クラフツ・ギルドだけではありません。マーチャント・ギルドの機能も残り、昔からの町の市場の建物では、そこで物々交換を含めた少量多品種、そして地産地消の野菜や果物の取引が行われている。ショッピングセンターではない、マーチャントギルドの市場の取引が行われ、市民がガーデニングを楽しみながら、キッチンガーデンで採れた新鮮な野菜などの食材を供給しあう風景が、テレビでも沢山紹介されています。
 モリスの共同体社会主義は、生活の豊かさを、大量生産ー大量消費の安価な画一化、過剰化ではなく、暮らしの中に芸術の美しさを採り入れるものでした。それは量産化の技術ではない。芸術と結びついた技能であり、手づくりのアートであり、クラフツマンの技です。彼の社会主義は、何よりもまず芸術社会主義であり、その実践はアーツ&クラフツ運動です。それは、近代社会の大量生産ー大量消費の暮らしを変えて、本当の手づくりの美しさを生活に取り入れようとするものです。
 モリスが1883年の講演で訴えた言葉、「生活に必要と思はないもの、美しいと思はないものを、家に置いてはならない。」これは、3・11の震災の後に残された瓦礫の山、そして近代工業文明の過剰消費に対する厳しい批判ではないでしょうか? 
 
a0063220_11514130.jpg
a0063220_11521632.jpg
[PR]
by kenjitomorris | 2011-10-28 17:49
3・11文明の大転換とモリス・賢治の環境芸術(1)
 3・11の大震災の地震や津波の災害から免れた「賢治とモリスの館」でしたが、やはり仙台は被災地ですから、いろいろ影響が出て来ました。沢山の犠牲者や被災した方々もおられますから、やはり「自粛ムード」が作並温泉を中心に広がりました。その点でも、館の来訪者の数も少なく、あらためて災害の恐ろしさを考えさせられました。まだまだ瓦礫の処理も進まず、復興にも着手できない被災地のことを考えると、深刻に考え込まざるを得ない日々が続いております。
 そうは言っても、時間が変化をもたらします。秋を迎え、山々から紅葉が作並の里山に下りてくる季節が近づいています。来訪者の数も昨年のレベルに回復してきました。とくに、被災した方々の中で、館に「癒し」を求めて訪れる方も多いのに驚きます。そんな方々との会話を含めて、改めてモリスや賢治の「環境芸術」の思想を考える、とくに福島第一原発の事故による放射能汚染は、18世紀イギリスに始まる近代文明のあり方を、根本から考え直すことを、我々に強く迫っている。そこにまた、賢治やモリスの芸術や思想の今日的意味があるように感じて仕方ありません。少し書いてみたいと思います。
 まず、エネルギーの転換です。産業構造やライフスタイルの変化にとって、その基礎となるエネルギーが非常に重要です。18世紀イギリスの産業革命も、水力から蒸気、さらに電気エネルギーへの転換により、工業化が進んできました。特に重化学工業の発展は、電気エネルギー、それも石炭から石油への化石燃料の大量利用が、第2次大戦後は中東への依存を強めました。日本でも、戦後東北は地域のエネルギー資源、水力・石炭・森林・鉱物など、加えて農水産物資源による開発を目指しました。ところが、60年代の初め、いわゆるエネルギー革命により、石炭から石油への大転換が起こり、輸入資源への全面依存で、アラブの「石油漬」の生産と生活に変わって仕舞いました。しかし、70年代、2度の石油ショックで、脱石油が始まりましたが、その後地球環境問題が深刻化し、温暖化による再生可能エネルギーへの転換が急務になったわけです。ここで、スリーマイル島やチェルノブイリの原発事故があったにも関わらず、詐欺行為にも等しい原発「安全神話」による、原子力の平和利用の原発ブームが起こりました。東北の開発も、今度の福島第一原発は、全部70年代に集中開発、東北の「原発銀座」と呼ばれました。
 今度の3・11東日本大震災は、その東北の「原発銀座」を直撃、「安全神話」を一瞬にして浚い押し流してしまいました。多くの犠牲者を呑み込み、浚って行っただけではない。永久に除染して洗い流すことの出来ない放射能で汚染された土地、建物、自然を残してしまいました。人間の住むことの出来ない、死の町を残しています。人類の生存にとり、原子力利用は許されるのか?近代文明を支えていた、科学技術への信仰を続けることが出来るのか?3・11の大震災は、原子力VS自然エネルギーという形で、近代文明の機械・科学技術を問い直しを迫っているように思います。近代社会の工業化の機械文明から、脱近代の自然エネルギーによる産業や生活への変革を迎えたのではないか?
 モリスが自然環境から、彼のデザインを発想していたことは、柳やアカンサス、「イチゴ泥棒」の苺と鳥、蔓バラの「トレリス」など、さらに『ユートピア便り』では、地下鉄は「人生の蒸し風呂」と嫌悪し、別荘のケルムスコット・マナーへの旅も、汽車ではなく船旅のスローライフです。産業革命の蒸気機関や電気エネルギーではなく、自然エネルギーへの回帰による近代文明への批判でした。
 賢治に至っては、『注文の多い料理店』の序から、自然エネルギーの利用どころか、自然エネルギーで生きる人間の話です。引用します。「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風ををたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。」賢治は、「風をたべ」「日光をのむ」、まさに自然人なのです。化石燃料や原子力とは無縁であり、「月夜のでんしんばしら」でも、電気エネルギーを軍事力の心象風景としているように思います。恐るべき推理力です。 
a0063220_10324249.jpg

[PR]
by kenjitomorris | 2011-10-23 21:14



賢治とモリスの館 - 最新情報
by kenjitomorris
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
外部リンク
カテゴリ
全体
未分類
以前の記事
2017年 05月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 08月
2016年 06月
2015年 12月
2015年 08月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 09月
2014年 07月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 04月
2013年 03月
2012年 12月
2012年 09月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 05月
2011年 03月
2010年 12月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
フォロー中のブログ
賢治とモリス<研究ノート>
検索
記事ランキング
その他のジャンル
ファン
ブログジャンル
画像一覧