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滝清水神社の湧水とワサビ栽培
<情報コーナー>
 「賢治とモリスの館」は、舟形山の県立自然公園の中にあります。その舟形山山系に薬莱山がありますが、その湧水を利用して、宮城県産の「薬莱ワサビ」が出荷されました。無農薬栽培で新鮮な自然の贈りものを実感できます。お問い合わせwasabi@okuda.ne.jp
<研究ノート>
 花巻市の桜町、羅須地人協会があった「賢治詩碑」のすぐ近くに滝清水神社がある。北上川と豊沢川の合流点、賢治の耕した例の「下の畑」からほんの数十メートルのところだが、社の崖下から今も清水が滾々と湧き出している。水汲みができる様に足場もコンクリで固めてある。ここで、伊藤克己さんが賢治の指導で「ワサビ田」を作り、ワサビ栽培を始めた。さらにワサビを粕漬けにして売ったらしい。先日の座談会の時、克己さんの弟の利巳さんが説明してくれた。
 克己さんのワサビ作りについても、与蔵さんの「聞書き」に書いてある。賢治は、羅須地人協会の活動とともに、与蔵さんや克己さんの相談によく乗っていた。与蔵さんには、グラジオラスやスイカの栽培をアドバイスしている。
 「ある時先生から、グラジオラスを植えてみませんかとすすめられました。グラジオラスというのはどんな花ですかと聞き返しましたら、ナガラベットのことだということがわかりました。それならうちの庭にも沢山ありましたし、あまり気乗りがしませんでしたが、せっかくすすめられるものですから植えてみることにしました。
 夏がやって来て、新しく植えたグラジオラスが次から次へと咲き始めました。花は赤、白、黄、紫と全く色とりどりのきれいな花なのです。うちにあるナガラベッドとはあまりにも違う花なのでびっくりしました。グラジオラスは忽ち近所の評判になり、わざわざ見に来る人もたくさんありました。その花はたいてい近所の人に分けてやりました。
 又、ある時、西瓜を作ってみたらどうか。といわれたことがあります。大和西瓜という品種でした。その年はみごとな西瓜になりましたが、町に売りに行くのが恥ずかしいので、姉にたのんで売ってもらったことがあります。姉は1つ60銭で売れたよ、と言って喜んで帰って来ました。」
 以上は、与蔵さんについてのグラジオラス、大和西瓜の話である。賢治が、当時から換金性の高い、付加価値の大きい、花木や果物を作物に取り入れようとしていたことがわかる。花を通じてのモリスとの共通性、芸術思想とのつながり等、モリス―賢治の流れをここでも確認できる。ただ、ナガラベッドは地域の花の名前のようだが、詳細は目下不明で調査中。続けてワサビの話である。
 「伊藤克己君は、先生からわさび作りを教わり、わさび漬を作って売りました。先生はチューリップとヒヤシンスをやりました。」
 伊藤克己さんのワサビ作りのワサビ田が、滝清水神社の湧き水の利用であり、それを加工して「わさび漬け」を製造、販売した。克己さんも与蔵さんと同じだった。作るのは自分だったが、売り歩くのは苦手。もっぱら奥さんの仕事だったとは、今回の座談会で明らかにされた真相である。何とも心温まる羅須地人協会の師弟共同の地産地消の営みである。
 
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by kenjitomorris | 2007-02-26 15:20
賢治「羅須地人協会」の羅須の意味
<情報コーナー>
 2月13日(火)、花巻市桜町の「賢治詩碑」、つまり羅須地人協会の跡地に隣接する協会メンバー故伊藤克己氏宅(現在、伊藤明治宅)で、協会メンバー2世(妻、弟、甥、息子、娘等)9名参加による座談会が開かれました。平均年齢約80歳の超高齢者の座談会でしたが、編集の必要はありますが、大変貴重な話し合いでした。故伊藤与蔵さんの「聞き書き」に関連して、賢治と羅須地人協会についての思い出、その役割や意義について語り合ったものです。その中で、賢治から満州に出征中の与蔵さんに宛てた年賀状(昭和8年元旦)が披露され、コピーを撮らせていただきました。「館」の賢治グッズに加えたいと思います。貴重な資料です。
<研究ノート>
 多くの来訪者から、よく「羅須地人協会」の羅須とは、どういう意味か?との質問を受ける。賢治は、花巻の町が「花巻」というように、特別の意味は無い、と答えていたそうだ。そう答えるのがいいと思うものの、賢治記念館でもいろいろ説明されている。原 子朗著『新宮沢賢治語彙辞典』にも、内外の研究者による諸説が紹介されている。およそ20位の説明に分かれている。それぞれ根拠付けがあって面白い。「館」との関連では、モリスの芸術観・社会観は、とくに労働については、先輩のラスキンJ・Rusinの学説を受け継いでいる。モリス・ラスキンの思想だ。賢治は、農民芸術概論との関連から、ラスキンのラス・羅須とした、との説もある。それならラスキン・モリスを約めて、ラス・羅須でも良さそうに思うのだが?
 今回、桜町の座談会では伊藤貞子さんから、協会メンバーだった故伊藤克己さんからの説明として、lath「塗り壁下地に使う金属性の網」のことで、「土が壁に塗り固められるように、地域の農民たちが団結して力を合わせること」と聞いたそうだ。とすれば、羅須は地人と一体の表現であり、まさに土地・地域に根ざし地縁の網・ネットワークを意味することになるだろう。協会の発足時に、「どんな名前にするか?」いろいろ話し合ったそうだが、ラスキン・モリスなどと変に考え巡らさずに、地域の生活の身近なところから、lathのように地縁の共同体として羅須地人協会を考え、命名したのが本当だろう。
 なお、上記『新宮沢賢治語彙辞典』によると、lath・羅須説は、宮沢家の主治医に当たる佐藤隆房氏の『宮沢賢治』に出てくる説明とのことで、「英語のLath(壁の漆喰の支えにする木摺とか木舞)のことで、つまり農民の支柱の意とする」と記載されている。ただ、伊藤貞子さんの説明、さらに『建築用語辞典』などを調べると、lathは「一般には金属製のラスをいう」とある。いずれにせよ賢治たちは、地人の地縁のネットワーク、地域共同体を目指して羅須地人協会を組織したのではないか。美しいムラ、新しいムラづくりを目指していたに違いない。
 伊藤克己さん、与蔵さんたちの羅須地人協会は、賢治の病気などもあり、わずか2年半の短命に終ってしまった。しかし、今も2世たちが集まり、賢治祭など、多くの賢治ファンの心に生き続けている点では、羅須地人協会は「漆喰壁」のように時空を越えて、賢冶流「4次元のコミュニティ」として活動しているように思うのだが。
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by kenjitomorris | 2007-02-19 21:14
なぜ、賢治とモリスを切り離すのか(続)
<情報コーナー>
 1/25から行われた「とうほく蘭展、バラとガーデニングフェスタ07」のミニガーデンコンテスト部門で最優秀賞だった「セロひきのゴーシュ」のセロを購入しました。これで賢治グッズがまた1つ増えました。「とうほく蘭展」では、最近NHKなどで「世界で一番美しい村」と紹介され、モリスの『ユートピア便り』の舞台でもあるコツッウォールズ地方のコテージ(レプリカ)を、1昨年購入して「館」に設置してあります。今回のセロと一緒に,ぜひ環境芸術の夢を膨らませて下さい。
<研究ノート>
 吉本には1966年に出版された『カール・マルクス』という著作がある。「戦後20年にして崩壊しつつある古典左翼の抱き合い心中から、マルクスを救出しようとするという意味」で書かれたもので、大変面白く読んだ記憶がある。最近、新たに「光文社文庫」に収められて刊行されたが、ソ連崩壊とマルクス・レーニン主義の破綻の中で、今回いかににマルクス救出になるか、さらに「賢治とモリス」の関連でも読み直してみたい。
 吉本による賢治のユートピア論を受けて、ほぼ同じ論調で賢治とモリスを切断する論稿が続いた。1981年『日本文学』10月号所収の多田幸生「宮沢賢治とウィリアム・モリス」(のちに『宮沢賢治・愛と信仰と実践』所収)である。多田論文では、吉本論文では立ち入らなかった「農民芸術概論」、羅須地人協会の活動など、賢治とモリスの関係についても、具体的に論じられている。その点では、賢治とモリスの関連について、本格的に論じた戦後の数少ない論稿である。とくに「農民芸術概論」について、「綱要」や「農民芸術の興隆」のモリスに関説した箇所に立ち入り、かなり詳細に資料チェツクの上、検討を加えられた。それにより、室伏問題が大方片付けられた功績は、高く評価すべきだ。 
 多田論文では、吉本論文と異なり、具体的内容が不明な「或る心理学的な仕事」には特に触れていない。冒頭から「農民芸術概論」の具体的検討を始めているが、モリスの芸術観・労働観と賢治のそれとの間に、決定的な違いがあることを、繰り返し強調する。無論、賢治とモリスの間に違いのあるのは当然で、時代や国の違いだけではない。とくにモリスは工芸を中心に、賢治は農民芸術を中心にすえていた。二人の社会的・政治的活動も違っているし、いうまでもなくキリスト教と仏教の宗教上の違いがある。
 しかし、工業化による資本主義の発展の中で、農業と工業が社会的分業を形成し、生産と消費が分離し、さらに土地とともに労働力の商品化による単純労働が「労働の疎外」を極限まで進めようとしていた現実から、人間労働のあり方を問い直そうとした点では、2人の天才が強く共鳴していたのではないか?だから賢治は、東北農村の厳しい現実から、モリスを肯定的に受け入れたし、別に違和感や批判的コメントを書き込むようなことはしなかったのではないか?さらに与蔵さんの「聞き書き」を読めば、賢治の農民芸術論の基調が、モリスの労働観・芸術観にあることは明白なのだ。
 昔の百姓の生活は、米作りなどの生産的労働と祭りなどの芸術が一体化していた。ところが、近代化・工業化の進展で、分業化して労働疎外が進む。だから生産的労働と芸術的行為の一体性を取り戻す、そこに賢治は農民芸術・地人芸術の復権を目指していた。「農民芸術概論」の真髄は、モリスやラスキンの労働観・芸術観の継承・発展にあったし、詩人の直感力だろうが、モリス以上に雄大なポストモダンの芸術思想・社会思想の全体系の構想が浮かび上がってくる。もし、それが賢治の手で完成し公刊されたら、国際的にも高い評価を受けたに違いない。
 さらに賢治が「農民芸術概論」を準備し、花巻農学校を辞して、羅須地人教会の実践を始めようとしたのは、「或る心理学的仕事」があったかも知れない。しかし、直接には農学校の教育実践の延長上に、教育実践の限界を乗り越えようとして、モリス風にいうなら日本の東北での「アート&クラフト運動」をはじめたのではないか。賢治が「桜の別荘」で独居生活に入り、「本当の百姓」になろうとした志も、たんに「米作り」の生産的労働をやり、「物々交換」をすることだけではない。彼の「地人」像は、羅須地人協会の「生活芸術」の実践から創造しようとしたものだし、「雨にもマケズ」の人間像に結晶したように思う。
 多田論文では、モリスの労働観=芸術観に対して、賢治にあっては「芸術と労働とが截然とくべつされ、二つのものがまったく異質なものとして、それぞれ別個に把握されていた」と、かなり断定的に主張されている。しかし、それを裏付ける賢治の主張はといえば、例えば「農民芸術の産者」の中で、まず「職業芸術家は一度亡びねばならね」と述べ、農民・地人が生産的労働の中に芸術を取り戻す。そして「創作自ら湧き起り止むなきときは行為は自づと集中される/そのとき恐らく人々はその生活を保証するだろう/創作止めば彼はふたたび土に起つ」、ここから多田氏は「農民は芸術的な創造意欲の油然と湧き起こるときには創作に専念する。しかし、それがひとたび失われれたとき、即座に農民に立ち返り本来の仕事たる農作業に精励する。」したがって、賢治では「芸術と労働とが截然と区別され、二つのものが全く異質なものとして、それぞれ別個に把握されていたということなのである。」
 しかし、待って欲しい。農民が祭りで踊り、畑で耕す時、時間的・空間的に分離するのは当たり前の話ではないか。モリスが詩を書くのと、壁紙をデザインして製作するのが、時間的・空間的に分離して行われるのと同じ次元の話ではないか。踊りながら耕すわけにはいかないし、詩を書きながらカーテン地を織ることはできない。それがなぜモリスの労働観=芸術観を賢治が否定していることになるのか?いずれにせよ無理な主張だし、だから多田氏もまた「賢治が芸術と労働とを截然と分け、農業労働に芸術的なものを全くみていなかったといえば、必ずしもそうではなかった」と述べ、「春と修羅 第三集 詩稿補遺」の「第三芸術」を挙げている。
 その詩に登場する「白髪の農夫とはまさしく芸術家であったのだ。<労働=芸術><農民=芸術家>と図式化するまでもなく、この詩にうかがえるのは、労働と芸術の一致―その瞬間における一致のみごとな形象化である」ことは認める。しかし、それは単に形象化に過ぎず、「労働する姿に<芸術>をみていたのはあくまでも賢治の側なのであり、それは詩人の詩的直観---彼の姿勢の然らしめるところであった」と述べる。さらに、現実に生産的労働に苦悩する農民に芸術を見ようとするのは「安易」であり、「それは一種のまやかし、吉本隆明の表現を借りるなら<恰好のいい嘘>ではないのか」と詰め寄る。
 しかし、賢治は「白髪の農夫」の話を、わざわざ「第三芸術」と銘打っている。(1)芸術至上主義とも言える「芸術のための芸術」、(2)職業芸人に他ならぬ「生活・人生のための芸術」、それらに対し賢治はモリスの「小芸術」=生活芸術として(3)「芸術としての人生・生活」である第三芸術を提起したのではないか。それを(1)、(2)の次元に引き戻し、農民と芸術家の分業の立場の違いから批判しても意味がない。第三芸術そのものを否定するだけになってしまう。賢治とモリスの異質を説明したことにはなるまい。
 さらに、東北農民と詩人賢治の関係が、ロンドンの職人労働者と詩人モリスの関係と、どう違うのか。賢治だけ責め立てられる筋合いはないと思うが、結局のところ二人の違いは社会変革、政治的実践との関わりの差異に帰着することになる。その限りで多田論文は、吉本説と同じ立場に立つことになっている。例えば賢治も、羅須地人協会の活動から、さらに当時の労農党の政治活動へ接近した。しかし「賢治における政治の季節はごく短期間に終った。」この短期の実践があるかぎり、モリスの労働観=芸術観を賢治も共有するが、それだけに過ぎない。「モリスは、理想社会の実現---のために、己れの身を政治的実践に投じた。社会主義は必要な変革であり、実現することが可能であると確信していた彼にあって、なさねばならぬことはただ一つ、自分を実践活動に結びつけることだったという。」
 モリスの社会主義と芸術思想・社会思想が、賢治の羅須地人協会や労農党への接近と、全く同じでないのは当然だ。しかし、そのことが労働観=芸術観に関して、二人が「全く異質」といえるものなのかどうか?さらに「このモリスに<政治>はあっても、<宗教>はなかった。事実、彼には宗教に対する関心などはこれっぽっちもなかったらしい。その逆に、賢治には<宗教>だけがあった。そこに両者の芸術観=労働観が相違する根本の理由があったといえるだろう」と。
 この結論に関しては、上記の著作では多田氏も表現を和らげ、さらに「彼は、<科学的な分析にたいしても形而上学や宗教にたいしても関心がなく--‐>とはっきり語っている」として、モリスの「如何にして私は社会主義者になったか」から引用文を加えられた。たしかにモリスは、マルクスの影響を受け、社会主義者を自認していた。しかしエンゲルスからは、空想的社会主義者として扱われ、又モリスが属していた当時の「社会民主同盟」などは、非合法の地下組織ではない。思想的啓蒙団体のレベルのものだったし、政治的影響力も低かった。ロンドンの工藝職人たちを相手とした「ハマスミス社会主義協会」などは、羅須地人協会の活動と大した違いがあったとも思えない。社会主義といっても、非合法の暴力革命の前衛党の実践とは違うのだ。ソ連崩壊の今日の現実から、社会主義の捉え直しが必要ではないか?
 宗教については、モリスが社会主義の思想と科学、宗教と区別していただけで、宗教には多大な関心を払い、深い造詣をもっていた。オックスフォードでは、牧師になろうと勉強していたから大変な博識であり、また宗教を捨ててデザイナーになったわけでもない。中公クラシックス版『ユートピア便り』の解説では、多田稔氏が次のように説明されている。
 「社会主義を奉じ忍と情熱に生きたモリスと西欧の伝統とは切っても切れないキリスト教との関係である。教会建築の美に打たれ聖職者にならなかったモリスは、教会装飾、彼の言うレッサーアート(小芸術)に立脚して発展していったのであるが、彼はオックスフォード時代から英国国教会の広教会に属していたキリスト教社会主義者チャールズ・キングスレーの書物をよく読んでいた。‐‐‐モリスの芸術論からしても、モリスは、ライナー・マリア・リルケの言う<神様と同じ方向をみていた人>なのであろう。」 
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by kenjitomorris | 2007-02-04 14:20
なぜ、 賢治をモリスから切り離すのか?
<情報コーナー>
 今年は特に暖冬で、1月末現在、作並にもほとんど雪がありません。しかし、さすがに瀬戸原の郷は積雪で、「賢治とモリスの館」には車で入るのは無理です。近くで降りて、長靴に履き替え,玄関に辿り着く状態でした。ただし昨年の今頃は、カンジキを付けての雪中行進でしたから、余程今年は暖かい冬です。「熊も冬眠を止めた」との噂もあります。
 そんなわけで春の訪れ、カタクリの花の開花も、早まりそうです。群生予定地の南斜面には積雪なし、今日にもカタクリの芽が出そうな状況です。オープンをご期待下さい。
<研究ノート>
 伊藤与蔵さんの「聞書き」によれば、賢治の「農民芸術概論」が、モリスを中心に語られていたことは明らかである。「農民芸術の興隆」の書き込みメモもあるし、少しでもモリスの生活芸術の思想、社会思想を知れば、モリス―賢治の流れを感じ取れるはずなのだ。それなのに、この流れに逆らう思想状況、それはイデオロギー的歪曲とも言えるような知的風土が、戦前から戦後日本を支配してきた。特に賢治研究にとつては、不幸だったのではないのか?
 戦前と比べて、戦後日本のモリスは、文芸・工藝を中心に、特にモリス・グッズが多くのファンを獲得した。翻訳なども沢山出版された。賢治も同様である。童話や詩の作品は広く普及し、小中学校の教科書にも沢山採用されるようになった。いささか神格化されたともいえるし、その反発も一部感じられるほどだ。このように賢治とモリスは、文芸・工藝を中心に多くの愛好家を集めたが、それはモリス―賢治の芸術思想・社会思想の流れとしてではない。なぜか賢治とモリスが別々に、むしろ意図的に切り離される動きが強いのだ。
 その理由のひとつに、「農民芸術概論」に関わる室伏高信からの引用問題があった。それは、すでに見た通り誤解、ないし検証不足によるものだろう。むしろ室伏問題が、いつまでも尾を引いて残ること自体が不可解な話ではないのか?その点、問題解消の意味でも、与蔵さんの「聞書き」が果す役割は大きいのではないかと思う。しかし、さらに室伏問題を超えたところにも、戦後日本の思想状況を反映していると感じられる賢治論がある。検討してみたい。
 戦後の文芸評論の第一人者として、吉本隆明の名を挙げることが出来る。吉本氏の賢治論は多くないと思うが、ここに1978年(昭53)『国文学』2月号、宮沢賢治特集に載った「賢治文学におけるユートピア」という80枚の力作がある。文芸評論は門外漢なので文芸作品の評価はできない。ただ、賢治の作品を「並外れて自在な<視線>の位置」から評価するのは、さすがだと思う。自由で多様な「眼」の位置、その「視線」の方向性、バラエティーに富む「視座」の転換などは、賢治文学の魅力に違いない。その魅力は、ユートピアンとしての賢治のものでもあろう。
 ユートピアンといえば、モリス―賢治の流れをどう見るのか?他ならぬ吉本のモリス論、そして賢治論である。では、吉本隆明はモリスと賢治へ、どのような「視線」を投げかけようとするか。興味深い論点だろう。
 「宮沢賢治はモリスのように社会組織の革命の全体的構造のうえに、ユートピアが成立つという着想をまったくとらなかった。だから人類が<一方には盲目的な圧制者たち、他方には無関心な堕落した奴隷たち>(モリス『ユートピアだより』松村訳)の二種類にわけられる状態がなくなってしまえば、実用的な製品それ自体が、芸術的な加工品にまで昇華されるという芸術経済論はなかった。宮沢自身のいうある<心理学>上の転換の上に<灰色の労働>が芸術にまで昇華され、身体の動作それ自体が芸術にまで節奏化されるという着想をはなれなかった。いいかえればかれの農民芸術は貧弱な風土と生活それ自体の幻想的美化、重ねあわせの形像と、貧弱な土壌からの幻想による離脱をよりおおく意味したといってよい。」
 吉本は、モリスのユートピア論に立って、賢治の「心理学」による幻想を批判し、モリスと賢治を手荒く切り裂いてしまっている。さらに続けて、「宮沢もまた修辞的には、みんながぜんぶ労農党になってからおれのほんとの仕事がはじまると書いてみたり、諸君はその時代にひきずられて奴隷のように忍従したいのかと書いたりしている。けれどそこには宮沢本来はいない。かれには社会的な構想も政治的な構想も具象的になったことはなかった。ことはすべていってみれば<心理学>上の構想に属したというところにこそ、宮沢賢治のユートピアの重大さがあったのである。」要するに、モリスのユートピアと違って、賢治のそれには、心理学上の構想だけで、社会的・政治的・経済的構想は何もない。あるのは「銀河鉄道の夜」の幻想の世界のみ。モリスが、みずから「テムズ川の流れに沿ってユートピア社会の現実を観察する」のとは、まったく対照的な賢治の幻想的世界なのだ。
 ここまで賢治とモリスを引き裂きながら、不思議なことに吉本が「農民芸術概論」に踏み込まず、羅須地人協会の活動にも触れず、イーハトヴォの世界を具体的に取り上げないのはなぜか?「灰色の労働」、「農民芸術」のタームも、賢治がモリスの労働論から、小芸術=生活芸術論から、東北農村の現実を踏まえた「都人」への訴えの表現ではないのか。労農党との関わりも、ポーズだけの「修辞的」行為ではないだろう。「ポラーノの広場」の演説について、吉本が「こういうときの宮沢は弱小なもの、いじめられてうとまれているものに、格好のいい嘘をつくことになっている。支配者や農本的な篤農家や労働者の味方づらをした道徳主義者が、貧民や労働者の弱点につけこむためにつねに吐き出す嘘とおなじになっている。能率、有効性、必要に強いられて生存しているものに、べつの有効性と能率主義を与えて解放できるとする思想はサギ以外のものではない。」
 やや感情的とも見える切り捨て方だが、賢治も「べつの有効性と能率主義を与えて解放できる」とは思ってはいないはずだ。モリスに倣って、人間疎外からの脱却を求め、労働のあり方の転換を求めて労働の芸術化を主張しているのではないか?大正14年2月9日の「森佐一宛書簡」では、たしかに賢治が「或る心理学的な仕事」を目標としていると書いている。しかし、吉本もいうように「未知の構想」であり、それが「銀河鉄道の夜」だけだとは言えまい。「農民芸術概論」の構想、モリスの芸術思想・社会思想の積極的受容・発展である可能性も大きいのではないか?ともかく吉本は、内容不明な「心理学的仕事」だけから、賢治のユートピアをモリスのユートピアから切断し、法華経の理念、「大乗教のいう如来性や菩薩性」に直ちに昇華させてしまおうとしているのではないか?
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by kenjitomorris | 2007-02-02 15:24



賢治とモリスの館 - 最新情報
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