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モリス・ハマスミス社会主義協会と羅須地人協会
<研究ノート>
 『ユートピア便り』の新しい世界は、美しい自然に生きる陽気で明るい男女の語らいに満ちている。しかし、反対にモリスの社会主義の政治活動は、惨憺たるものだった。政治の現実は、いつもどこでも、そんなものかも知れないが、それでもモリスは自らの芸術と結びついていた社会主義の夢を捨てようとはしなかった。
 モリスの社会主義への入門は遅く、1880年代を迎えてからだ。83年にマルクス派の「民主連盟」に加入、すぐ『資本論』を仏語版で読んだ。さらに87年に英語版でも読んだが、連盟の代表格のハインドマンとエンゲルスとの対立もあって、モリスはマルクスの娘エリノア、その情夫とも言えるエイヴリング、さらにマルクス理解の有力な協力者だったバックスらと共に、連盟を脱退した。そして、85年にエリノアなどと「社会主義者同盟」を結成した。その名はマルクス・エンゲルスの「共産主義者同盟」ではなく「社会主義者同盟」、宣言文を書き、機関紙『コモンウィール』を創刊、編集長になった。
 誠実なモリスは、上記バックスの協力を得ながら、社会主義発展史である「社会主義の根源」を『コモンウィール』に連載した。自らの社会主義の思想を歴史の原点から点検する厳しい作業だった。連載は86-87年にかけてであり、さらにここで『資本論』を読み直し、25本の連載論稿のうち、7本を『資本論』の経済理論の概説に当てたのである。その点に限れば、「唯物史観のエンゲルス」に対して、「『資本論』のモリス」の位置づけも可能ではなかろうか。
 実践家としてのモリスは、また真面目そのものだった。ロンドンのトラファルガー広場での「血の日曜日」の集会やデモにも参加、逮捕されたこともあった。犠牲者の救援にも奔走、各地の集会で講演し演説を繰り返した。涙ぐましいほどの社会主義の実践活動の中で、さらにモリスの詩作が続けられ、織物などの創作も行われた。まさに超人的ともいえる活動だった。そして1890年、『ユートピア便り』が執筆された。
 『ユートピア便り』は、『コモンウィール』に約1年間連載されたが、この時すでにモリスは編集権を奪われていた。同盟の主導権は、狡猾なアナーキスト派に牛耳られ、モリスは孤立して同志や古い友人も去ってしまった。経済的な犠牲だけでなく、心身ともに活動に捧げ尽くしたにもかかわらず、同年11月モリスは同盟を去ることになった。余りにも誠実なモリスは、権謀術数の渦巻く当時の政治活動の犠牲だったかも知れない。
 しかし、モリスは社会主義の運動を止めることはしなかった。「同盟」脱退と同時に、今度はエリノアなどと共に「ハマスミス社会主義協会」を結成した。ロンドンのハマスミスは、1878年にケルムスコット・ハウスに転居以来の生活エリアだ。ここで彼は、まさしく地域に根ざした運動構築を目指したと言えるだろう。同時に、「世の中に美しいものが2つある。美しい建築と美しい書物」、その本づくりのために、ケルムスコット・プレスを発足させた。木版の見事な本を次々に出版した。芸術と思想の統一が実現した。
 モリスにとって、詩を書き、壁紙をデザインし、本作りのアートクラフトの運動そのものが、社会主義の運動だった。地域の職人技能者に社会主義を講演し、集会で演説した。マルクス・レーニン主義のドグマ、プロレタリ独裁による権力の奪取ではない。職人技能者など、働くものの教育運動に、社会主義の夢を託そうとしたのだろう。そして1896年、ハマスミスの自宅で62歳の生涯を閉じた。その死について、1人の医師が「病名は、w・モリスだったというまさにそのことで、並の人の十人分以上の仕事をして亡くなりました。」すでに述べた多才極まりない活動に加えて、古建築物保全や環境保護運動の先駆者でもあった。こうした活躍を加えるなら、モリスの生涯はまさに超人的だったといえると思う。
 1986年、モリスの亡くなった、その年に宮沢賢治が岩手の花巻に生まれた。モリスと賢治、2人の生い立ちも、経歴も全く違う。しかし、賢治が花巻から盛岡の中学に進み、盛岡高等農林を卒業し、花巻に帰ってきた。そして、花巻の農学校で教壇に立ち、モリスのアート・アンド・クラフト運動など、労働の芸術化を中心に、「農民芸術概論」を講義した。その講義を、さらに地域の農民たちへの羅須地人協会の教育実践に発展させたのだ。賢治もまた、マルクスやエンゲルスを読み、ロシア革命のプロレタリア独裁には批判的視座に立っていた。そこに賢治のモリス継承の地平があったことを確認したい。
 モリスの生涯と彼の業績を、賢治のそれに重ね合わせることを許してもらおう。1)賢治の「農民芸術概論」とモリスの芸術思想、2)羅須地人協会とモリスの「ハマスミス社会主義協会」の活動、少なくともここに共通性を求めることが出来るのではないか?賢治とモリス、その超人的な多才な活動、余りにも誠実な生き様、2人の天才の残してくれたものは、『ユートピア便り』が予言した21世紀の現代に生きる人々にとって、まことに貴重な遺産ではなかろうか。
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by kenjitomorris | 2006-11-25 21:27
「空想から科学へ」から「科学から空想へ」
<情報コーナー>
 「館」も紅葉の季節が終わりました。日に日に冬の訪れを感じます。夕方から冷え込み、朝は霜が白く光ります。でも、昨年と比べたら小春日和が続き、暖冬かもしれません。「館」の裏山は奥羽山脈、その向こうは日本海側、気候がガラッと変わります。この気候の段差が、ときどき大きな虹の橋を作り出します。奥羽山脈にかかる美しい虹の橋、この季節によく見られます。
<研究ノート>
 モリスには、「空想的社会主義」」のレッテルが貼られている。工業化の機械文明と単純労働力の商品化を批判して、労働の疎外からの脱却を、中世ギルドの職人・技能労働の復活に求めた。ギルド社会主義だ。賢治も農民の「芸術をもて、あの灰色の労働を燃やせ」と訴えた。そして、モリスが『ユートピア便り』を書き、賢治も「イーハトヴ」を求めた。ともに工業化・機械化・近代化の「都人」に対して、「地人」の芸術に人間回復を探求したのだ。
 今日まで、「科学的社会主義」がマルクス・レーニン主義として、「空想的社会主義」に対置されてきた。むろん労働疎外から脱却し、労苦から喜びの労働に変えるにしても、単なる架空の夢物語では困る。暗黒の現実にバラ色の理想を掲げるにしても、全くの空想では、文学の世界では許されても、政治にはならない。政治的思想としては、現実を科学的に解明し、理想を科学によって基礎づける必要がある。19世紀、社会主義の夢が実現されぬまま、「科学的社会主義」が要請されるのには、それなりの根拠があったと思う。
 モリスもマルクスを学び、彼の影響を受ける中で、「科学的社会主義」を求めていた。『資本論』を2度も読み、1886-87年には「社会主義同盟」の機関紙『コモンウィール』に「社会主義の根源」を連載した。25本もの大きな論文であり、社会主義の歴史に遡って、自己の社会主義の主張をチェツクした。最後の7本の論考では、『資本論』第1巻の理論をまとめる努力をした。誠実なモリスは、自らの社会主義の主張を、『資本論』の科学的理論により点検したことは疑いない。そのうえで『ユートピア便り』も書いたのだ。
 そのモリスをエンゲルスは、「感情的な空想的社会主義」として、事実上退けた。何故だろう?
 理由は、エンゲルスの方に、とりわけ『空想から科学へ』の社会主義論にあると思う。エンゲルスの社会主義は、後期マルクスの『資本論』の理論そのものよりも、初期から中期マルクス・エンゲルスの唯物史観の公式から直接導かれた性格が強い。科学的論証以前の「イデオロギー的仮説」としての唯物史観だ。「労働力の商品化」の労働疎外からの脱却より、法的所有論からのアプローチであり、工業化の生産力の質を問うことなく、国有化や計画化が強調されたのだ。
 それに加えて、唯物史観の公式からマルクス・レーニン主義のドグマも生まれた。1)理論と実践、2)歴史と論理、3)科学とイデオロギー、この3者の弁証法的統一のドグマだ。とくに3)からは、科学は唯物史観のイデオロギー的仮説に還元され、仮説の社会主義イデオロギーが科学として主張される。科学的社会主義ではない。唯物史観のドグマに還元された社会主義的科学なのだ。社会主義の主張は、科学によって根拠づけられてはいない。イデオロギー的仮設のままの主張だけだ。
 モリスは違う。後期マルクスの『資本論』に直接入門したモリスは、唯物史観のイデオロギー的仮説からは自由だった。「科学とイデオロギー」の統一のドグマからも自由だったのだ。マルクスは『資本論』で純粋な資本主義を抽象し、はじめて周期的恐慌の必然性を論証して、労働力商品の矛盾を説くことに成功したのだ。モリスは、この労働力商品化の止揚によって、疎外された労働からの脱却を求め、それを職人の技能による労働の芸術化に具体化しようとした。ギルド的共同体の復権、自然環境と歴史的文化の復位の運動など、モリスの社会主義は唯物史観のドグマから自由なイデオロギーなのだ。
 科学的社会主義が社会主義的科学のドグマではなく、科学に基礎づけられた社会主義の主張なら、「空想から科学へ」ではない。「科学から空想へ」の自由でなければなるまい。ユートピアン・モリスが求めたものではなかろうか。 
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by kenjitomorris | 2006-11-22 21:54
モリスの社会主義
<情報コーナー>
 11月7日、岩手大学の賢治センターで、賢治の盛岡高等農林時代の「得業論文」についての話を聞いた。大学のように「卒業論文」とは呼ばず、「得業論文」と呼んだそうで、岩手山の火山灰地の土壌改良という実学重視の研究など、とても面白かった。
 ついでに伊藤与蔵さんの「聞き書き」に関連して、同じ羅須地人協会のメンバーだった故伊藤克己さんの弟さんにお会いし、ご協力頂くことになった。協会メンバーの弟、息子など、2世による座談会を来春早々に予定している。羅須地人「協会2世」の群像の語りにご期待を!
<研究ノート>
 モリスの社会主義は、歴史的仮説に過ぎなかったマルクス・エンゲルスの唯物史観のドグマ、とくにエンゲルスの『空想から科学へ』の社会主義論とは、かなりニュアンスが違う。まず、モリスの社会主義は、R・オーエン以来の共同体を重視する社会主義だった。その点でも、エンゲルスからすれば、「根深くもセンチメンタルな社会主義者」として、決して高く評価しようとしなかったのだろう。「ユートピア社会主義者」であり、空想的社会主義と見なしていたわけだ。
 もっともエンゲルスのモリス評価は、1883年はじめに加盟した「民主同盟」、さらに「社会民主同盟」の組織内の対立による事情も大きい。エンゲルスは「同盟」の議長のハインドマンと仲が悪く、モリスのように組織を丸く治めようと努力していた立場を快く思わなかったように見える。でも、モリスがマルクスの一周忌に協力したり、マルクスの娘エリノア・マルクスと行動を共にしている関係もあり、露骨な排除は無かった。しかし、エンゲルスを中心とするドイツやロシアからの亡命マルクス主義者たちとの関係は、そんなに良くは無かった。こうした事情は、都築忠七『エレノア・マルクス』が参考になるだろう。
 しかし、もっと大きな理由は、モリスの社会主義に対する考え方が、唯物史観やエンゲルス流の科学的社会主義とは異なっていた点だろう。ごく大まかに整理してみたい。
 1)もともと市場経済は、共同体と共同体の間に発展し拡大してきた。そして、共同体の経済を刺激し、生産力を高め、消費も高度化した。しかし、市場経済は共同体の経済を破壊した。農業や農村を破壊して、近代化や効率主義の改革を迫った。市場経済は、個人主義や自由主義、商業主義などによる思想や生活を生み出した。その極点が、産業革命の工業化社会の確立であり、機会制大工業の大量生産・販売・消費の生活や文化だった。
 モリスはそれに反対だった。共同体を基礎に、生産や生活、文化・芸術を再建しようとした。個人主義に対しては社会主義、自由主義に対しては協同主義、そして商業主義に対しては自然環境を大切にする環境主義だった。イギリスの社会主義が、オーエンなどの協同組合主義と結びついていたのは、市場経済、工業化、商業主義への反対の思想だったからだ。その流れを汲んだ社会主義の思想がモリスのそれだった。
 2)市場経済は、個人主義を強め、個人的・私的所有の観念を生み出した。人間の労働力まで商品にして、労働市場で取引される賃金労働者を創出して、資本主義の階級社会になった。市場の競争は、地域の農村社会だけでなく、家族や家庭の絆も切り崩した。土地も私有財産にした。社会主義が、私有財産を否定し、土地の国有化を主張するのも当然だった。
 モリスの思想も、私有財産に否定的で共同体を重視したが、根本は労働のあり方だった。人間の労働力まで商品化し、機械制大工業が支配する。熟錬が否定され、労働は単純化され、骨折り・苦痛になった。この労働の疎外から脱却して、芸術的な熟練労働の復権による労働の喜びの回復を図ること、ここにモリスは、社会主義の主張の根本を据えた。
 3)私有財産の制度は、法制度だ。階級制度を前提して、プロレタリア独裁の名の下に「労軍ソビエト」により、土地の国有や集権型計画経済が、「ベルリンの壁」の向こう側に出来た。「私的所有と社会的所有」の基本矛盾の解決は、国家社会主義の性格を持つ。だが、ソ連は市場経済の競争原理に敗北、崩壊した。
 モリスも、過渡的には国家社会主義を認めたが、土地の国有化や上からの集権型の計画経済を否定した。法制度の所有ではなく、生産の根元にある労働の疎外からの脱却を求め、労働の芸術化による働く悦びの回復をめざした。職人の技能を重視する「アート・アンド・クラフト運動」による生活芸術の運動であり、歴史や伝統文化、環境を重視する「教育の価値」を評価した。人間の自由を尊重する共同社会なのだ。
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by kenjitomorris | 2006-11-10 11:28
モリスとマルクス主義
<情報コーナー>
3連休、作並も去年より少し遅れ気味ながら美しい紅葉のハイタイムです。日々時々刻々木々の色が深まり、山や林が染め上がります。モリスがここで、どんなデザインを描くか?傑作が出来そうです。
<研究ノート>
 モリスの社会主義の思想は、K・マルクスから強い影響を受けている。それも晩年のマルクスからの影響であり、1883年に仏訳の『資本論』をノートをとりながら、2度も読んだ。これは、モリスが社会運動、とくに社会主義の運動へ参加したのが、やや遅く1876年の「東方問題協会」での平和運動からだったこととも関連するだろう。70年代後期マルクスの思想から直接影響を受けたわけで、初期マルクスや中期の『経済学批判』の唯物史観の公式主義からは相対的に自由だったとも言える。その点で唯物史観の公式が強かったエンゲルスの社会主義理論には、はじめから馴染めなかったかも知れない。
 ただ『資本論』は難解である。秀才の明快さが目立つエンゲルスの著作とは、まさに対照的かも知れない。マルクスの天才的頭脳の多面的な思考様式、ヘーゲル弁証法のロジック、イギリス経験論の伝統のモリスには難解だったのは当然だろう。娘のメイ・モリスに「『資本論』の歴史的叙述の部分は吟味できたが、その偉大な労作である純粋な経済的理論を読むのには、頭が混乱してまったく辛かった」と書き送っている。これはモリスの頭脳が正常なことの証明で、初めから「『資本論』が楽しく読めた」という人がいたら、それこそ異常な頭脳の症状だと思う。難解ながら2度も読み、しかもロバート・オウエンの共同体的な社会主義の思想と統合しようと努力したのが生真面目なモリスだったのだ。
 それにモリスは、とくに『資本論』の労働価値説に疑問だったそうだが、疑問の中身が分からないが、今日でも『資本論』研究者の間で、労働価値説の論証には疑問が多い。論争が続けられたいる。「労働と芸術」との関係に強い関心を寄せていたモリスには、労働疎外との関係でも疑問が出るのが当然なのだ。
 『資本論』については、与蔵さんの「聞き書き」にも、面白いエピソードが紹介されている。「伊藤忠一君がマルクス全集を買いました。それを聞いて先生が、十年かかっても理解はむずかしいよ、といっていました。今思い出してみると、先生の話の中に、カール・マルクスとか、フリードリッヒ・エンゲルスという名前がなんべんもあったように思います。たぶん社会主義に対する先生のお考えもお話になったと思いますが、残念ながら少しも覚えていません。」--まことに残念である。羅須知人協会で宮沢賢治が、熱心にマルクスを語り、エンゲルスに触れ、モリスを論じていたのだ。何を語り、何を論じ、何を訴えたのか?今、出来ることなら協会を「復活」させて、もう一度賢治の「農民芸術論」を聞いてみたい、そんな衝動に駆られてしまう。
 賢治がマルクスや『資本論』に、少なからぬ関心を寄せていたことは、賢治の蔵書リストの中に、高畠素之訳の『資本論』が、ちゃんと載っていることでも分かる。「聞き書き」では、真面目で几帳面な賢治は、蔵書に目を通し、すべて読んだとのことだ。また、読んで周囲の人々に本を与えたそうだから、蔵書リストに『資本論』が残っていることは、賢治が『資本論』をよほど大事にしていたのではないか?
 
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by kenjitomorris | 2006-11-05 16:29



賢治とモリスの館 - 最新情報
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