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エンゲルス『空想から科学へ』
<研究ノート>
 マルクス・エンゲルスの著作の中で、最も多くの読者を獲得したのがエンゲルスの『空想から科学へ』だ。もともと『反デューリング論』の一部を独立させた小冊子として普及したこともあろう。題名が良かったこともベストセラーの秘密である。さらに難解なマルクス、とくに『資本論』などと違って、文章が読みやすいことも、多くの読者に歓迎されたと思う。エンゲルスは、天才のマルクスと比べるなら、まさに秀才なのだ。
 マルクスは、ドイツのボン大学、ベルリン大学に学んだ法学博士である。エンゲルスは、企業家の息子で家業を継ぐため学歴はない。大学の講義をモグリで聞いて勉強した独学家だ。しかし頭は切れるし鋭い。分かり易い文章で論陣を張った。天才マルクスと秀才エンゲルスは、稀にみる名コンビだと思う。マルクス主義は2人の共同作業の産物なのだ。まさにマル・エン全集である。
 しかし、いかに二人の仲がよく、一身同体だったとはいえ、やはり独立した人格の持ち主だ。それぞれの家庭―エンゲルスは独身だったが―も別だった。2人の考え方の違いもある。例えば『ドイツ・イデオロギー』など共同著作でも、「どちらが何処を書いたか」の「持分問題」が持ち上がるわけだ。とくにマルクスの死と同時期に公刊された『空想から科学へ』(1882ドイツ語版)は、エンゲルス独自の著作の性格が強い。当時の社会主義をめぐっての論争の中で、エンゲルスの社会主義の考え方が、もっとも直裁に原理的に展開されている。
 そこでエンゲルスの社会主義論だが、次のようなシェーマで概括されている。
「1、中世社会。小規模な個人的生産。生産手段は個人的使用に適合したものである。‐‐‐
 2、資本主義的革命。まず単純協業とマニュファクテュアによる工業への転化。‐‐‐生産手段 の大工場への集中。‐‐‐社会的生産物がここの資本家によって領有される。‐‐‐
 3、プロレタリア革命。プロレタリアートは公的権力を掌握し、‐‐‐社会的生産手段を公的所有
に転化する。‐‐‐今や予定の計画による社会的生産が可能になる。‐‐‐」
 要するに、中世封建主義は、私的(個人的)生産―私的所有
        近代資本主義は、社会的生産―私的(個人的)所有
        社会主義社会は、社会的生産―社会的(公的)所有
 このような図式からは、資本主義社会の基本的矛盾も、「生産の社会的性格に対する所有の私的性格の矛盾」として設定される。社会主義は、この基本矛盾を止揚するのであり、次のような図式として描かれる。
        1、生産手段の社会的所有=国有化
        2、社会的生産としての国家的計画経済
        3、中央集権型国家による独裁=プロレタリア独裁
 こうしたエンゲルス流の社会主義が、マルクス・レーニン主義のドグマとして、唯物史観の定式にセットされた。歴史的現実としては、第一次世界大戦でのロシアの敗北による革命であり、①「労兵ソビエト」によるプロレタリア独裁、②「全国の電化」による生産手段の国有化、そして③クレムリン主導の指令型計画経済―このロシア革命によるソ連型社会主義が、さらに「歴史と論理」、「理論と実践」、「科学とイデオロギー」の三位一体の統一となり、「科学的社会主義」としてドグマ化されたのだ。
 しかし、そもそもマルクス・エンゲルスの唯物史観は、1840年代の初期マルクスから、50年代の『経済学批判』の中期マルクスまでに定式化された、いわば歴史の流れの仮説に過ぎない。それもエンゲルスの考えが強く反映されたとも言えるが、論証も実証もされていない単なる仮説なのだ。生産力に対する生産関係は法的所有関係だし、上部構造の法的イデオロギーだ。だから所有論的に個人的・私的所有から公的・社会的所有=国有化が導かれ、科学とイデオロギー、歴史と論理の統一、理論と実践の統一のドグマも生まれる。
 こうしたドグマがマルクス・レーニン主義のイデオロギーとして公式化し、ソ連型社会主義の前提となった。硬直した体制が、東西2つの世界の対立の中で、次第に破綻を迎えたのがソ連崩壊だったのではないか?『空想から科学へ』の破綻であり、崩壊である。ソ連崩壊は、マルクスレーニン主義のドグマの根本的再検討を迫ったのだ。
 
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by kenjitomorris | 2006-10-31 15:37
W・モリスの社会主義
<研究ノート>
 モリスは、壁紙やテキスタイルなど、モダンデザインの創始者として、とくに戦後日本では、多くの愛好家を集めてきた。中年以上の女性の間では、環境志向の高まりの中で、モリスへの憧れにも似た関心が高まり、ファンが拡大した。さらに近年は、ガーデニングのブームが、イングリッシュ・ガーデニングを中心に地方にも拡大し、モリスの名はイングリッシュ・ガーデニングとも結びつき、さらにファンを拡大することになったようである。 
 デザイナーとしてのモリスと比較すれば、彼の芸術思想、とくに社会主義の思想には、あまり関心が寄せられていない。というよりは、モリスを社会主義者として理解する愛好家は、ごく少数にとどまると見たほうがいい。とくに日本では、社会主義思想とは無縁な形で、モリスのブームとファン拡大が続いてきたといえると思う。
 これは、モリスの日本での受容に問題があるというより、社会主義のあり方に問題があるように思われる。日本では、社会主義といえば旧ソ連を中心とした、東西対立の東の世界に限定されるのが常識だった。だから、東の社会主義に西の資本主義、という単純な2分法で形式的に理解されてきたのだ。この2分法に基づくなら、東の社会主義はロシア革命によるマルクス・レーニン主義に画一化されてしまう。
 この2分法では、モリスの社会主義思想など、入り込む余地などまったく無くなる。彼の思想は非マルクス・レーニン主義であり、下手をすれば非マルクス・レーニン主義なるがゆえに、右翼的思想との親近性が指摘されてしまう。賢治のモリスは室伏高信のそれであり、右翼への変節といった疑いの眼で見られることにもなってしまうだろう。まことに不幸な話ではなかろうか?
 だが、すでにソ連は崩壊した。ロシア革命の歴史的意義も失われ、マルクス・レーニン主義のガバナンスも急落した。ここでマルクス・レーニン主義と区別して、モリスの芸術思想と結びついていた社会主義の思想の意義を検討することは、賢治の芸術思想、農民芸術論を再評価する上でも、必要不可欠なことではないか?
 モリスの代表的な著作『ユートピア便り』は、抄訳ながら日本で始めて著作として紹介された。この『ユートピア便り』は、モリスの社会主義論である。当時、産業革命により確立期を迎えた資本主義に対する批判として、欧米では社会主義の思想や理論が盛んに論議されていた。『ユートピア便り』も、社会主義を巡っての論争から生れた、モリスの社会主義思想であり、ユートピア思想である。だからこそ、明治の社会主義者・堺枯川こと堺利彦が、マルクスやエンゲルスの著作とともに、社会主義の宣伝のために「平民文庫五銭本」の1冊として抄訳したのだ。
 そこでモリスの社会主義だが、マルクス・レーニン主義の公式からは、まぎれもなくユートピア思想であり、「空想的社会主義」の一つに分類される。モリスはマルクスの理論に心酔し、『資本論』をフランス語版で2度も読んだ。マルクスの三女、エレノア・マルクスと一緒に「民主同盟」から「社会民主同盟」、さらに「社会主義同盟」の創立に参加し、献身的に活動した。献身的で誠実きわまりの無い活動は、賢治の羅須地人協会の活動と同じなのだ。誠実なユートピアンとして賢治とモリスは同類項だろう。
 ユートピアンなるがゆえに、エレノア・マルクスの同志であり、「社会主義同盟」の創立者だったにもかかわらず、モリスは「センチメンタルな社会主義者」、そしてマルクスレーニン主義の正統的流れからは、「空想的社会主義」として排除されることになる。とくにマルクスの死後、マルクス主義の理論と思想を継承、というよりマルクス=エンゲルスとしてマルクスの分身となってしまったエンゲルスから退けられることになった。誠実で献身的な社会主義の活動家モリスには、誠に気の毒な話だがエンゲルスには受け入れられなかったのだ。ここに、マルクス・レーニン主義の不幸が始まったとも言える。
 
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by kenjitomorris | 2006-10-24 17:08
宮沢賢治とロシア革命
  <情報コーナー>
 館の周辺の山々、すこし色づき始めました。また、夜の気温が下がって来ました。11月の初めには、例年どうり館の庭は紅葉で真っ赤に染まると思います。
 
 <研究ノート>
 伊藤与蔵さんの「聞き書き」では、賢治がモリスの芸術論、とくに芸術と労働の関係については、モリスなど「アート・クラフト運動」の思想を継承していることが強調されていた。この芸術思想は、さらにモリスの社会主義の思想や行動をも裏付けている。日本では、モリスの『ユートピア便り』が、明治37年に抄訳ながら『理想郷』として、初めて訳出され普及した。モリスの芸術論は、彼の社会主義論として、明治から大正へ、多くの知識人に大きな影響を与えていたのだ。賢治への影響も例外とは思えない。ロシア革命以前、つまりソ連邦の成立以前の日本の社会主義思想は、無政府主義のクロポトキン、それと並んでモリスが代表していたともいえる。 
 1917年ロシア革命は賢治21歳、盛岡高等農林3年生の時、1922年ソ連邦成立は賢治26歳、花巻農学校の教諭だった。「農民芸術概論」を書き、羅須地人協会が設立、活動を始める4年前のことだ。モリスなど『ユートピア便り』の社会主義や芸術思想とロシア革命の現実が、賢治など多くの知識人の眼にどのように映り、どのように受け止められたか?プロレタリア独裁の暴力革命、「労・兵ソビエトと全国の電化」の社会主義の現実は、産業革命の工業化の資本主義を超えようとしていたモリスの「ユートピア社会主義」の夢とは、余りにもかけ離れた暗い現実ではなかったか?知識人の間に動揺が走り、思想的混乱が生じたのも当然だったろう。東大の卒業論文のテーマにモリスを選んだ芥川竜之介が、「ただぼんやりとした不安」という謎めいた遺書を残して自殺した。「ぼんやりとした不安」の背後には、ロシア革命とソ連邦の現実があったという推測もある。
 では、こうした思想界の混乱や動揺の中で、モリスの芸術思想、そして社会主義を受容・継承しようとしていた賢治は、ロシア革命をどう受け止めていたか?
 「聞き書き」には、「私は小ブルジョア」の項目があった。賢治はそこで「革命が起きたら、私はブルジョアの味方です」と言い切り、「私は革命という手段は好きではない」とも語っていた。彼が自分の出身階層が小ブルジョアであることは、いわば客観的事実として率直に認めていたことであって、賢治らしい率直さだと思う。プロレタリア独裁のテーゼからは、小ブルジョワが反革命の側につく。そこから賢治は、自らは客観的な階層的地位からすれば、反革命の立場に立たざるを得ないことを率直に語ったのであろう。
 しかし、ここで賢治が「革命という手段は好きではない」と語っていることは、ロシア革命に対する不賛成・反対の意思表示である。プロレタリア独裁の暴力革命の方式に、賢治がはっきり反対の立場に立とうとしていたことがわかる。モリスなどの、西欧社会主義・社会民主主義の思想的伝統の流れからすれば、レーニンのボルシェビズムは相容れないものだろう。賢治のロシア革命に対する明確な否定の態度表明は、モリスなどの社会主義の思想からは、むしろ当然ともいえる立場の意思表示だったのではないか?「農民芸術論」、そして羅須地人協会の運動を理解する上でも、大事な論点提起だと思う。
 すでにソ連が崩壊、ロシア革命の歴史的意義が否定された今日、あらためて賢治の苦悩とともに、モリスから賢治への社会主義の思想の流れを考え直す必要があるのではないか。
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by kenjitomorris | 2006-10-16 10:34
W・モリス in Japan
<情報コーナー>
初めに「森のミュージアム」・館の新しい情報をお知らせします。
①館の玄関と窓に英・リバプール、ブライトン・バースの3市の紋章のステンドグラスの設置
  来訪者の多くが英国旅行を想い出して頂けると思います。アンチークです。
②門の正面に少女の像(彫刻)を設置
  皆さんを優しくお迎えする意味で玄関から移設しました。
③姫ギフチョウの標本を亀井昭伍さんのご好意で頂戴しました。
  今まで、イングリッシュ・コテージの中にカタクリの花に止まった写真だけでした。標本で
  本物の蝶の美しい姿(雌・雄)をご覧下さい。
<研究ノート>
 W・モリスの著作、『ユートピア便り』が『理想郷』と題して、明治37年に抄訳ながら、日本に始めて紹介された。堺 枯川こと、堺利彦の翻訳であり、それについては前に書いたので省略する。明治末から大正、そして昭和の初年まで、モリスの社会思想、芸術論は、多くのいわゆる文化人に少なからぬ影響を与えた。芥川龍之介が、東大文学部の卒業論文でモリスをテーマに選び、優秀な成績だったことは有名な話である。だから室伏高信も、モリスの思想を借りながら、ジャーナリズムで活躍したのであろう。賢治もまた、当然のことながらモリスの影響を受けたし、モリスを学んだのである。その際、室伏のモリス論を参考にしたり、利用することはありうるし、それ自体悪いことでも何でもあるまい。
 モリスは詩人であり、作家であり、絵も描いた。建築家、デザイナー、工芸家でもあった。だから詩人など、文学者としてのモリスの紹介もあったが、日本で最初に『ユートピア便り』の翻訳紹介があったことに注目したい。『ユートピア便り』は、モリスの理想郷であり、テームズ河を遡り、自然環境の源流にに向けて、工業化社会の資本主義を超えた、理想の世界を描いた。だからモリスは、英語のタイトルを『News from Nowhere』とした。夢の世界、未来社会だから、現実の特定されない世界の物語なのだ。
 賢治は北上川を遡り、岩手のどこか、「ドリームランドとしての日本岩手県」、つまり理想郷を「イーハトヴ」とした。そのことは『注文の多い料理店』の広告チラシに明記されている。さらに「イーハトヴ」をドイツ語にして「Ich weitz nicht wo」、英語だと「I don't know where」になるとの推定も行われている。こうした推定だと、モリスのNowhereに近くなるし、賢治がモリスの『ユートピア便り』を念頭におきつつ、「イーハトヴ」の造語地名を選んだとも言えなくも無いだろう。
 いずれにしても賢治が、モリスの芸術論や社会思想と関係なしに、室伏高信の著作の「孫引き」だけで済ませていた、とは考えられない不自然な話だろう。時代背景からしても、「農民芸術概論綱要」以前から、賢治がモリスの影響を全面的に受け止めながら創作活動をすすめてきたと考える方が、むしろ自然なのだ。しかも、モリスの思想は『ユートピア便り』のそれであり、ほかならぬ社会主義の思想であった。モリスの社会主義は、明治から大正への初期社会主義の思想としては、いいかえると1917年のロシア革命以前の日本の社会主義思想としては、代表的な思想の一つだったことを強調したい。
 むろんモリスの社会主義とは異なり、対立する代表的思想としては、クロポトキンなど、無政府主義の思想があった。大逆事件の幸徳秋水などの無政府主義のほうが、社会的・世間的には、影響が大きかったかも知れない。しかし、イギリスでもそうであったように、モリスなどの社会主義の思想のほうが、いわば正統であり、本流であったわけで、『理想郷』の訳者、堺利彦などは、むしろモリスの社会主義を継承しようとしていたと思う。だから、大正時代に入ってからも、堺は当局の弾圧の下で、一部伏字を使うことを余儀なくされながらも、モリスの『理想郷』を再版して、もう一度世に出したのであろう。
 ところがロシア革命は、日本の明治から大正への初期社会主義の歴史の流れを一変させることになった。いうまでもなくレーニンのボルシェヴィズムが勝利し、マルクス・レーニン主義の正統化に他ならない。社会主義の正統は、マルクス・レーニン主義であり、モリスの社会主義を含めて、いずれも空想的社会主義などのレッテルの下に、異端の地位に排除されることになった。19世紀、工業化社会の資本主義に対抗する社会主義の豊富な思想風土は、後進ロシアの工業化を背景としたプロレタリア独裁・中央集権型計画経済としてのソ連型社会主義によって、急激な汚染荒廃を余儀なくされてしまった。
 ロシア革命以後の日本の思想界の混乱は、たんに大正デモクラシー以後の右翼軍国主義の台頭だけではなかった。左翼の社会主義の側にも、マルクス・レーニン主義のプロレタリア独裁の支配が訪れることになる。芥川龍之介にせよ、宮沢賢治にしても、モリスの思想を継承しようとすれば、思想的激変の渦中に生きるほか無かったのだ。卒論にモリスをテーマにした芥川は、1927年遺書に「ただぼんやりした不安」との理由を残し、服毒自殺。それは35歳の若すぎた死であった。
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by kenjitomorris | 2006-10-04 23:22



賢治とモリスの館 - 最新情報
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