オーエン、サン・シモン、フーリエ(3)
 フーリエ(1772-1837)は、プザンソンの富裕な繊維商人の長男として、リヨンで生まれた。学業を修めた後、商人の道を父から選ばされたが、1793年リヨンで植民地商品の取引に従事した際、仏大革命の渦に巻き込まれた。そのため投獄の憂き目に会い、財産をすべて失うことになった。モリスも「彼は大革命で財産を失い、その後はブローカーの仕事に入った。Societyとの関わりの中で、彼は早くから個人主義と競争の弊害や不正に衝撃を受けた。彼の最初の著作”4運動の理論”の中では、人間性は本能と情念の自由な発露で完成されると提起し、貧乏や悪徳はSocityによる抑圧から生ずる、と主張した」と紹介している。
 このフーリエの『4運動の理論』は、1808年に匿名で公刊された。しかし、突飛な着想、多数の造語、難解な表現のために理解されず、極めて不評だった。しかし、この著作が彼の思想の源泉となり、その後次々に著作が発表されることになった。1822年『国内農業社会につて』、1829年『産業的協同社会的新世界』、1835-6年『虚偽産業』である。こうした著作活動により、少しずつ信奉者が集まり、1826年には住居をパリに移すことになった。
 モリスは、フーリエの理論について、「彼の近代社会批判は、科学的社会主義に先行するものとしては、最も価値あるものである。同時代のものと異なり、彼は歴史的発展を段階的に洞察していた」として、高く評価している。また、ここでもエンゲルスの『空想から科学へ』から、次のように引用する。「フーリエはこれまでの歴史の進行を4つの発展段階に区分している。すなわち、未開時代、野蛮時代、家父長時代、文明時代である。この最後のものは、今日のいわゆるブルジョア社会である。」さらにモリスは、フーリエの言葉「文明時代には貧困は過剰そのものから発生する」は、「1816年のロバート・オーエンの言葉<われわれの最善の顧客、戦争は死である>とともに、今日よく引用される」とコメントしている。
 モリスはさらに、フーリエの社会主義の内容について、以下のように紹介する。「彼は、社会再生の基礎として<産業協同化>を提唱した。しかし、彼のユートピア主義のために、ドグマ的に生活のあらゆる細部に亘り、領民を計画するように形作る罠にはまってしまった。その計画は、基礎にある原則は良かったが、実施できるものではなかった。彼の計画は、共同化の基礎単位として、ファランジュを配置する。そこでは、あらゆる生活、あらゆる産業、農業や他の産業も含めて、あらゆる細部まで詳細に亘り協同化され、そのさいファランジュは1600人で構成されている。
 彼の考え方で、最も価値があると思われるのは、能力に応じて労働が割り振られる可能性と必然性だった。そこでは、不断に喜びを感じることが保障され、子供がドロ団子を捏ねたり、乱雑にしておく、そんな汚い協同体の仕事も行うべきだと主張し、それが少なくとも考え方の実例だし、法律としても決められるものだった。彼のシステムは、純粋に平等なものではなかった。富裕と貧困(相対的だが)の差は容認され、また労働、資本、能力に対する富の分配も恣意的だった。結婚の廃止は、彼の原則的な信条だった。
 1812年、フーリエの母が死んで、若干の財産が残された。そこで、彼は『国内の協同と農業』を書くために、田舎に引っ込んだ。その後、再びパリに戻り、米国企業の社員となった。そして1830年には『新産業的世界』を書いた。さらに嘆かわしい事だったが、1831年にはオーエンやサン・シモンをイカサマ師として攻撃してしまった。両者ともに、彼と類似性が多かったにもかかわらずである。彼は1837年に亡くなったが、死ぬまで学派を作らなかった。死後、『社会的運命』の著者Ⅴ・コンシデランが、その最も有名なメンバーとなったフーリエ主義派は、1832年に機関紙を始めたが、2年で終わった。しかし、1836年に再生したものの、1850には政府により弾圧されてしまった。」
 モリスは、以上のようにフーリエについて説明した後、さらにオーエン、サン・シモンなど3人に関して、次のようにコメントしている。
 「1832年には、ファランステール(フーリエ主義による共同生活および住宅)を実験的に実現するための計画が、仏下院議員により着手された。しかし、これは資金不足で失敗した。それゆえ、3人の偉大なUtopist のうち、オーエンのみが良いも悪いも、経験的に将来実験される計画の唯一になった。事実、1848年の革命家・カベは、米にイカリアの名でコミュニティを建設したが、それはユートピア社会主義の原型となる他のどんなコミュニティよりも純粋なコミュニズムに近いものだった。これらのコミュニティから、早期社会主義への予告となるものが残っている。そこから協同(アソシエーション)の実験として学ぶべきものはあるが、生憎それがしばしば適用されたが、その生活の状態はコミュニズムの名に値するものではなかった。コミュニズムは、政治的権力を持った労働者により、現在の社会体制が崩壊するまで、決して実現されない。それが起これば、コミュニズムは興味尽きない、また変革された文化を意味することになろう。」 
 いわゆる空想的社会主義をUtopistとしたモリスの社会主義は、コミュニティを基礎としたものであり、地域の人々の協同(アソシエーション)による、協同組合的なものとして構想されていることが分かる。その点で、オーエンの実験によるニューラナークの協同組合を高く評価したし、さらにフーリエのファランステールの評価にもつながったものと思われる。もちろん、サン・シモンの階級闘争史観の発展段階説の評価もあるが、それは資本主義を歴史的に捉えた点での評価であり、社会主義の目標はコミュニティを基礎として構想されていたのではないか。
 ただ、Utopistの限界として、最後にモリスがコメントしているが、①資本主義を変革する主体として、労働者の運動の位置づけが十分でなかった点、さらに②労働者の運動の政治的意義が十分に捉え切れていなかった点、の2つをあげている。この労働運動の体制変革が、プロレタリアの独裁として国家権力の奪取に向けられるのか、それともコミュニティの新たな復権に向かうのか、新たな論点提起がなされたのであろう。
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by kenjitomorris | 2008-02-18 14:38
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