オーエン、サン・シモン、フーリエ(2)
 つぎにサン・シモン(1760-1825)だが、仏大革命とナポレオン時代に生きたフランス社会主義者の一人である。「パリの高貴な家庭に生まれたが、並外れた奢侈から極貧まで、様々な生活を放浪しつつ体験した。彼には、オーエンに特徴的だった擬似<社会主義>のシェーマに関する実践的体験の傾向は無かった。」モリスは、こう紹介しているが、ここでも少し補足しながら、説明しておきたい。
 『サン・シモン著作集』全5巻を単独で訳出された故森 博氏によると、「著作の中で断片的な自伝を幾つか書いている」が、「自己宣伝的意図から発したものであって、---そのまま正直に受け取るととんでもないことになる。」「信用できる部分はごくわずかしかない。」「成人前のサン・シモンのことは、ほとんど何もわかっていない」とのことである。古い名門貴族の家系の長男であることは間違いないが、生まれもパリではなく、父の所領地ペロンヌの城で生まれたとの文書もある。子供の頃から、異才、奇才の持ち主だったことは確かであり、そのためにモリスの言うとおり「並外れた奢侈から極貧」までの放浪生活を送ることになった。天才肌に有りがちな性格破綻による奇行が目立っている。
 そこで正確なところだけだが、18歳で軍隊に入り、当時の米・南北戦争に従軍、2ヶ月ほど米に滞在した。帰国後、1787年に軍隊を離れ、スペインの産業化計画に熱中したが失敗、仏大革命のさなかに帰国、革命運動には熱意を傾注した。しかし、同時に国有地の投機的売買にも耽り、多大な利益を手に入れている。ただ、投機に関連して詐欺行為の嫌疑をかけられ、逮捕されて9ヶ月間、投獄されることになった。
 しかし、この投機によって手に入れた利益をもとに、広く科学者、文学者、芸術家と交わり、学問的知識を身に付けた。その後、彼の旺盛な執筆活動が開始され、1803年「ジュネーヴ人の手紙」、1807-8年「19世紀科学研究序説」、1813年「人間科学研究覚書」と執筆が続いた。この時点では、まだ人間の社会関係を、生物や物理の自然科学になぞらえて体系化しょうとしていた。しかし、その後1814年「ヨーロッパ社会の再組織」から政治経済論に転換、「産業主義」を提唱するに到った。1816-18年代表作「産業」が刊行され、その趣意書には「社会全体は産業を基礎に成り立つ」と書かれ、題辞も<すべては産業によって、すべては産業のために>とされた。仏への産業革命の拡大が背景にある。
 サン・シモンの産業主義の理論では、単に工業化の産業重視にとどまらず、産業を基礎とした歴史の発展史観が提起されたことが重要だった。しかも、階級対立や階級闘争が歴史を貫く階級闘争史観であり、こうした歴史観がマルクス、特にエンゲルスの唯物史観に直結することになった。モリスもそうした点を配慮しつつ、以下のように紹介している。
 彼の哲学は、新しい神秘主義が交じり合ったもので、生活の新しい状態を実践するより、むしろ新しい宗教を作り、それを拡大させる傾向だった。それは、彼の直接の後継者たちによる、ある種の個人崇拝ともいえる不合理に帰着することになった。それはまた、彼がもっとも可愛がった弟子のA・コント、彼は今日では実証哲学の創始者となったが、によっても模倣された。
 彼の社会主義は空疎なもので、サン・シモン主義のモットー「彼の能力に応じて、彼の行為も従う」という、知識階級の存在を容認するものだった。しかし、彼の神秘主義の傾向にもかかわらず、R・オーエンに先行して、歴史的かつ経済的な点に内的な光を当てていた。彼はどんな手段でも、またどんなに高価な犠牲を払っても、新たな宗教に身を投じるために、あらゆる生活を学ぶことを自らに課した。その宗教は、<大きな目的が、最も貧しく、最も多数を占める階級の道徳的、かつ物質的な状態の可能な限り迅速な改善>だったのである。」
 モリスは、ここでエンゲルスの『空想から科学へ』における、サン・シモンについての評価を引用している。R・オーエンとの違った扱いだが、そのまま引用しよう。
 「サン・シモンはすでに『ジュネーヴ人の手紙』のなかで、<人間はすべて労働すべし>という命題を立てている。この同じ著書の中で、彼はすでに、恐怖支配は無産大衆の支配であったことを知っている。彼は無産大衆にむかって呼びかけている。<君たちの同志たちがフランス支配した時代に、そこでなにがおこったかをよく見たまえ。彼らは飢えをうみだしたのだ>と。だが、フランス革命を、たんに貴族とブルジョアジーとのあいだばかりでなく貴族とブルジョアジーと無産者とのあいだの一つの階級闘争と解釈したことは、1802年では極めて天才的な発見であった。1816年に彼は、政治学は生産にかんする学であると声明し、また政治学が経済学にすべて解消することを予言している。ここでは、経済状態が政治的諸制度の基礎であるという認識が、ようやく萌芽的にあらわれているにすぎないけれども、人間にたいする政治的支配が、事物の管理と生産過程の指導とに転化していくということ、したがって近ごろあれほどやかましく述べたてられた<国家の廃止>ということが、ここですでに明言されているのである。」
 モリスは、「国際主義についてもまた、サン・シモンによって明確にされていた」として、エンゲルスからの引用をつづけている。
 「同じく同時代人に卓越しているのは、彼が、連合軍がパリに入城した直後の1814年と、それからなお百日戦争中の1815年に、仏英との同盟、第二次的にはこれら両国と独との同盟が、ヨーロッパの繁栄と平和との唯一の保障である、と宣言したことである。1815年のフランス人にたいしてワーテルローの勝利者との同盟を説くには、実際に、歴史的先見とともに勇気が必要であった。」
 このようにサン・シモンについては、R・オーエンの扱いとは異なり、エンゲルスの『空想から科学へ』からの長い引用と、エンゲルスの階級闘争史観と国際的視点への高い評価を、モリスは引用した。しかし、最後にモリスは、サン・シモンに批判的な指摘もわざわざ加えた。「その時代に最も嘲笑されていたサン・シモンの計画のひとつは、スエズとパナマの海峡の開削であったし、M ・de Leseepsはサン・シモンはだったことも、とるに足りない」と。そして「サン・シモンは政党の将来への期待を漏らして、1825年に貧困の中で亡くなった。」
 
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by kenjitomorris | 2008-02-12 11:55
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