オーエン、サン・シモン、フーリエ(1)
<研究ノート>
 モリスは、Utopistとして著名な3人を取り上げている。そして、それぞれの思想の中身に立ち入る前に、Utopistを「近代的な科学的、もしくは革命的な社会主義に先行する思想家の学派」と位置づけている。近代的な科学的社会主義としては、当然のことながらマルクスの『資本論』を基礎とする社会主義であり、だからモリスは科学的基礎を十分持たない社会主義の思想家を、Utopistとしていたのだ。
 このUtopist に共通して言えるのは、「教訓や事例により、教師自身の願望や洞察から作り上げた再建のシェーマを教えたり、社会の短所や愚行や不正を提起することによって、社会を再生できると考えた」点にある。また、彼らは「その力に気付いているかどうか、人類の社会的変化に及ぼす事態の結果を認識せず、その内的合理性の知覚により彼らのシェーマが一般的な採用を獲得できると信じていた。」そして、「現存する文化の混乱や貧弱さを、彼らが展望する世界の秩序や幸福と比較して見せれば、それだけで人々が社会主義を意識的、かつ公的に受け入れて変革できるものと期待していた」と述べている。
 そうした特徴をもち、将来社会を具体的に描いていて、かつ時代的に年齢も近い3人(オーエン1771-1858、サン・シモン1760-1825、フーリエ1772-1835)を代表させたのである。ここでは、モリスの説明に、少し補足を加えながら紹介しよう。
 まず、R・オーエン(1771-1858)だが、英ウェールズのモンゴメリーシャーのNewtownで下層の中産階級の家庭に生まれた。自叙伝によれば、4-5歳で通学、7歳で助教師を務める秀才で、10歳で故郷を離れ、スタンフォード、ロンドン、16歳のときマンチェスターに移り、18歳で経営者として独立した。 モリスは、この時代「機械制大工業の勃興期」で、製造業が飛躍的に発展した、そうした時代的背景があった,と述べている。
 具体的に補足すると、1889年に合資会社で従業員40人雇用の紡績機械製造に乗りだすが、すぐに合資を解消し、90年には500人雇用の紡績工場の支配人になる。その後3人で、独立した紡績工場を設立し、さらにスコットランドの著名な銀行家・製造業者の長女アン・キャロラインと恋に落ち結婚、その縁でニューラナークにあった紡績工場を買収し、スコットランドに移住することになった。
 モリスは、オーエンについて「いい意味での生まれながらの博愛家で、始めからすべてに寛大で雅量に富んでいた」と指摘している。「1800年、まだ30歳にもならなかったが、彼はニューラナークの水力工場の経営者になり、最初の偉大な実験を始めた。それは、貧乏で、知能が低く、不品行な人々を、幸せで、勤勉、協調的な人間に変えることであり、それは人間が環境の生物だという理論によるものであり、完成に向って粘り強く努力すべきだ、という理論だった。この実験に彼は完全に成功した」ことを強調する。
 さらに「人間の性格は環境により決定される」という彼の「性格形成原理」は、蒸気船の発明家R・フルトンなどとの交友から生まれたものだが、イギリス功利主義の一面を代表している。それがオーエンの経営哲学にもなっていた。モリスもまた、「彼はあらゆる種類の博愛の計画をはじめたし、あらゆる行動も環境を改善することが人間を完成に導く、という理論によるものだった。」さらに、それは「今日の協同組合家たちとは違うが、普遍的な協同組合の実現こそ、社会問題の解決になる、という最初の偉大な協同組合主義のチャンピオンとなった」と、高く評価している。
 オーエンの協同組合は、まず賃金の安定的支払い、生活必需品の原価販売、幼児・児童の学校設立などであり、1813-14年には『新社会観』を発表した。「性格形成原理」に基づく、協同組合活動の実践からの論説集であり、第4論説では「統治への応用」が提起された。「最大多数の最大幸福」のベンサム功利主義をベースに、犯罪に対しては、処罰より予防を重視し、そのために居酒屋、宝くじ、宗派差別、救貧法などを廃止し、失業対策事業の提唱などを力説した。そして、その政策実現の方向で活動を展開する。
 一つは、労働条件の改善であり、モリスも紹介しているが、「1815年には、オーエンはグラスゴーの製造業者の集まりに働きかけ、水力紡績業における労働時間短縮を議会に請願した。」新たな工場法の制定であり、10時間への労働時間の短縮、10歳未満の児童労働の禁止、若者の教育の付与など、部分的に骨抜きにされたものの18年工場法に実現した。こうした中で、オーエンの思想と行動の影響力は大きく、労働組合運動にも影響を及ぼした。
 モリスも、こうした「支配階級の認可から禁止への転換が、ブルジョア伝記作家が言うように、オーエンの提起や遣り方から首尾よく始まるかもしれない。また、彼の協同組合に賛同した宣言の後でも、彼が最後に(1816年8月21日)公認された宗教を通して、公的にSociety(協会)を攻撃したことにより体面を傷つけるまで、彼は著名な博愛家の地位を保ちつづけていたのだ。しかし、その日以来、いまや公然たる敵として、協会から跳ねつけられることになった。しかし、彼は少しも挫けなかった。」
 「1823年、彼はアイルランドの困窮への救済として、共同体的村落を提案した。1832年には、労働と労働が等価に交換される交換所をグレイズ・イン・ロードに建設した。そして1825年
、すでにそこに建設されていたニューハーモニーを共同体から買い取った。そして、彼の偉大な協同生活の実験が始まった。後に、『新道徳世界書』を出版したが、そこには彼の理念が説明されている。」
 最後に、モリスはオーエンについて、実践的には問題がないように見えるが、欠陥もあったと指摘する。「それは、Utopistには必然かも知れぬが、展開の政治的側面には、総じて注目しなかった。彼は、彼の実験がその点では有用でありながら、Societyの支配層が強く支持していた<所有権>に手をつけない限り、実験の段階からは抜け出られないこと。また、彼が最高に寛大かつ善良な人間として、その全生涯をその実現のために捧げた<社会主義>に長期的に到達するについて、この体制のもとで必然的に存在する階級対立を見逃したこと、である」と批判することを忘れなかった。
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by kenjitomorris | 2008-02-06 21:22
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