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賢治のユートピア「イーハトヴ」
<研究ノート>
 賢治のイーハトヴは、彼の得意な造語地名だ。実に特異な造語だが、特異なるがゆえに記憶にインプットされて消えない。天才的な造語の魔術だ。彼のイーハトヴ童話、『注文の多い料理店』の広告チラシに、自ら「イーハトヴは一つの地名である」「ドリームランドとしての日本岩手県である」と説明している。無論、岩手県内にそんな地名はない。賢治らしく教訓的に、ドリームランドの理想の世界を画いた童話の舞台なのだ。
 イーハトヴという片仮名の洒落た造語の由来については、賢治はとくに何も説明していない。説明がないので、かえって未知の魅力が生ずるかもしれないが、色々の説が出ている。愛用の原 子朗『新宮沢賢治語彙辞典』によると諸説あり、竹下数馬氏の推定だと、独語で「Ich weitz nicht wo」、英語だと「I don’t know where」からだそうだ。さらに、それは『荘子』に出てくる「無何有の郷」であり、楽土、理想卿、パラダイスから、賢治が思い付いた、ということだ。
 もしそうだと、モリスの『ユートピア便り』 ”News from Nowhere”との関連も想定されてくる。そのことは、拙著『賢治とモリスの環境芸術』(169ページ参照)に指摘しておいたが、さらに以下の点も考慮すべきだろう。それは、もしも『荘子』の「無何有の郷」に関連するならば、モリスの『ユートピア便り』の堺による抄訳『理想郷』の後、1925年(大14)布施延雄『無何有卿だより』、1929年(昭4)村上勇三『無何有卿通信記』として全訳が刊行された。賢治は、堺の抄訳だけでなく、布施の全訳を読んだ可能性もあるし、そこからモリスの”News from Nowhere”、そして日本岩手県を念頭に置いた造語イーハトヴが生まれた、という推測が成り立つのではなかろうか。
 賢治のイーハトヴは、1923年(大12)の終わりの詩「イーハトヴの氷霧」頃からで、翌24年に『注文の多い料理店』が出版されている。布施の『無何有卿だより』の出版は25年だが、堺の『理想郷』の再版が1920年(大9)に出た頃、井 節三『ユートピア物語』、小泉信三『社会組織の経済理論的批評』などでは、モリスのユートピア思想がしきりに紹介され、しかも「無何有郷見聞記」「無何有郷消息」などと表現されている。だから、とくにモリスのユートピアは、『荘子』の「無何有郷」というタームによって紹介され、議論されていたわけだ。そして布施や村上の全訳も、『無何有郷だより』の題名で訳出されたのだ。
 要するに、モリスの『ユートピア便り』の日本への移入から言うと、”News from Nowhere”が、「理想郷」から「無何有郷」になった。賢治のサイドからすると、「イーハトヴ」は”Ich weitz nicht wo”から「無何有郷」につながり、両サイドが「無何有郷」を接点にして繋がることになる。そして、賢治のイーハトヴが「無何有郷」から造語されたなら、さらに賢治は「農民芸術概論綱要」より以前に、つまり1923-4年の時点でモリスの『理想郷』、布施延雄の全訳『無何有郷だより』 を読んでいたことになる。
 こうした推測は、拙論へのコメントとして、伊藤博美氏から提起されているが(拙著153頁参照)、その推測をさらに裏付けることになるだろう。また賢治研究としても、モリスの芸術思想の賢治への影響、賢治のモリス思想の受容は、すでに『注文の多い料理店』の頃からになるだろう。当時の大正デモクラシーの高まりの中で、モリスの芸術・社会思想への関心が高まり、それを賢治が全身で受け止めようとしていた状況が浮かび上がる。賢治の「イーハトヴ」も、「羅須地人協会」の活動も、モリスの思想が深く通底しているのではないか。
by kenjitomorris | 2008-01-30 14:22
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