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賢治とW・モリス問題
 最初に「農民芸術概論」を読んだ時、大変な感動、深い感銘を受けた。それはショックに近いものだった。まだ不勉強で、W・モリスと賢治の関係には気ずかなかったし、知らなかった。それだけにショックも大きかった。学生時代から長く経済学徒として労働価値説を学び、労働疎外や人間疎外を考え続けてきた者としては、とくに賢治の提起している「芸術と労働」、「知識と労働」、「科学と芸術」などは、実に新鮮、かつ強烈な衝撃となった。工業化社会から、ポスト工業化へ、知識社会への転換を迎えただけに、ここは賢治とともに労働と知識、芸術を考え直すべきではないか、こんな強い衝動を感じて仕舞ったわけだ。
 それにしても賢治は、誰の、何から、こんな新鮮な、重大な問題提起を受け止めることになったのか。A・スミスやR・マルサス、そしてK・マルクスなど、経済学の学説の流れを勉強してきた「習い性」であろうか?賢治の前に誰が、そして何が?彼の問題関心を刺激し、天才的な感性に訴えたのか?W・モリスその人であることは、「農民芸術の興隆」の章、賢治自身のメモ書きから、すぐ知ることが出来た。モリスから賢治へ、英「アーツ・アンド・クラフツ運動」の流れが、賢治により、日本の東北の地に流れ込んでいたのだ。心が躍る発見だった。
 「農民芸術概論」を素直に読めば、そこにモリスを感じ取ることが出来るし、賢治とモリス2人の天才の結びつきが解るはずだ。その点では、賢治が「羅須地人協会設立に先立って農民芸術概論を起草した。---そのメモには<芸術の回復は労働に於ける悦びの回復でなければならぬMorris,~>とある。農民芸術概論は、農村における演劇や音楽、踊りといった芸術の回復にとどまらず、農作業そのものが楽しく愉快である世界、生活全体が一つの芸術である社会を目指したものである。すなわち、イーハトーブはラスキン・モリスの流れを汲む一つのユートピアである」(中谷俊雄)、極めて自然だと思う。
 だが、このモリスから賢治への直接の流れに対して、ある種のイデオロギーによる曲解が、まつわることになった。まことに不幸なことだが、「賢治・モリス問題」といえるかも知れない。
 今年2006年が、賢治生誕110年、とりもなおさずモリス没後110年だが、「宮沢賢治国際研究大会」が開かれた。第3回であるが、シンポジウム「世界から見たイーハトヴ」では、モリスには残念ながら一切触れられることなく終わってしまった。不思議でもあった。なぜだろう?賢治が日本の東北が生んだ国際的ユートピアンだとすれば、モリス―賢治の流れに、少しは眼が向いても良いのではないか?そんな素朴な疑問を拭えなかった。
 念のため、この「国際研究大会」の第1回から第3回までの記録集など、ざっつと眼を通してみた。ほとんどモリスの名は出てこなかったが、第2回の記録集では「賢治のコスモス―W.B.イェイツ、ウィリアム・モリスとの関わりを中心に―」(佐藤容子)の研究発表が収録されていた。論旨は、「これまでモリスの社会主義者としての側面が、賢治の羅須地人協会の活動との関わりで多く取り上げられてきたわけですが、童話・戯曲を含めた賢治の作品、ことにその詩を理解するには、むしろイェイツとの共通性に着目するのが興味深いのではないだろうか、というのが私の考えです。」
 イェイツ―賢治の流れは極めて興味深い論点提起だろう。労働”labour"についての論及も面白い問題提起だが、イェイツについては不勉強、かつ専門外なので残念だが言及できない。ただ、ここでモリス―賢治について、「農民芸術概論」が次のように整理、紹介されている。「賢治・モリス問題」を理解するのに適切な紹介なので、引用させて頂こう。
  
 これまで賢治とモリスの関わりについては何度か取り上げられることがありましたが、それはまず、今日伝わる賢治の「農民芸術の興隆」において、モリスの芸術を「労働に於ける悦びの表現」とみる考え方に言及がなされていることがよりどころであったと思います。伊藤清一が大正15年(1926)、花巻農学校に開設された国民高等学校で、賢治の講義「農民芸術概論」を受講し筆記録を残しておりますが、これらの資料をもとにして判断すると賢治が直接典拠としたのは、当時健筆をふるっていた評論家室伏高信の『文明の没落』の記述であるとされます。一方でモリスの『ユートピアだより』が『理想郷』という題名で既に明治37年(1904)に初めて邦訳されていることから、賢治がこの作品を読んでいた可能性も指摘されています。

 「A・スミス問題」もそうだが、講義ノート、聴講ノートが死後発見され、その解釈によって論争が発生した点で、まさに「賢治・モリス問題」である。とくに論争が、室伏高信『文明の没落』が典拠か否か、をめぐるものだとすると、多分にイデオロギーの対立も絡んでくる。室伏氏が時流に乗るアジテーターであり、戦時下は右翼・軍国主義に転向、戦後は民主主義、左翼として若者を扇動した変節漢である。それを「直接典拠」とした宮沢賢治、「農民芸術概論」、さらに「羅須地人協会」の活動もイデオロギー的に排除される。ついでにモリスも影が薄くなって無視される。とすると、「賢治・モリス問題」を避けて通るわけにはいかなくなる。
by kenjitomorris | 2006-09-17 22:02
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