「羅須地人協会の真実」について
 鈴木 守さんの新著『羅須地人協会の真実』を紹介させてもらいましたが、もともと鈴木さんのブログ「みちのくの山野草」に連載されていた記事が、新しく本になったものです。「みちのくの山野草」では、そのタイトルのとうり花巻の周辺の山野に咲く山野草など、見事な写真を楽しむことができます。山野草のシーズンには、賢治の「真実」は美しい写真の中に書き込まれていて、今は写真が中心のブログが連日アップされています。美しい写真を毎日楽しんでいると、何か花巻の住人になったような錯覚に陥りそうです。
 
 賢治の「真実」ですが、『賢治と一緒に暮らした男』の第一作に続き、今回はサブタイトル「賢治昭和二年の上京」に関しての『羅須地人協会の真実』でした。と同時にブログでは、「昭和三年賢治自宅謹慎」についての「真実」を、同じような仮設を立てての綿密な実証の手法で明らかにされています。この手法は、幾何学の証明を見るように鮮やかな証明です。実を言いますと、「昭和二年の上京」よりも、「昭和三年賢治自宅謹慎」の方が、現在の問題関心からすると、より強く興味を惹かれるテーマです。すでに、このテーマに関しても、4月19日のブログで「結論」を出されているので、簡単に紹介させて貰いましょう。
 
 「賢治年譜」によると、昭和3年8月のこととして、心身の疲労にも拘らず、気候不順による稲作の不作を心配、風雨の中を奔走し、風邪から肋膜炎、そして「帰宅して父母のもとに病臥す」となっている。しかし、当時の賢治の健康状態、気象状況、稲作の作況など、綿密な検証により、「賢治年譜」は必ずしも「真実」を伝えるものではなく、事実に必ずしも忠実ではない。とくに「賢治の療養状態は、たいした発熱があったわけでもないから療養の傍菊造りなどをして秋を過ごしていた。」
 では、なぜ賢治が自宅の父母の元で療養したのか?
 「陸軍特別大演習」を前にして行われた官憲の厳しい「アカ狩り」から逃れるためであり、賢治は病気であるということにして、実家に戻って自宅謹慎、蟄居していた。
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 例えばそのことは、
 ・当時、「陸軍特別大演習」を前にして凄まじい「アカ狩り」が行われた。
 ・賢治は当時、労農党稗和支部の有力なシンパであった。
 ・賢治は川村尚三や八重垣賢師と接触があった。
 ・当時の気象データに基づけば、「風雨の中を徹宵東奔西走」するような「風雨」はなかった。
 ・当初の賢治の病状はそれほど重病であったとは言えない。

 以上が、「不都合な真実」に対する本当の「真実」です。ここでも羅須地人協会と賢治の活動の真実に基づく実像を明らかにする上で、大変貴重な検証が行われたと評価したいと思います。とくに羅須地人協会の賢治が、ロシア革命によるコミンテルンの指導で、地下で再建された日本共産党に対抗して無産政党を目指した「労農派」の「有力なシンパ」だったこと。社会主義者の川村や八重樫とレーニンのボルシェビズムなどを議論していたこと。そのため岩手で行われた「陸軍特別大演習」に際しての「アカ狩り」大弾圧を受ける危険があり、そのため父母の計らいもあって、賢治は病気療養を理由に「自宅謹慎」していた。
 確かに「賢治年譜」には、「不都合な真実」を曖昧にする意図が感じられます。もっと賢治の実像が明確になるように書くべきだったし、今日の時点では「真実」が書かれても、賢治にとつて「不本意」なことだったにしても、さほど「不都合な真実」では無いように思われます。昭和3年といえば、有名な3・15事件の大弾圧があった年だし、さらに盛岡や花巻でも天皇の行幸による「陸軍特別大演習」が続き、官憲が東北から根こそぎ危険分子を洗い出そうとしていた。そうした中で、賢治自身もそうでしょうし、それ以上に宮沢家や地元の周囲の人々もまた累が及ばぬように警戒するのは当然でしょう。事実、賢治と交友のあった上記の川村、八重垣の両名は犠牲になった。「嘘も方便」で、病気を理由に大弾圧の嵐の通り過ぎるのを、身を潜めて待つのも立派な生き方だと思います。
 とくに宮沢家としては、もし賢治が検挙され、さらに有罪ともなれば、いわば一家取り潰しの災禍に遭う危険に曝されていた。同じ労農派の指導者の堺利彦、山川均の自伝を見れば、明治の幸徳秋水の大逆事件以来、日本の官憲による弾圧は凶暴を極めた。倉敷の山川家も花巻の宮沢家と同じような地方の資産家で事業家だった。山川の赤旗事件で一家取り潰しの状態が、戦前ずっと長く続いたと言われています。そうした事例を宮沢家も知っていたでしょうから、宮沢家としては病気でも何でも理由にして、賢治の身を守ろうとした、羅須地人協会の教え子たちも、同じように賢治の身を守ろうとしたのは当然だし、寧ろそれによって自分たちの身を守ろうとしたのです。東北では、先進地の岡山・倉敷以上に、農村の保守的な自己防衛意識が強く残り、戦後も宮沢家を中心に賢治の実像を曝け出さないようにする。そのことが「不都合な真実」を見えにくくしたり、羅須地人時代に多くの謎が残されてしまったように思われます。

 そうだとすると、「不都合な真実」が生まれ、謎に包まれた賢治・羅須地人協会時代は、官憲の弾圧が強まる中での労農党シンパとしての賢治の活動と関連が深いように思われます。賢治が花巻農学校を退職し、自由学校ともいえる羅須地人協会を始めたのも、労農党のシンパとしての活動と関連があった。その点を戦後はっきり書いたのは青江舜二郎『宮沢賢治:修羅に生きる』(講談社現代新書)だろうと思います。「賢治は羅須地人協会時代において、まぎれもなく労農派のシンパであり協会はその運動実践のためのものであった」と言い切っています。それだけに「賢治年譜」などについても、「私にはこういう資料がやりきれない」と不満をもらし、協会活動の一環としての肥料設計を「菩薩行」とする見解にも反対して、「私が花巻でその教え子たちから聞かされたところに従えば、賢治はそれを社会運動の代りとしてではなく、<社会運動として>すなわち、労農運動の一つとして羅須地人協会を設立したのであった」と述べています。さらに、次のように主張されています。
 「最後にもう一つ重大なことをつけ加えておかねばならぬ。これも私が当時現地で取材したとき、聞かされた意見だが、賢治の農民救済の構想はまかりまちがえば、当時その地方で石原莞爾などによって真剣に考えられていた、大陸への農民たちの集団移民とすれすれの線まで来ていた。----労農派の歯どめがあったためで、その方が世なおしの精神としてはずっと正しかったというのだった。
 私もはっとして、それに共鳴する。賢治と莞爾については前にも触れたが、この差こそ、同じ日蓮宗でもこの二人を万里に隔てるものではなかったか。」

 宮沢賢治を右と左のイデオロギーから、彼のマントを引っ張るように利用するのは止めるべきでしょう。そのためには、「不都合な真実」を明らかにして、先ずは賢治の実像を明らかにすることが重要です。その際、労農派シンパとしての宮沢賢治、彼の羅須地人協会の意義、それらを歴史の流れの中で位置づける、そうした作業が必要だと思います。
 

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by kenjitomorris | 2013-06-13 21:25
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