「漱石発狂す」―夏目漱石のロンドン生活
 4回ほど、夏目漱石のロンドン生活に関連し、漱石とモリスの接点を探ってきました。とくに前回のブログの最後に、漱石が<モリスのグリーン・ダイニングルームで食事を楽しんでいた>と書き込みました。そのためでしょう、早速次のようなコメントを頂きました。
 <通説では、その頃の漱石は神経衰弱になり、文部省へのレポートも提出せず、翌年になると「漱石発狂す」となり、1902年末に帰国命令が出ます>、確かに通説では、漱石のロンドン生活は神経衰弱で暗いものであり、とてもモリスを読んだり、V&Aで食事を楽しんだり、そんな状態ではなかったのではないか?という疑問が出ると思います。とくに男性の単身留学、しかも文部省派遣の官費留学、それも英語の先生のロンドン留学、2重3重のストレスでウツ状態になり易いと思います。小生もロンドン留学の経験があるし、身近に強度のウツで自殺の恐れのあった国立大の英語の先生のケースを知っております。だからこそ、「漱石の神経衰弱」という通説が生まれ、その説が今も生きているのでしょう。
 しかし、この通説には誇張があるし、漱石の留守中の東京で作り上げられた話で、それが通説になってしまったように思います。この際、漱石先生の名誉のためにも、また国際都市ロンドンのためにも、日本に今も残る「漱石の神経衰弱」の通説を、批判的に検討しておきたいたいと思います。
  漱石のロンドン生活は、その時点の日記、書簡、ノートのメモ、などから推測できますが、これらから神経衰弱、とくに「漱石発狂す」といった診断は、医者ではありませんので不可能です。ただ、それらを読んでみて、とくに神経がおかしくなっているかどうか、素人目に判る範囲でしか言えませんが、そんなにひどい神経衰弱には見えません。もちろん、ロンドンでの留学生活ですから、言葉の問題をはじめ、日本の通常の生活よりストレスは大きかったでしょう。日記など、英語がたくさん出てきますので、多少の苦労はあったようですが、英語でそんなに苦労したようには見えません。
 人種的な差別や偏見は、イギリスの階級社会には強いようですが、漱石も日記には「男女二人連ノ一人ガ吾々ヲ日本人ト云ヒ一人ガ支那人ト云ッタ」などの記述があります。中国人、べトナム人、フィリッピン人などと差別的に呼ばれたり、扱われたりするのですが、その点では漱石は「日本人ヲ観テ支那人ト云ハレルト嫌ガルハ如何、支那人ハ日本人ヨリモ遥カニ名誉アル国民ナリ、只不幸ニシテ目下不振ノ有様ニ沈倫セルナリ、心アル人ハ日本人ト呼バルルヨリモ支那人ト云ハルルヲ名誉トスベキナリ、仮令然ラザルニモセヨ日本ハ今迄ドレ程支那ノ厄介ニナリシカ、少シハ考へテ見ルガヨカラウ、」などと書いています。
 漱石の場合、ストレスが溜るどころか、すでに紹介した「戦争で日本負けよと夏目云ひ」など、マルクスやレーニンなど多くの亡命者が集まる国際都市のロンドンで、自由かつ大胆な日本と日本人の批判をしています。このような言動は、むしろ留学によるストレス解消に役立っていたかもしれません。ただ、この種の過激な日本人批判は、危険な反日思想として日本に伝えられ、「漱石発狂す」となり、早く日本に帰国させるべきだ、となったかも知れませんね。漱石に対して帰国命令が出たのは事実です。ただ、その実際の処理については、戦前の岩波書店の『漱石全集』の月報に、藤代素人が「夏目君の片鱗」として、次のように書いています。少し詳細に引用しておきましょう。
 「我々の留学は満二年の期限であった。其期の満つる一ヶ月程前に<夏目ヲ保護シテ帰朝セラルベシ>と云う電命が僕に伝へられた。これは君の精神に異状があると云うことが大袈裟に当局者の耳に響いた為めである。それでなくても僕は無論同船して帰朝する積りで、其前に君と打合せを仕て置いた。所が倫敦へ着くなり郵船会社の支店へ行くと事務員が<夏目さんは一度乗船を申し込んで置きながらお断りになりました>とさも不平らしく訴える。<もし同船して帰ると云たら船室の都合は付きますか」と聞いたら、<それはどうにかなりましょう。>と云う返答だ。そこで夏目君に端書を出したら翌朝僕の下宿へ来て呉れた。君より前に来て居たO君は、例の電報を取次いだ関係で、是非一所に連れて帰れ、荷物の始末は跡でどうにでも付ける。ああいふ電報のあった以上若しもの事があったら君は申訳はあるまいと熱心に同行を主張する。」
 藤代は、漱石の下宿に泊まって同行を説得したが、漱石は書籍を沢山買い込み、其の荷造りのため
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に同行できないことになった。「成る程君の部屋には留学生としてはよくもこんなに買集めたと思う程書籍が多い。これを見捨てて他人に後始末を任せると云うことは僕にしても出来相もない。それに今日一日見た様子では別段心配する程の事もないらしい。」という事で、藤代は漱石の説得を断念、漱石は藤代の友情と面倒をかけたお礼に、「其翌日君にケンシントン博物館と図書館を案内して貰ひ、図書館のグリル・ルームで一片の焼肉でエールを飲んだ」となった。
 この漱石の神経衰弱事件がなければ、ロンドン留学の最後に、モリスのグリーン・ダイニングルームのあるV&Aのレストランで、エールで乾杯した話は生まれなかったと思います。事件の副産物ですね。
V&Aのグリルルームの入り口の写真です。
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by kenjitomorris | 2010-05-09 20:47
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