|
モリスの読んだ『資本論』の縁で、コブデン=サンダーソンに強く興味を惹かれました。
すでに書きましたように、彼はモリスが熟読したマルクスの仏語訳『資本論』を、1884年にグリーンの美しい革表紙で再製本し、金箔文字を施し本の裏側に「ウィリアム・モリスと仲間たち1884」と銘まで入れました。その『資本論』が現在、J・ポール・ゲッティのウァームズリー図書館にあり、ロンドンの古書店でY先生が直接手に取り、写真に撮ることができました。100年以上経っても、製本は確りしていたし、とても美しかったそうです。サンダーソンの製本の腕が良かったことが、これで証明されたと思います。日本からわざわざロンドンまで写真を撮りに出かけたわけで、サンダーソンも喜んでくれたと思います。 そのサンダーソンですが、『この世界を見よ』(サバト館刊)という論文集があり、その中の「工芸の理想」はモリス達のアーツ&クラフツ運動、そして当時のマルクス派の人たちの社会主義についての考え方を知るうえで、参考になりそうです。とくに中世のギルドとの関係、近代的労働組合との関係、そして労働との関係など、モリスとは少し別の角度から、製本の工芸職人の体験を通して具体的に語られています。簡単に要約しますと、 閉塞の時代に、工芸の世界にも理想のヴィジョンが必要であり、それは中世の「職人組合、或いは工芸組合」に求められる。それを「なぜ現代の労働組会も同じことを目指さないのか?」個人的利益だけでなく、「その職種の名声と信用のために」私心を離れた望みを持つ、すべての工芸技術を組織する「製本家組合」、その運動により「産業」と「科学」を「芸術」に変貌させる。サンダーソンは、ラスキンを参考に組合の「輪郭図」を提示し、①素材、②各種工芸、商業間の協力、③文字、印刷に付される人間の言葉、④製本技術、装丁、⑤生活と労働の理想、を具体的に説明します。そして、その活動を炭坑など、「一国全体、いな世界全体の産業までも一変させる」、そうした「労働組合」を期待して、以下のように訴えます。 「されば世界の産業を壮麗に繰り展げることである。されば人間のそれぞれの労働、それぞれの生産を壮麗に繰り展げることである。無機物、有機物の別なく、地球の出来るだけ多くの部分から地球が提供してくれるものを受け取ることである。」 『この世界を見よ』ですが、1991年に生田耕作さんが訳されたもので、「工芸の理想」と「美しい書物」の2編が収められていました。古書として購入しましたが、生田さんの署名まであり、小冊子ながらなかなか小奇麗な装丁で、大変気に入っています。巻末に「T・J・コブデン・サンダスン小伝」が書かれていて、それによると1840年に生まれ、はじめ牧師を志したが弁護士になり、そのあとモリス達と活動する中で、モリス夫人の勧めで1883年に「製本師」になることを決め、その後修業を積んで、1898年モリスの「ケルムスコット・プレス」を受け継ぐ形で、「ダヴズ・プレス」を設立、53点の美書を出版したそうです。 1883年と言えば、モリスが『資本論』を購入した後、熱心に読んでいた時期であり、それを傍で見ていて、そのままでは「擦り切れそうになる」ので、腕に覚えがあり、「製本師」になることを決めたサンダーソンが、モリスの『資本論』の再製本を買って出た、あるいはマルクス派の「仲間たち」が依頼した、のでしょう。翌1884年に再製本が出来上がり、モリスとその「仲間たち」のものになり、百数十年の歳月を経て、その『資本論』が現在ロンドンの古書店にあり、今回その写真を撮ったわけです。 1884年は、83年にマルクスが亡くなり、その一周忌が行われました。マルクスの墓のあるロンドンのハイゲートで墓前祭が行われ、モリスもデモに参加しました。このデモは、パリ・コンミュンの10年を記念する意味もあり、モリスの手紙でも、大きなデモになったそうです。それにモリスとともに、マルクス派のサンダーソンも参加して、一緒に行進しました。モリスとサンダーソンは、いつも身近にあって、活動を共にしていた様子がわかります。モリスの『資本論』もまた、そういう「仲間たち」の共有財産として再製本されたのでしょう。 また、モリスを中心とした「アーツ&クラフツ運動」、このキーワードもサンダーソンが使い出したそうです。むろん内容的にはモリスを始め、新たな芸術運動として、19世紀の産業革命による資本家的生産様式、その機械制大工業の大量生産―大量販売―大量消費への対抗的カルチャーです。しかし、機械制大工業の近代科学技術文明、つまり「SCIENCE&TECHNOLOGY」に対して、キーワードの「ARTS&CRAFTS」は、実に的確で卓抜な表現だと思います。3・11大震災による「原発神話」の崩壊など、近代科学技術文明の限界が明らかになった今日、それを超える文明のあり方を表現していると思うからです。 このように見ると、サンダーソンはモリスと『資本論』、そして「アーツ&クラフツ運動」を巧みに組み上げ、バインドした功績を担う重要人物ではないでしょうか? ![]()
# by kenjitomorris | 2012-05-11 21:52
一昨年から書き始め、昨年の3・11東日本大震災で大幅に遅れてしまいましたが、『ウィリアム・モリスのマルクス主義―アーツ&クラフツ運動を支えた思想』(平凡新書)が、ようやく再校まで漕ぎ着けました。津波に流され、原稿を手放しそうになった夢を何度も見ました。こんなこと、初めての経験です。間もなく、6月15日に発売予定です。評価は、読者の皆さんのご判断を待ちますが、著者からすれば、まさに大震災から産まれた作品になってしまった、そう思います。
その中の一節に「モリスが熟読した『資本論』-モリスとマルクスの接点を探る」として、モリスが所蔵したフランス語版『資本論』を紹介しました。その所在は、モリス死後百年、1996年のモリス展でロンドンのV&Aミュージアムが展示し、そのカタログが紹介されたので知っていました。ドイツ語が読めないので、モリスは仏語版を買い、表紙が擦り切れるほど読み、それを社会主義運動の同志サンダーソン(Cobden-Sanderson)が、わざわざモリスのために、美しいグリーンの革表紙で再製本したものです。『資本論』の内容は別として、非常に優れた製本の技術として、現在でも高く評価されているようです。 そこで世界で一冊しかないモリスの『資本論』、今どこにどうしているのか?それを探りたくて、調べました。やはりロンドン郊外のWormsley図書館に所蔵されていることが分かりました。ただ、問い合わせたところ、現在はロンドンの中心街Berkeley Squareの古書店Maggsにあるので、そこで閲覧、撮影して欲しい、ということでした。丁度、モリス・バックス共著『ソーシャリズム:社会主義』の翻訳に、ご協力頂いている宮城学院大のY先生が、ロンドンに出かけるので、幻の『資本論』の撮影をお願いしました。 じつは「古書店に置いてある」という話なので、これは値段によっては手に入るかな?そんな夢想を抱きましたが、それは当然のことながら幻想に終わり、Y先生に幻の『資本論』を手にする幸運を独占され、その代わり写真を沢山お土産に帰国されました。とても保存状態がよく、美しい装丁で、書き込みもほとんど無い、(じつはモリスの沢山の書き込みを当方は期待していましたが)モリスの『資本論』を確認しました。 バックスは、ドイツ語で読み、さらに彼はエンゲルスとともにマルクスの原稿も読んだと思いますが、モリスは仏語版を読んで、二人が協力して共著『ソーシャリズム:社会主義』を書いた。しかも二人で、その中の第19章に『資本論』解説を書きました。この『資本論』解説にもとづく社会主義の主張が、共著『ソーシャリズム:社会主義』だったのです。その内容は、ロバート・オーエンやフーリエ(サン・シモンは少し違いますが)など、ヨーロッパ社会主義思想の本流ともいえる、共同体社会主義の思想の科学的基礎づけだった。それは、初期マルクス・エンゲルスの唯物史観によるマルクス・レーニン主義のドグマとは異なる、もう一つのマルクス主義であり、社会主義です。 明治の日本の初期社会主義は、中江兆民などの自由民権思想を引き継ぐ土着性も強いのですが、さらに同時に早くからヨーロッパの社会主義の思想も入って来ました。その中に、モリスの共同体社会主義の思想が大きな影響をもたらした。すでに拙著『賢治ともリスの環境芸術』(2,007年時潮社刊)で紹介しましたが、1904年(明治37年)に堺利彦が、モリスの『ユートピアだより』を抄訳、「平民文庫五銭本」に入れて『理想郷』のタイトルで出版しました。それから3年後の1907年、明治40年に東京で「平民新聞」が発行できなくなって、「大阪平民新聞」が発行されましたが、そこに今度は堺の同志の山川均が、モリス・バックスの『ソーシャリズム:社会主義』のうち、『資本論』解説の部分を紹介したのです。 この山川の『資本論』解説ですが、日本ではまだ『資本論』の翻訳が無い時点で、イギリスでの英語訳も遅れ、山川はほんの一言「モリス、バックス」の解説を紹介する、とだけ書いてあります。しかし、それこそ他でもないモリスの『資本論』、バックスとの共著『ソーシャリズム:社会主義』の『資本論』解説なのです。堺の『ユートピアだより』、続いて山川の『資本論』解説、正しく明治の初期社会主義は、モリスを通して社会主義の思想が、マルクス主義が、そして『資本論』が、日本に導入されたのです。 さらにここで、堺利彦と山川均の二人が分業するように、文筆家の堺がユートピアロマンの『ユートピアだより』、理論家の山川は『資本論』解説を、それぞれ日本に紹介しました。堺と山川は、「労農派」と呼ばれる社会主義、マルクス主義の流れの代表者であり、創始者であり、指導者であった。労農派は、マルクス・レーニン主義、そして旧ソ連型社会主義のドグマに対立した日本独自の社会主義ですが、ソ連崩壊後の21世紀のもう一つの社会主義として、モリスのアーツ&クラフツ運動の発展として評価すべきだと思います。 ![]() # by kenjitomorris | 2012-04-27 21:03
宮沢賢治学会イーハトーブセンターが、東日本大震災復興支援の企画として、昨年から盛岡、東京、続いて2月18日(土)仙台文学館で開催されました。賢治学会の会員でもあり、企画に協力して、お手伝いさせてもらいました。会場と共催が「仙台文学館」だったこと、また昨年3月11日の震災から1年を迎える時期でもあったと思います、事前申し込みを途中でお断りしたのに、それでも会場が溢れるほどの盛況でした。準備した資料も無くなり、主催者は嬉しい悲鳴でした。震災からの復興に、「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」の賢治精神をもう一度思い起こし、心の拠り所を求める参加者の熱い思いを強く感じました。大成功だったと思います。
学会の会員として、講演の講師を引き受け「大震災と文明の大転換:賢治精神に学ぶ」で約1時間話しました。今度の大震災が自分の人生のあり方を問い直す「文明の転換」であること、福島原発事故により原子力VS自然力の選択を迫られた今、「きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむ」(注文の多い料理店:序)賢治の訴えを聞き、津波に浚われたマイカーや家電製品の瓦礫の山を見せ付けられ「一日ニ玄米四合ト少シノ野菜ヲタベ」て生きていく脱「大量生産―大量消費」の生活の見直し、さらに工業化社会の機械文明の科学技術立国から、『農民芸術概論綱要』で賢治の訴えた「近代科学」に置換される宗教・芸術の「アーツ&クラフツ運動」、そして羅須地人協会で賢治の教えを受けた伊藤与蔵さんの「賢治聞書」を紹介しました。そして、W・モリスの労働観「傍を楽にする」に基づく「芸術をもてあの灰いろの労働を燃せ」の賢治の「イーハトーブ」思想の訴えを語りました。賢治先生に褒めてもらえるかどうか?200名を越える聴衆の皆さんは、一生懸命聴いて下さいました。ご清聴に感謝です。 その後、NPO法人「シニアネット仙台」の朗読グループ「注文の多い料理店」が舞台朗読として賢治の「月夜のでんしんばしら」を朗読しました。ここで朗読が入った理由ですが、じつは昨年の9月21日の賢治祭の日、例年行われている「賢治の里で賢治を読む会」に、朗読グループが参加しました。それを聞いて下さった賢治学会の関係者から、今度の仙台での冬季セミナーの話が出て、協力を依頼されたのです。朗読グループも協力に賛成、さらに朗読出演も決まりました。そんな事情があって、今回のセミナーでは、盛岡や東京に無かった「月夜のでんしんばしら」朗読が、プログラムに入った次第です。ですから、私の講演の中でも、少し「月夜のでんしんばしら」についても、触れてみましたので書き留めておきましょう。 「銀河鉄道の夜」を始め、賢治は鉄道や電気の話を書いています。とくに「月夜のでんしんばしら」は、鉄道よりも電気、そして電信柱を軍隊に擬え、「電信柱の軍隊は」の軍歌とともに話が進んで行きます。賢治の童話には珍しく、軍隊調です。なぜ、賢治は鉄道と電気、そして軍隊を素材に選んだのか? 19世紀末、近代社会の工業化は、重化学工業化の時代を迎えました。第2次産業革命とも言われる産業の高度化です。この産業基盤になったのが、エネルギーとしては電気エネルギーであり、鉄道による輸送網の発展でした。それらが鉄と石炭による工業の高度化を支えることになりました。しかし、それで迎えた20世紀は、2度に及ぶ世界大戦、そしてロシア革命など、「戦争と革命の世紀」となったのです。熱戦と冷戦、革命戦争が繰り返され、原子爆弾の開発、そして原子力の平和利用の原発が続いたのです。 鉄道と電気の社会的な利用拡大が、じつは「戦争と革命」と結びついていた。宮沢賢治の心象風景には、電気と鉄道が軍歌の合唱とともに、「月夜のでんしんばしら」の行進になって、「電気の大将」の号令の大声が響いたのです。ロシア革命の直後、レーニンはソ連共産党の集会で「共産主義とは労兵ソビエットと全国の電化である」と演説し、全土に電気網を張り巡らして中央集権的なクレムリン支配のソ連型社会主義を建設しました。そして、冷戦時代には、米ソの核軍拡とともに、原子力発電のネットワーク拡大となり、スリーマイル島の事故に続いて、チェルノブイリの原発事故とともに、ソ連は崩壊したのです。 大号令の「電気の大将」が、突然の列車の到来に驚き慌てる様子は、何か3・11の大津波の襲来、そして福島第一原発の爆発を連想させるものがあります。賢治精神は、電気や鉄道の高度工業化の明るい利便性、快適性の生活面ではなく、「電信柱の軍隊」を登場させて、近代社会の工業化の裏面に鋭い眼差しを送った、賢治の創造力、洞察力は大変なものだと思います。こうした賢治精神を朗読で伝えきれたかどうか?賢治先生、どうだったでしょうか? ![]()
# by kenjitomorris | 2012-02-20 21:01
新年おめでとう御座います。仙台、お正月の三が日、雪もなく、穏やかで、静かなお正月でした。
昨年、3・11以降の悪夢のような毎日を考えると、何やら不気味なほど静かな新年です。これで良いのだろうか?考えてしまいます。このようにして時間が忘却の淵に、大震災の記憶を沈めてしますのでしょうか?それが恐ろしいのです。 年末まで、津波に押し流されるような日々を送りました。予定されていたスケジュールが、夏から秋へ繰り延ばされ、震災による新しい仕事が、次々に入り込む、それに一昨年から予定して書き続けていた著述も、途中で手放そうかと思いましたが、何とか脱稿して出版社にわたしました。「モリスの社会主義」平凡社新書です。それに仙台の仲間の協力でモリス・バックス共著『社会主義―その発展と成果―』晶文社も最後の仕上げに入りました。 例年、このブログなどを整理して、新年のご挨拶を兼ねた『賢治とモリスの館だより』、ご来館の皆さんに送らせて頂きました。しかし、今年は中止させて頂きます。昨年、震災でパソコンなど壊れ、少し遅れてお送りしましたが、津波の被災の酷かった気仙沼や石巻、東松島などからご来館頂いた方々の中、何人かの犠牲者が出て仕舞いました。お届けできない『館だより』を、またお送りする気持ちにはどうしてもなりません。作並の「館」から静かにご冥福を祈ります。どうか作並の自然をお忘れなくお眠り下さい。合掌 なお、昨年暮、仙台・作並は例年より積雪が早く、12月25日で「館」は閉館しました。 三月の末、雪の具合を見てオープンいたします。今年も見事な片栗の花の群生を皆様とともに 期待したいと思います。 ![]() # by kenjitomorris | 2012-01-03 18:34
3・11大震災は、福島第一原発事故によって、世界から注目され、救援の手も差し伸べられました。その点で未曾有の事件と言えますが、最大の関心が集まったのは、やはり原発事故だった。日本人とともに、原発の安全神話の崩壊に、世界中が強い衝撃を受けたと思います。原発事故としては、米のスリーマイル島、ソ連のチェルノブイリ、それらに続く事故ですが、①その規模が大きいこと、②世界でトップレベルの技術立国での事故であること、さらに言えば③広島・長崎の原爆の被曝国であること、など特に関心が寄せられたと思います。西欧を中心に再び脱原発、自然再生エネルギーへの転換に拍車がかかることが予想されます。
言うまでもなく原爆も原発も、原子力の利用です。軍事利用が原爆であり、平和利用が原発です。原爆が広島・長崎への投下により、人類の絶滅に繋がる危険を証明し、今や核兵器の廃絶に進もうとしている。平和利用の原発もまた、福島第一原発事故により、安全神話の崩壊と共に、広島・長崎の原爆投下の何倍も上回る放射能の被曝や汚染をもたらすことが明らかになった。近代社会の科学技術文明の到達点が原子力であるとすれば、核兵器廃絶はまた、脱原発にならざるをえないし、それは再生可能な自然エネルギーへの回帰でなければならない。それにより近代文明の超克が図られる、大きく重い人類の世界史的課題が提起されたと言えます。 モリスが国家社会主義を批判し、『ユートピアだより』など、共同体社会主義を主張したについては、すでに述べたとおり高度工業化による帝国主義への世界史の転換があった。そして、「戦争と革命」の二〇世紀は、国家主義に基づく2度の世界戦争、さらに半世紀もの長期の冷戦時代を経験した。こうした国家主義による熱戦・冷戦の戦時経済体制の中で、近代科学技術文明も異常な発展を遂げ、原子力の利用をもたらした。しかし、ポスト冷戦の世界史的転換の中で、3・11大震災は科学技術至上の原発「安全神話」を瞬時に崩壊してしまった。世界史は、いま何処へ行こうとしているのか? 帝国主義の時代は、国家主義の台頭と共に、国際対立が激化し、国家社会主義と国家資本主義の東西対立の冷戦時代となった。核軍拡が推進され、その「鬼子」とも言うべき原発も産み落とされた。90年代、ポスト冷戦は市場経済をグローバル化し、それを背景に「ネオコン」の市場原理主義による米一国覇権主義の「グローバル資本主義」イデオロギーが登場した。しかし、08年リーマンショックの世界金融恐慌は、市場原理主義の破綻と没落をもたらした。米を先頭とする財政・金融の総出動による金融恐慌の乗り切り策も、日本を始めとする欧米各国の長期債務の借金財政を急膨張させた。金融恐慌は財政危機に発展、国家主義の経済的破綻を決定的にしています。 金融破綻と財政危機を抱え込んだ世界市場のグローバル化は、いま歴史的な再編を迫られている。基軸通貨ドルによる米・一極覇権主義のグローバル支配の夢が破れたアメリカは、北米自由貿易協定(NAFTA:米・加・メキシコ)を基礎にアジア太平洋に勢力圏を大幅に縮小セットバックし、APEC(アジア太平洋経済会議)によるTPP交渉でドル・ブロックを目指す。ギリシャ、伊をはじめ、深刻な財政破綻を迎えたEU諸国は、ユーロの再建によるブロック化を余儀なくされようとしている。こうしたグローバル経済の再編の中で、社会主義市場経済の中国は、BRICsなど新興諸国、中東・アフリカの諸地域を含めた地域統合を進めることになるでしょう。このようなブロック化への動きが、一歩間違えば1930年代の再現となる。核廃絶が進まぬまま、全面核戦争の可能性が否定しきれない現実に向き合うことになる。 そうした可能性を予感せざるを得ないからこそ、我々はまた3・11大震災によって提起された、近代文明の大転換という歴史的使命の重大さを真剣に、かつ主体的に受け止めるべきです。ここで最後に、もう一度整理しておきましょう。 1)高度工業化の基礎となってきた化石燃料、また原子力エネルギーから、再生可能な自然エネルギーによる低炭素化経済(LCE)への転換をはかる。 2)工業化社会における川上から大量生産―大量販売―大量消費の一方的な流れのシステムに別れを告げ、自然エネルギーの「地産地消」に基づいた地域循環分権型社会システムを構築する。 3)利便性・快適性や安価な過剰消費を追求するライフスタイルを改め、安全・安心な消費の質的向上に基づく生活の芸術化、そのための「労働の報酬は生きる喜び」への労働価値観の転換をはかる。 4)家庭・家族・地域の「絆」を大切にした新しいICT共同体「スマート・コミュニティ」の構築を進める こうしたICT+LCEの低炭素化社会への環境や条件が成熟しつつあるとすれば、必要なのは我々の主体的な意志決定であり、その実現のための組織的実践でしょう。市場経済による近代的営利企業に限界が見えている中で、非営利の社会的経済主体も増加している現実を見逃してはなりません。 モリスのユートピア社会主義、そして賢治の描いたイーハトブの世界の実現は、政権奪取の革命や単なる政権交代によるものではない。21世紀、さらに22世紀に向けての人類の新しい文明の創造です。2012年、国連UNは「国際協同組合年」を決定し、世界的に共同体の再構築に向けた行動を呼びかけています。また、すでに1992年、ポスト冷戦を迎え「協同組合の国際デー」を国連総会で宣言しましたが、今や全世界100カ国で、じつに7億6000万人もの組合員が活動しているのです。加えて、日本でも阪神・淡路大震災を契機に災害ボランチティア活動が活発になり、NPOをはじめ各種の社会的企業のコミュニティ・ビジネスの拡大なども注目すべきです。 19世紀初頭、イギリスのスコットランド、ニューラナークでのロバート・オーエンの実践に始まり、モリスなど西欧の共同体的社会主義の歴史は、広く国際協同組合や各種の非営利活動の運動と実践に受け継がれている。近代文明の歴史的転換もまた、国連による「国際協同組合年」のグローバルな運動展開により、歴史の前進をはかることが期待されているのではないでしょうか。 ![]() # by kenjitomorris | 2011-11-14 21:39
NHKスペシャル「どっこいいきている!」何度か放送されましたが、津波で壊滅的な被害のあった南三陸の漁村の話です。「驚きの孤立集落200人、不屈の復興物語」と紹介されていました。町の被害も大きかったが、行政の手が回らぬまま、見放された形で孤立した集落、しかし漁師の結束は固く、それを女たちがしっかりと支える。中途半端な行政の計画など撥ね退けて、文字通り自力の復興・更生を進めている感動の報告です。漁村の村落共同体=コミュニティが、今なお東北の三陸の僻地に「どっこいいきている」、未曽有の大震災から立ち上がる原動力を見せてくれたと思います。
復興の掛け声にもかかわらず、計画づくりが進まず、計画ができても被災地住民の合意が得られない。さらに国の責任で復興の約束をしても、財政再建も進められない国家財政を当てにすることはできない。復興の主体は基礎自治体の市町村、と言われても、財源の裏付けがない空虚な主体に過ぎない。こうした中で、被災地住民の焦りは日々募るばかり、生きていくためには行政の力を待ってはいられない。したがつて、住民は自分たちの力で、地域の生活の再建を図る他なくなっています。 とくに東北の農漁村では、まだまだ地区集落のコミュニティの絆、結束力が残っている。津波の破壊力も強いが、共同体の結束力も強い。その結束力で、行政の力を借りずに、自ら情報ネットの力を利用して漁船を自主的に調達し、さらに建設業者の協力を得ながら道路を造る。高台への移転も単なる移住ではない。集落共同体そのものの移転である。これは、もはや「行政自治」や、上からの分権のレベルを越えている。共同体の「住民自治」であり、「南三陸コミューン」の形成ではないでしょうか? こうした大震災の津波が引いた後の共同体の絆の強まりは、国家や行政の無力さの反映にほかなりません。最早、長期の過剰債務に喘ぐ国家に、信頼も期待も寄せられない。自民党の一党支配の長期政権が、民主党に交代しても、国民の生活本位の政治どころか、相変わらずの利益誘導型のばら撒きが続く。とくに大震災に直面して、危機管理の無能ぶりを曝け出した。党内の不和、対立が続くばかりか、首相の座を維持することもできない状態では、それだけでも政治への不満、不安、不信の増大は極限に達します。加えて財政の裏付けを持たない「不渡り手形」の乱発のような復興の政策や計画のばら撒きです。もはや行政は、頼りにならないどころか、むしろ混乱を助長する存在、目障りな無駄に映ってきている。こうした行財政の力の衰えは、現代の国家権力の無力化の表現だし、無政府状態へ移行ではないか? 国家の役割も、歴史的に大きく変化してきました。近代国家はは、いうまでもなく「国民国家」ですが、日本でも徳川以前の前近代社会には、例えば幕藩体制の統治など、そもそも国家の概念は存在しなかった。近代社会の国民国家によって国家が初めて成立、日本のような後進資本主義では、初期の絶対主義的な国家権力が続きましたが、イギリスなど先進資本主義では、産業革命による経済的自由主義の支配など、小さな政府の「夜警国家」の時代も経過しました。機械制大工業で資本主義が経済的に確立し、資本の力で労働力を自由にコントロールし、社会を組織的に統合支配する傾向が生まれたからです。しかし、19世紀70年代末以降、ドイツ、アメリカなど後進資本主義の追い上げ、重化学工業による産業構造の高度化など、資本主義の世界史的発展に変化が訪れ、国家主義的な傾向が強まりました。 モリスが『資本論』を読み、機械制大工業による資本主義の支配に批判を強めた、その時期は資本主義の歴史的転換期だった。初期の社会主義の思想も、その転換期を迎えて、イギリスでもマルクス主義が社会的影響力をもち始めた。マルクスは、資本による階級支配の「道具」に過ぎない、「国家の死滅」を考えていたし、モリスもまた国家主義の台頭に批判的意思を固めていました。モリスの反権力の意志は強く固く、従ってプロレタリア独裁型の権力奪取の国家社会主義や国家権力への介入による改良主義、参加型の社会民主主義の戦略にも批判的だった。むしろ無政府主義的な偏りを、エンゲルスから批判されるほどでした。 20世紀の資本主義は、重化学工業化に基づく金融資本の発展から、帝国主義の国際対立を迎えた。夜警国家の「小さな政府」の時代は終わり、帝国主義戦争のための「大きな政府」、法治国家から政治的な官僚国家・行政国家の時代を迎えた。元々小さな政府は、租税国家の納税者による参加民主主義だったが、大きな政府への発展は、国債発行を前提とした大衆課税と大衆民主主義への転換でもあった。帝国主義戦争は、戦時国債の発行が不可避だし、租税国家も「公債国家」に転換する。また、民主政治も大衆民主主義による組織的動員体制が不可欠になった。一方の戦争の勝利者は、金融資本の帝国主義的植民地支配を強め、他方の敗戦国では、「帝国主義戦争を内乱へ」、そしてプロレタリア独裁型の権力奪取の国家社会主義の革命が必然化し、二度の世界戦争とロシア革命です。「戦争と革命」の21世紀です。 第2次産業革命とも言われた重化学工業化による金融資本は、コンビナートの産業基盤整備など、19世紀産業革命の機械制大工業による産業資本の社会的組織統合のレベルを超えて巨大化する。株式会社の形式を利用し、産業資金を社会的に一般大衆からも組織的に動員して利用する。大衆民主主義は、「証券民主主義」に発展します。この様な金融資本の発展は、国家と資本との癒着を強め、戦争体制ともなれば、資本が国家を利用するどころか、資本の国家への従属です。とくに第2次世界大戦後、一方の「国家社会主義」のソ連が東の世界を支配し、アメリカを頂点とした西側の資本主義は、対抗的に「国家資本主義」として組織化されました。いわゆる戦後体制の東西2つの世界の対立です。「国家資本主義」と「国家社会主義」は、近代社会の資本主義が20世紀に産み落とした異様な「双生児」だったのではないか。 レーニンも、金融資本による帝国主義については、名著『帝国主義論』を書きました。科学的分析として、鋭い考察を加えてロシア革命の理論的基礎となった。しかし、社会主義建設については、例えば1920年12月、第8回全ロシア・ソヴェト大会では、電力による重化学工業化の推進を基礎に、「共産主義とはソヴェト権力プラス全国の電化である」と定義し、国家社会主義と呼ばざるを得ないような主張をしています。日本の電力資本が喜びそうなスローガンです。そうしたソ連の国家社会主義に対抗するように、欧米資本主義もまた、国家独占資本主義とか、社会民主主義の参加介入と呼ばれるような発展を進めることになった。特に第2次大戦後は、戦勝国を代表する米ソを頂点とした冷戦構造による東西対立が、半世紀近くも続く異常な時代でした。 こうした中で、国家の役割もますます強く大きくなる。東西対立は、東が共産陣営のプロ独のイデオロギー、西は「自由と民主主義」の価値観の共有でした。こうしたイデオロギーに基づく体制の組織化は、核軍拡による軍備の増大、完全雇用など社会福祉の拡大、技術開発の推進など、米ソを中心に体制間競争が激化しました。異常な時代の異常な競争でした。最初に破綻したのが東のソ連を頂点とした「国家社会主義」であり、80年代から体制の崩壊、ソ連も呆気なく91年崩壊し、ポスト冷戦を迎えました。中国などは、すでに「社会主義市場経済」の別の道を歩んでいました。 西のアメリカは、唯一の超大国として生き残りました。ソ連崩壊に連動するかのように、共和党政権レーガン、英・サッチャー、日・中曾根など、新保守主義=新自由主義による、新たな体制の組織化に乗り出しました。しかし、核軍拡の産軍複合体制として組織化されたアメリカ、参加介入で肥大化した「福祉国家主義」のヨーロッパ、いずれも新たな資本主義の発展を期待できない。それどころか、超大国・米一極主義の「グローバル資本主義」を唱導するネオコンに担がれたジュニア・レーガンは、サブプライム・ローンによる金融バブルのリーマンショックで、08年世界金融恐慌の引き金を引くことになった。民主オバマ政権も、「チェンジ・改革」はスローガン倒れのまま、「アメリカ・モデル」は刻々と落日に向かっている。 「ヨーロッパ・モデル」も、ソ連型プロ独・モデルにはイデオロギー的に対抗し、参加介入の社会民主主義の道を政権交代してきた。しかし、社民型モデルも「福祉国家主義」として、「大きな政府」を推進した。国家主義の枠組みは、国家社会主義と同じであった。モリスが台頭し始めたフェビアン協会に批判的だった理由も、そうしたイデオロギーの枠組みだったし、マルクスの「国家の死滅」とは異質な、参加型「国家の利用」への批判だったと言えます。「大きな政府」の枠組みのまま、アメリカ発世界金融恐慌への財政・金融政策を続ければ、長期債務の借金財政の頚木に締められ、過剰流動性を狙っての為替投機の翻弄され続ける以外にない。 いま、アメリカ・モデルに続いてヨーロッパ・モデルが破綻する中で、モリスの「国家社会主義」批判と、共同体社会主義の今日的意義を確認する必要があるでしょう。19世紀末、国家主義の台頭する中で、「国家社会主義」のユートピア小説、ベラミー『顧みれば』を批判し、対抗して共同体社会主義のユートピア文学『ユートピアだより』の歴史的意義は大きい。モリスは21世紀、むしろ22世紀を目指しながら、共同体社会主義の夢を訴えていた。今日の国家主義の破綻は、モリスから見れば、ハモンドるじんが語った理想に向かう、一つの不可避的な過渡期の混乱として位置づけられるでしょう。 ![]() # by kenjitomorris | 2011-11-09 09:38
『小さな町を呑み込んだ<巨大津波>』
「自然にはさからえないんです はむかってはならないんです 自然と睦みあって、これからもこの命を大事に生きよう。」 やまもと民話の会 編 福島県の浜通りに接する宮城県山元町、面積は約65Km、人口も1万4千人ほどの小さな町、この町も巨大津波に呑み込まれました。多くの犠牲者を出し、名物だった北寄貝が流され、農家収入を支えた苺の畑も、すべて跡形もなく浚われた。「パソコンもない、机もない、ノートもない、だから真実が書ける」そんな思いで纏めた文集の冒頭の訴えです。「安全神話」の想定値による防災計画が、想定外の巨大津波に無残に押し流され、すべてを失った。その上で小さな漁村の民話の会の女性達が、自然への畏敬による睦み会いの心の大切さ、自然との共生に根ざした人々の助け合いの絆の大切さ、それを確かめ合うために纏めた文集です。地域に生きる生活者、「都人」である市民とは違う、「地人」として地域に生きる女たちの目線で捉えた、復興への確かな視座を学び取ることができると思います。 3・11大震災の後、沢山のボランティアを含めて、人々の互いに思いやる心、精神的な絆の大切さが、殊更に強調されたように感じます。仙台七夕に全国各地から寄せられた沢山の折鶴を見ても、「復興と鎮魂」のキーワードは「絆」になった。生者の死者との絆です。そして思いやりや助け合い、さらに利己心とは逆の「利他心」が強調される風潮などは、明らかに価値観の転換に他なりません。個人主義や自己中心の利己主義、さらに自立や自主性といった価値観や人生観からの転換です。家庭や家族、地域の連帯の絆を求め、そこからさらに地域の共同体、コミュニティの復権が動き出している。 しかし、考えてみれば、こうした価値観や人生観の転換の訪れは、逆に戦後の高度成長と近代化の流れの中で、いかに家庭や家族、地域の連帯の絆が引きちぎられ、人々が孤独と孤立の「無縁社会」に生きることになったかを示しています。都市の片隅で増加している孤独死に象徴される無縁社会、それは「血縁」、「地縁」、さらに「社縁」の絆が失われた、人間社会の崩壊現象だった。高度経済成長の近代化の果てが無縁社会の孤独死であり、それに追い打ちをかけるように襲ったのが、今回の3・11平成三陸大津波と原発事故、それによる放射能汚染と集団移転であり、故郷の完全消失ではないのか? すでに述べたように、高度成長が始まるとともに、地方の農村の若年労働力が、三大都市圏に大量流出した。この流出現象を、地域開発論の権威は「向都性向」、つまり都会に向かう人間本能から説明しました。人間本能により若者は地方の農村を捨て、自ら労働力を商品化して、サラリーマンとして企業に集団就職したわけです。都市の団地族の仲間入りして近代的な電化製品に囲まれ、ローンでクルマを買い、ローンでマイホームを建て、ひたすら個人の利便性・快適性を追求して自由に生きる。しかし、そうした都市生活は、労働力を商品として売り、サラリーを稼ぐ自由でアトミックな「経済人」の人生である。また、経済人の「核家族」として、共働きで自立を求めて家計を担う市民生活でした。 この都市サラリーマンの市民生活も、近代社会の工業化による企業の発展と成長が続く限りはハッピーだった。しかし、高度成長から低成長、さらに「暗黒のデフレ経済」が続く中で、企業社会の安全と安定の傘の下で安住することが出来なくなった。企業内の福祉だった、病院や温泉地の保養施設が閉鎖され、会社のグランドは売り払われ、社宅の制度も無くなる。年功序列の終身雇用の制度が崩れ、派遣会社からの非正規雇用の労働力が増加する。企業年金の将来も不安なまま定年退職がやってくる。 「向都性向」に促されるまま、故郷を捨てた都市サラリーマンは、都市生活者として自ら「地縁」を断ち切って、田舎から都会に出て来た。企業社会の終身雇用で、老後の生活保障も約束された筈だった。しかし、高度成長の企業社会の安全保障の期間は続かなくなリ、「社縁」の絆も切れ掛かっている。一度、故郷を捨てた都市サラリーマンにとって、有名人の「錦で飾る」お国入りは別だが、社縁を失っての孤独な帰郷は、自らの気持ちがまず許さない。もともと自由なサラリーマンとして、自立した「経済人」として、核家族の市民生活を続けてきた。自らを省みても、子供達に対して、同居の家族主義を求めることは出来ない。核家族は、加齢と共に夫婦家族に縮小、そして順次「血縁」も自然に切れて、単身世帯として独居せざるをえなくなる。無縁社会の必然性です。 老人ホームの現実から見て、無縁社会の矛盾を、小手先の高齢化対策で解決できるとは思えない。近代社会の「経済人」の個人主義、自由主義、商業主義の価値観、人生観からの転換を求められているのではないか?3・11大震災によって、今や共通の合言葉、キーワードになった「絆」を取り戻し、新たなコミュニティの再生を図る文明の転換が要求されている。その文明の転換の構図は、モリスが100年以上も前に、ロンドンからコツッウォ-ルズへの舟旅の物語として描いた『ユートピアだより』の世界でしょう。それは、単なる空想小説ではない。マルクス『資本論』を読み、機械制大工業を基礎とする、近代社会の資本主義的生産様式の科学的解明、それに基づいたポスト資本主義である『社会主義』の理想の構図でした。ケルムスコットの村の農民、自分の別荘で生活の場だったマナー・ハウス、そして村の質素な教会の教区を舞台とするコミュニティ=共同体社会主義の世界です。 1992年のソ連崩壊により「社会主義」のタームまで、すでに過去の遺物のように扱われ、顧みられなくなってしまいました。しかし、近代社会としての資本主義的生産様式の企業社会による、人間社会としての組織的統合が出来なくなり、まさに「無縁社会」として解体の危機に瀕している。それに代替するポスト資本主義として、「経済人」の個人主義、自由主義、商業主義を超えた新しい人間の絆、それが新しい地域コミュニティ=共同体の絆であるとすれば、モリスの共同体社会主義の思想が求められて良いのではないか?賢治がモリスから学んだものは、単なる芸術思想だけではない。モリスの工藝職人による「ハマスミス社会主義協会」から、彼は花巻の地で農民学校「羅須地人協会」を組織したように推測されます。だとすれば、賢治はロシア革命の国家社会主義とは異なる、モリスの社会主義に親近性を持っていた、そんな想像も出来るでしょう。 ![]() ![]() # by kenjitomorris | 2011-11-06 12:22
3・11大震災からの復興は、その前に膨大な瓦礫処理から始めなければなりません。さらに震災復興には、様々な難題が立ちはだかっています。いくら『頑張ろう東北』と掛け声をかけられ、『復興に頑張ろう』と激励されても、復興が進むものでもない。むしろ復興需要を狙って市場獲得を目指す狡猾なコマーシャリズムのセールスではないか、そんな警戒心が頭をもたげてきます。
東北に対する多くの励ましや、沢山のボランティアの援助にもかかわらず、被災地は次第に復興への希望を見失ってきています。復興は国や自治体の責任で行われる建前は強調されたにもかかわらず、肝心の財政的資金の裏付けがない。言うまでもなくバブル崩壊で「暗黒のデフレ20年」の中で、すでに日本経済は、世界でも最大とも言える借金財政の重荷を背負っている。中央も地方も、長期債務残高に苦悩し、復興どころか財政再建に四苦八苦しているのが実情です。 財政の裏づけが不透明な上に、復興の計画づくりも頓挫したり、デッドロックに乗り上げている。計画づくりが進まない上、高台へ移転の計画を提示されても、高台の土地は値上がりする、津波に流された自分の土地が処分できない。職が無くなり生活の目処が立たない。仮設住宅を追われ、帰る家、住む家を失ったまま、生きて流浪する以外になくなってしまう、そんな暗い話が溢れそうになってきた。 被災地では、職を失った人々が急増して、一方で失業問題が深刻です。瓦礫処理などの一時的臨時雇用で生き延びる状態です。しかし、他方では、瓦礫処理にしても、単純労働だけでなく、重機のオペレーターなどの技能者が必要です。これから復興が進めば進むほど、建設土木・建築に関連の技能労働力、つまり職人さんの技能労働力・クラフツマンが、絶対的に不足する深刻な事態が訪れています。統計上も、すでに型わく工、塗装工、鉄筋工の構造的な職人不足が続いています。内陸部でも、職人不足で、震災で落ちた屋根瓦の修理が出来ぬまま、ブルーのシートをかけたままが続いている。被災地の現場は、労働力の過剰と不足が共存する深刻なミスマッチが拡大しているのです。なぜ、こんな職人不足が生じたのか? 日本経済の工業化による高度成長が進む中で、東北地方を中心に中卒・高卒などの若年労働力が「金の卵」ダイヤモンドと持て囃され、集団就職の列車で首都圏など三大都市圏に吸収されて行きました。さらに出稼ぎ労働力も増加し、「三ちゃん農業」など、農漁村の労働力は高齢化し、後継者不足が深刻化しました。70年代以降は、1ドル=360円だった外国為替の固定相場制が変動相場制に変わり、米国からの圧力も加わり、円高がどんどん進みました。いまや超円高の時代となり、海外から安い農畜・水産物の輸入が急増、食糧の自給率が急速に低下、特に東北の農山漁村は壊滅状態です。そこに3.11の大震災の原発事故で、集団移転を迫られ、村が消滅する事態に追い込まれた。 東北の地域を捨てた若年労働力は、都市のサラリーマンとして企業に雇用され、団地族の仲間入りが出来た。労働力の商品化です。しかし、始めは終身雇用・年功序列の制度の下で、雇用も安定していた。しかし、高度成長で若年層が不足し、その賃金が上昇すれば、終身雇用・年功序列も崩れてくる。上記の円高が進んで、さらに国際化も進み、競争が激化する中で、海外からの追い上げが厳しくなる。安定していた雇用や賃金上昇も、派遣社員など非正規雇用の増加によって、不安定になる。もはや正社員中心主義は限界です。 若年労働力の都会への流出で、農家が後継者を失っただけではありません。農山漁村や地方都市の商業も衰退、中心商店街もシャッター通りに変わりました。農家や漁家とともに商家も、さらに地方の中小零細家内工業もまた、後継者を失って家業を断念せざるを得なくなった。じつは、職人・技能者の多くは、企業にサラリーマンとして雇用されるよりは、家業として親から子、子から孫への技能の継承による家業経営として伝承されてきた。戦後の学校教育でも、職業教育やキャリア教育は次第に軽視され、ひたすら大学への進学教育に偏重してきた。学校教育を含めて、職人・技能者を育成し、「手作りの技」を教え込む技能継承の場が失われ、その結果として技能者の絶対的不足の危機を招くに至ったと実感します。 3・11大震災からの復興を控えて、職人・技能者の絶対的不足の実態が、巨大津波によって洗い出された。高度成長の工業化と近代化による労働力商品化の拡大と深化が、一方では正社員主義の破綻と非正規雇用の格差社会を生み、他方では職人・技能者の絶対的不足が暴露されたのです。こうした現実が、たんに雇用の拡大や賃金の上昇のレベルを超えて、労働の価値を根本から考え直す、そして働くことの意味を問い直すことになっているのではないか?そして、モリスがアーツ&クラ仏運動の実践の中から、「芸術は、人間労働の喜びの表現である。Art is a man's expression of his joy in labor.」と強く訴えた。丁度150年前の1861年、モリス達は自ら工房で働きながら経営する「モリス・マーシャル・フォークナー商会」を立ち上げた。クラフツ・ギルドさながらに、喜びの表現として労働し、多くの工芸品を製作しました。モリスは、ともに働いていたクラフツマンとともに、彼の仕事場兼住宅のハマスミスのケルムスコット・ハウスで「ハマスミス社会主義協会」を組織して、工芸職人学校を実践しました。 モリスの工芸運動を、宮沢賢治が岩手県花巻の地で、『農民芸術概論綱要』を準備し、「芸術をもて、あの灰色の労働を燃せ」と地域の農民たちに呼びかけ、羅須地人協会を組織して大きな足跡を残した。「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」灰色の労働を、喜びの表現に変える農民学校の実践だったと思います。平成三陸大津波による震災復興の中で、働くことの意義を考え、労働の価値を再認識することが強く求められているように思います。 ![]()
# by kenjitomorris | 2011-10-31 21:46
未曽有の大災害は、M9.0の地震災害もさることながら、あらゆる想定値を超える大津波、それに福島第一原発事故の放射能汚染による、天災に人災が重なった複合災害によるものです。33年前の宮城県沖地震がM7.4でしたから、地震の揺れはさほど大きいとは感じませんでした。被害も、後に続いた余震の被害が大きかったように思います。大災害になったのは、発生した大津波が沿岸部を襲い、津波軽視の「安全神話」で建設した原発事故と重なったことによることは否定できません。
しかし、大津波にしても、三陸沿岸は元々津波の常襲地帯だった。例えば、賢治の生まれた1896年は明治三陸大津波、この時の死者は2万人を超え、今回より多数の犠牲者が出た。また、彼が亡くなった1933年は昭和三陸大津波、それに今度の平成三陸大津波(2011)です。津波の「生と死」から生まれた賢治文学、とくに「雨ニモマケズ」に、人々はいま救いと励ましを求めているのです。 多くの犠牲者の上に、さらに残された瓦礫の山も、莫大な量に上ります。仙台市でも、年間のゴミの量の20数年分、最大は石巻市で106年分、気が遠くなる数字です。この瓦礫の処理が進まないことには、復興に着手できない。しかも驚くことは、瓦礫の山の大部分が、クルマをはじめとする電化製品など、重化学工業製品が占めていることです。我々が戦後、工業化による高度成長の近代化の中で、「三種の神器」「3K時代」などと言って追い求めてきた生活の利便性、快適性、そして画一性、その追求の結末が、巨大津波に押し流された瓦礫の山となって、風雨に晒されている現実です。 とくに押し流された瓦礫の中で、クルマの残骸の多いのが目立ちます。クルマ被害が多いのは、災害時の避難の際、クルマを利用しようとして、渋滞に巻き込まれ、それが津波にさらに巻き込まれることで、被害が増加した。その点では、クルマ社会の悲劇として、生活の利便性が問われることになった。「昔から津波が来たら舟で沖に逃げる」、その伝承が原発の安全神話と共に忘れ去られ、クルマ社会の悲劇を生むことになったとも言えます。 加えて、08年9・15のリーマンショックによる世界金融恐慌は、米のサブプライムローンによる消費者金融の信用破綻によるものでした。所得や貯蓄の十分な裏付けも無いまま、マイホームの甘い夢に踊らされて、ローンで家を建てる、ローンでクルマを買う、そしてショッピングセンターでカードの買い物、そんな大量生産―大量宣伝―大量販売―大量消費の近代工業社会の消費生活が破綻した。3・11の大震災は、さらに追い討ちをかけるように、津波の瓦礫の山の悲劇として、近代文明の暮らしの見直しを迫ったと思います。 三陸大津波に生き、そして死んだ賢治の世界は、「雨ニモマケズ」「一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ」て暮らす生活です。大量生産による過食や肥満を否定し、「小サナ萱ブキノ小屋」の暮らしに、本当の心の豊かさと美しさを求めようとした。この賢治精神に、いま私たちは、近代文明を超える心のよりどころを求めようとしている。 賢治の生まれた1896年、明治三陸大津波の年は、偶然にもロンドンでモリスが死んだ年でもありました。テームズ河の源流、そしてコッツウォールズも豊かな自然の中に、洪水の脅威を絶えず抱え込んでいます。最近でも08年夏、テームズ河の上流が洪水で氾濫し、多くの家屋や庭園が浸水の被害を受けたようです。前年の07年に宿泊したB&B「ミル・ディーン」も流されました。その写真をアップしますが、「世界で一番美しい村」コッツウォールズもまた、自然の豊かさ、美しさとともに、自然の驚異を抱えている。だからまた、自然との緊張関係から、自然の美しさと共生し、それを暮らしに生かそうとする芸術思想が生まれ、育まれたのではないか? コッツウォールズの村や町は、モリスの『ユートピアだより』さながらに、美しい自然と共に、今もなお17世紀の農家の建物が残り、それを利用した生活が続いています。中世からのクラフツ・ギルドの工房が生き残り、そこで親・子・孫の3代の職人さん達が、仲良く手づくりの銀器の制作に励む。しかも、21世紀のギルドらしく、クラフツ・ウーマンも銀器づくりに参加している、まさしく男女協同参加型ギルドです。 クラフツ・ギルドだけではありません。マーチャント・ギルドの機能も残り、昔からの町の市場の建物では、そこで物々交換を含めた少量多品種、そして地産地消の野菜や果物の取引が行われている。ショッピングセンターではない、マーチャントギルドの市場の取引が行われ、市民がガーデニングを楽しみながら、キッチンガーデンで採れた新鮮な野菜などの食材を供給しあう風景が、テレビでも沢山紹介されています。 モリスの共同体社会主義は、生活の豊かさを、大量生産ー大量消費の安価な画一化、過剰化ではなく、暮らしの中に芸術の美しさを採り入れるものでした。それは量産化の技術ではない。芸術と結びついた技能であり、手づくりのアートであり、クラフツマンの技です。彼の社会主義は、何よりもまず芸術社会主義であり、その実践はアーツ&クラフツ運動です。それは、近代社会の大量生産ー大量消費の暮らしを変えて、本当の手づくりの美しさを生活に取り入れようとするものです。 モリスが1883年の講演で訴えた言葉、「生活に必要と思はないもの、美しいと思はないものを、家に置いてはならない。」これは、3・11の震災の後に残された瓦礫の山、そして近代工業文明の過剰消費に対する厳しい批判ではないでしょうか? ![]()
# by kenjitomorris | 2011-10-28 17:49
3・11の大震災の地震や津波の災害から免れた「賢治とモリスの館」でしたが、やはり仙台は被災地ですから、いろいろ影響が出て来ました。沢山の犠牲者や被災した方々もおられますから、やはり「自粛ムード」が作並温泉を中心に広がりました。その点でも、館の来訪者の数も少なく、あらためて災害の恐ろしさを考えさせられました。まだまだ瓦礫の処理も進まず、復興にも着手できない被災地のことを考えると、深刻に考え込まざるを得ない日々が続いております。
そうは言っても、時間が変化をもたらします。秋を迎え、山々から紅葉が作並の里山に下りてくる季節が近づいています。来訪者の数も昨年のレベルに回復してきました。とくに、被災した方々の中で、館に「癒し」を求めて訪れる方も多いのに驚きます。そんな方々との会話を含めて、改めてモリスや賢治の「環境芸術」の思想を考える、とくに福島第一原発の事故による放射能汚染は、18世紀イギリスに始まる近代文明のあり方を、根本から考え直すことを、我々に強く迫っている。そこにまた、賢治やモリスの芸術や思想の今日的意味があるように感じて仕方ありません。少し書いてみたいと思います。 まず、エネルギーの転換です。産業構造やライフスタイルの変化にとって、その基礎となるエネルギーが非常に重要です。18世紀イギリスの産業革命も、水力から蒸気、さらに電気エネルギーへの転換により、工業化が進んできました。特に重化学工業の発展は、電気エネルギー、それも石炭から石油への化石燃料の大量利用が、第2次大戦後は中東への依存を強めました。日本でも、戦後東北は地域のエネルギー資源、水力・石炭・森林・鉱物など、加えて農水産物資源による開発を目指しました。ところが、60年代の初め、いわゆるエネルギー革命により、石炭から石油への大転換が起こり、輸入資源への全面依存で、アラブの「石油漬」の生産と生活に変わって仕舞いました。しかし、70年代、2度の石油ショックで、脱石油が始まりましたが、その後地球環境問題が深刻化し、温暖化による再生可能エネルギーへの転換が急務になったわけです。ここで、スリーマイル島やチェルノブイリの原発事故があったにも関わらず、詐欺行為にも等しい原発「安全神話」による、原子力の平和利用の原発ブームが起こりました。東北の開発も、今度の福島第一原発は、全部70年代に集中開発、東北の「原発銀座」と呼ばれました。 今度の3・11東日本大震災は、その東北の「原発銀座」を直撃、「安全神話」を一瞬にして浚い押し流してしまいました。多くの犠牲者を呑み込み、浚って行っただけではない。永久に除染して洗い流すことの出来ない放射能で汚染された土地、建物、自然を残してしまいました。人間の住むことの出来ない、死の町を残しています。人類の生存にとり、原子力利用は許されるのか?近代文明を支えていた、科学技術への信仰を続けることが出来るのか?3・11の大震災は、原子力VS自然エネルギーという形で、近代文明の機械・科学技術を問い直しを迫っているように思います。近代社会の工業化の機械文明から、脱近代の自然エネルギーによる産業や生活への変革を迎えたのではないか? モリスが自然環境から、彼のデザインを発想していたことは、柳やアカンサス、「イチゴ泥棒」の苺と鳥、蔓バラの「トレリス」など、さらに『ユートピア便り』では、地下鉄は「人生の蒸し風呂」と嫌悪し、別荘のケルムスコット・マナーへの旅も、汽車ではなく船旅のスローライフです。産業革命の蒸気機関や電気エネルギーではなく、自然エネルギーへの回帰による近代文明への批判でした。 賢治に至っては、『注文の多い料理店』の序から、自然エネルギーの利用どころか、自然エネルギーで生きる人間の話です。引用します。「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風ををたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。」賢治は、「風をたべ」「日光をのむ」、まさに自然人なのです。化石燃料や原子力とは無縁であり、「月夜のでんしんばしら」でも、電気エネルギーを軍事力の心象風景としているように思います。恐るべき推理力です。 ![]() # by kenjitomorris | 2011-10-23 21:14
|
カテゴリ
全体未分類 以前の記事
2012年 05月2012年 04月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 05月 2011年 03月 2010年 12月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 お気に入りブログ
最新のコメント
最新のトラックバック
検索
おすすめキーワード(PR)
ファン
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||